ニケの宿

水無月

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第四十七話・「あの子」

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 ――雪崩村(正式名称不明)跡地。
 建物の残骸が結構残っている、と思っていたのだが。
 それらしき柱が数本、雪から顔を出しているだけで、なにもなかった。この周辺だけ木々がなく、村でもあったんだろうなぁ程度の空間が広がるだけだ。恐らく掘り返せば井戸やなにかは出てくるのだろうが。
 風は弱まったが雪は止まず、頭上では相変わらず黒い雲が重たい。
 身体強化は切れていないようなので、ニケは乗っかったまま風景を眺める。
 フリーは何かを探すようにさ迷っているが、ニケの目は白けている。なんでこやつを傷つけてきた者共のために僕が気落ちしてやらんとならんのだ。といった具合だ。
 むしろ高笑いしてやりたい気分である。
 頬杖をついたまま、どうでもよさそうな声を出す。

「なあ、フリー」
「……ん?」
「大笑いしていいか?」

 言われてことが理解できなかったのか、フリーは一拍置いてから顔を上げた。

「なんでっ?」
「ん? お前さんも清々しただろう?」
「確かにここにいい思い出は無いけど、でも笑うのは良くないんじゃない?」

 どんな外道でも仏になる。死体蹴りなど忌み嫌われる行為ではないだろうか。
 そう思ったのだが、ニケは「え?」という面持ちで顔を覗き込んでくる。

「笑うのは良くないって……。お前さんの村、そんな世紀末みたいな決まりがあったんか? 村人全員こけしみたいな顔で暮らしとったんか。なんやそれ、こわ……」
「いや違うよ! そうじゃなくて死んだヒトを笑うのは良くないんじゃない? って意味で言ったの」
「なにが?」
「…………」

 人族と赤犬族との考えの違い、なのだろうか。フリーはしばし絶句したが、諦めたように頭を振る。肩に乗っているためニケも一緒に揺れる。

「ま、まあ、ニケの笑顔は見たいけど笑うのは置いておいて。ちょっと調べたいこともあるんだ」

 この村を襲った雪崩も、魔研の仕業なのかどうか。

「雪崩を起こす魔九来来(まくらら)って、聞いたことある?」

 フリーの頭部に顎を乗せ、ニケはううんと悩みつつ目線を空にやる。

「雪崩……ともなると化け物の領域だしな。愛雪竜(あいゆきりゅう)か〈地鳴り〉のラヴィーナヘルテくらいだろう」

 ――こやつの雷も雪崩を引き起こす威力はあるが、言わなくていいだろう。

 フリーはきょとんとして聞き返す。

「地鳴り?」
「英雄ややばい奴に送られる二つ名。称号みたいなものだ。レナさんだって〈海裂(うみさき)〉の二つ名を持っているぞ。年間魔獣討伐数一位に輝いた功績を王に称えられてな」

 ――レナさん。暇さえあれば魔獣を狩っているからな。

 ニケは自分のことのようにしたり顔をする。レナが金に困っていないのに魔獣を狩るのは鍛錬にもなるし、食費も浮くからだろう。彼女ら鮫族は魔獣も食べてしまう。
 フリーの声が震える。

「海を裂くってこと? な、なんかすごくない?」
「まあ、それだけ海中でのレナさんは強いって意味だな。話が反れたが、雪崩を起こせる人物はぱっと出てくるのではこのくらいだ。魔研のやつらが〈地鳴り〉をどうこうできるとは思えんし。……この雪崩は自然災害じゃないのか?」
「そう、なのかな」

 十八年。フリーはここにいたのだ。どうしても感傷に浸ってしまう。
 ニケは面白くなさそうに息をつく。

「どうした?」
「いや。……ニケと出会えた今の俺なら、村の人たちともうまくやれたんじゃないかなって。笑い合えたんじゃないかなって」
「ふーん」

 頭上からあくびが聞こえ、フリーは苦笑を浮かべた。両手をあげてニケを持ち上げ、胸の前で抱く。

「なんだ。肩車を堪能していたのに」

 ぷくうと頬を膨らませるニケに「えへへへへ可愛い~」と言いながら頬ずりしようとして、触れる寸前で止める。

「? なんだ」
「いや。俺の頬いま、めっちゃ冷たいからやめとこうと思って」

 自分の顔に触るフリーの顔を、ニケもぺとっと触ってみる。

「うわ。冷たいなお前さん。なんでこんなに冷たいんだ? そこまで幽鬼族になりきらんでも良いと思うぞ?」
「別になりきるために体温下げてるわけじゃないよっ? それを言うなら、ニケは何でそんなにぽっかぽかなの?」

 温石を抱いているかのようである。肉を食ったから体温が上がっているのだろう。もう手放せない。

「そんなことより、村人と笑い合えたとして、どうするんだ? お前さんは僕の物なんだし、村に帰るとか許可しないぞ」

 両手で胸ぐらを掴んできたニケの赤い目が、怒ったようにじっと見つめてくる。

「ああ、いや。なんとなくそう思っただけで……」

 キミカゲやリーンといった他人との接触が楽しいことだなんて知らなかった。だから知り合いを増やしたいと、多ければ多いほど毎日が楽しくなるのではないかと思っている。リーンと出会った今のフリーは「友達百人出来るかな」という気分なのだ。もし生きているなら、村人とも仲良くしたかった。
 それを聞いたニケは、フリーの前髪がめくれ上がるほどのため息を吐く。

