ニケの宿

水無月

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第四十五話・縄

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 涙ぐんで咳き込むフリーの身体のどこかを適当に撫でてやりつつ、残りのお菓子を口に放り込む。

「ううん。美味しい……。山に籠っていた頃はこんなにたくさんのお菓子、食べられなかったからな。街には美味しいものがたくさんあるなぁ」

 ふたつのものをしみじみ噛みしめていると、フリーがお菓子の詰まっている頬をつんつんしてきた。顔を見るとちょっと怒っているようで、目に涙を溜めて頬を膨らませている。

「胃の中身が逆流するかと思ったんですけど。それと俺はお菓子よりニケのご飯の方が美味しいと思うよ。えへへ」

 怒りが長続きしないのか、もうだらしない笑みを浮かべている。

「回復したんか? それなら出発するぞ」
「ええっと。もうちょい……」

 つんつん。

「はあはあ。やわらかいのにハリがある。はあはあ。へっへっへっへっへっ」

 幸せそうな顔である。

「……」

 暇になったニケは頬をついてくる指を見つめ、何を思ったのかはむっと口に銜えた。

「え?」

 そのままちゅうちゅうと吸いつく。
 ホクトミナミという第三者がいなくなった今、甘えたいというリミッターが外れてしまったようである。歯を立てるわけでもなくただ唇で挟み、飲み込む勢いでフリーの手を口内にあぐあぐと入れていく。口内に詰め込める限界を見極めているかのようである。

(に、ニケの! ニケの口の中に、指が? 指がっ。指があっ?)

 しかし、そんな犯罪的に可愛いことをされ、変態の心臓が持つはずもない。

 ――唇やわらか、あ、あ、口の中あったかいあああああああ。

「はあああああっ」

 謎の雄々しい掛け声と共にフリーは心臓を押さえ、激しく痙攣した。その後、数十分ほどまた動かなくなったが、ニケは手を舐めるのに夢中だった。



「なんか疲れた……」

 幸せが一周して逆にくたびれた様子で、凍光山(とうこうざん)を進む。とっくに夏エリアを離れ、雪が舞い散る中を歩いている。昼前とは思えないほど暗く、風の音しかしない。

「白目剥いていたからびっくりしたじゃないか。なに死んでんだお前さん」
「いやあの、抱えきれない幸せが襲ってきて」

 そうこうしていると、またもや看板が吊り下げられていた。『この先、魔獣たちの住処。立ち入り禁止』。つまりここが標高(やっと)二百メートル。魔獣たちとの境目である。
 ニケは目をスッと細め、声を小さくする。

「ここから上は本当に危険だ。これより登ると死ぬから、上昇しないよう意識して歩け。道が一本しかなくてもそれが上りの坂道なら引き返す。それを心に刻め。返事は?」
「イエッサー」
「……」

 大真面目に敬礼をかます白髪に、ニケはあきれ顔で頭部を掻く。
 本当に分かっとるんだろうか?

「んなぁ? お前さん大丈夫か? 今は索敵のプロ(ホクト)もいないんだぞ?」
「?」

 首を傾げると、フリーは目線が合うようにしゃがむ。

「どうした? 分かってるよ?」

 賑やかだった分、静寂が身に染みる。

「……いや。どうやら不安になっていたのは僕だったようだ。四人から二人に人数も減ったしな。しばらく山を離れ安全な街で暮らしていたから、すっかり日和ってしまったようだ」

 ははっと自嘲気味に笑うニケの頬を、両手で包み込むように挟む。

「危険地帯を歩くんだから当然だし、慣れているより怖がっている方が良いと思うよ? ほら、臆病な生き物の方が生存率高いって言うしさ」

 こちらを安心させるように頷くフリーに、父の笑顔が重なる。墓参りをしたおかげだろうか。ぼやけていた父の姿が鮮明に思い出せた。頬から離れていくフリーの手を名残惜しそうに見つめる。

「……そう、だな」

 ニケはぱんぱんと頬を叩き、気合を入れる。

「では、僕がお前さんを拾った場所まで行くぞ。はぐれずについてこい」
「任せて! はぐれても世界のどこにいても、ニケのことは見つけられるよ!」

 本当に見つけだしそうで怖い。
 ニケは鞄から縄(ソリの予備)を取り出すと、自身の腹に巻きつける。

「お前さんも縄で括れ」
「? 俺とニケを縄で繋ぐってこと? そんなことしなくても赤い糸で結ばれていると思うよ?」

 殴ろうかと真剣に考えた。

「突っ込まんぞ。いいからこっちの端で結べボケェ。こうしておけばはぐれないし、どっちかが崖から落ちても片方が踏ん張れば……お前さんが踏ん張れるわけなかったな。すまん」

 縄を解こうとするニケに慌てる。

「待って! 謝られると辛い。踏ん張るから! 魔九来来(まくらら)使ってでも、杖と呼雷針(こらいしん)へし折ってでもニケが落ちそうになったら助けるから。絶対に!」
「……」

 フリーの中ではニケ〉自分〉〉〉呼雷針なのだろうか。あの刀には随分世話になっていると思うが優先順位は低いらしい。
 フリーがしっかり縄を結ぶのを見届け、ニケは歩き出す。ニケとフリーの間に伸びる縄は二メートル弱。この距離を保って山道をかき分ける。

「はあはあ。ここに来るまでの道のりより険しい。ニケはこんなところで何をしていたの?」

 貼り出た木の根を懸命に跨いで超える。
 数分もしないうちに後ろから荒い息遣いが聞こえ、ニケは若干速度を緩めた。

「木の実の群生地があるんだ」

 紫色の木の実で、シキブという。乾燥させて蜂蜜酒に三年漬け込むと「凍蜜酒(とうみつしゅ)」という高級酒に進化する。このお酒はじいちゃんが好きだったな。決まった場所でしか育たないから、これがまた良い収入源だったのだ。
 シキブの種は猛毒で、二粒も食べると死に至るので取扱注意ではあるが。
 有名なお酒だが当然フリーは知らないだろう。ニケは人差し指を立て、得々と説明しようとした。

「その木の実は――」
「シキブって木の実? 乾燥させるやつ」
 
 ニケは口を開けたまま固まった。

 ――フリーが物を知っている……だと?

 死体を見つけたような顔で震えるニケに、フリーはなんかやっちゃったかなと不安になった。

「ニケ?」
「お……お前さんが物に詳しいなんておかしい! さては、偽物だな! 誰だお前さんは! 本物の白