「はああー!」
(あ……。ほんのりお肉の香り……)
「お前さんには僕がいるだろう。僕だけじゃ、不満だってのか!」

 むううううっ。
 顔のパーツが中心に集まってしまうほどむくれるニケに、吹き出しそうになる唇を血が出そうなほど噛んで耐えつつ、言葉を探す。

「んぐぐぐぐっ。可愛い。そんな可愛いこと言われても。ニケは知り合いを増やしているのに、俺は駄目なの?」
「そうだ。僕はいいんだ。お前さんは駄目だ」
「えええっ。そんなあ!」

 悲鳴を上げつつニケの独占欲に内心ほっこりしていると、背後に気配を感じた。

 反射的に振り返る。その動きでニケも気付いたようだ。ニケと同時に気づけたということは、強化はまだ続いているらしい。自分の魔九来来(ちから)ながら、フリーは細かく理解してしなかった。
 そこにいたのは――

「やあ。久しぶり」

 小さな男の子だった。
 ニケより少し大きいほどで、せいぜい十歳ほど。
 この村の生き残りの少年だろうか。親しげにこちらに向かって片手を挙げている。
 髪は烏の濡れ羽色で、瞳は左右で色の濃さが少し違う。帯と装飾品だけが赤い真っ黒の着物だというのに、ひらひらがたくさんついているせいか、熱帯魚や蝶のように軽やかな印象を受ける。
 髪や瞳の色といい、着物の配色といい、どこかニケと似ている。もちろん種族は違う。少年の背には蝙蝠に似た羽があり、足を組んだ姿勢で宙に佇んでいる。

「き、君は……?」

 動揺でフリーの声が詰まる。久しぶりということは初対面ではないのだろうが、少年の顔に見覚えはなかった。それ以前に村人の顔をよく覚えていないというのもあるが、この顔は忘れないと思う。そのくらい少年は整った容姿をしていた。
 口をぱくつかせているフリーの様子に気を良くしたのか、少年は怪しげな笑みを滲ませると両腕を伸ばして近寄ってくる。

「一人で出てこられたんだね? 僕が救い出してあげようと思っていたのに。……でも良いことだ。君はやっと、自由になったんだね」

 見た目を裏切る落ち着いた口調。まるで歌うかのように言葉を紡ぎ、伸ばした両手でフリーの頭を抱きしめる。

「?????」

 ふわりと香る不思議な香り。
 少年の薄い胸板に包まれ、突然の事態に目を白黒させる。

「え? えっと、あの」

 フリーは戸惑う。このような少年をフリーは知らない。雪崩村はおろか紅葉街でも会ったことがない。少年の人違いではないだろうか。ひとまず引き剥がそうと、少年の背中の帯を掴んでそっと剥がして顔を見る。
 簡単に離れた少年。左目が濃い赤の顔がにっこりと微笑む。
 少年は目を細めたまま、こてんと首を傾げる。額にある小さな金の飾りも一緒に揺れる。

「どうしたんだい? 僕のフロリア。感動の再会なんだ。もっと愛し合おうよ」
「――え?」

 なぜ名前を知っている?
 帯から手を離すも、少年は浮かんだままだ。背中の羽がパタパタと羽ばたいているが、こんな小さな羽で飛行できるのだろうか。もっと別の力で浮いているように感じた。
 人差し指でフリーは頬を掻く。

「えっと。君は一体……?」

 知り合いのような振る舞いをされても、全く覚えていない。もしかしたらフリーが一方的に忘れているという可能性もあるが、どれだけ記憶のアルバムをめくっても、この顔の写真が出てこないのだ。
 覚えられていないと知ると、少年は目を丸くして口に手をやった。いちいち仕草が上品である。どこか良い家の出なのだろうか。

「そっか……。覚えてないか。昔のことだもんね」

 少年の顔が曇る。寂しそうな笑みの少年に若干の申し訳なさが浮上し、フリーは頭を下げる。

「ご、ごめん」

 少年は首を振る。

「いいんだ。君は檻に入れられていたし。人の顔を覚える余裕がなかったんだろう。でも僕とおしゃべりしてくれたのは、嬉しかったよ」
「――あ」

 頭の奥底で、記憶が弾けた。この村で唯一の、色のついた記憶。檻の中にいるフリーに話しかけてくれた旅人の子。記憶に残る「あの子」である。
 それがそのまま成長した姿で、そこにいた。

「っ?」

 気がつけば、ひらひらまみれの細腕を握りしめていた。少年は一瞬驚いた顔を見せるも、じわじわと笑みを広げていく。

「フフッ。思い出してくれたのかい?」
「お、思い出した! 君だ。君だったのか!」
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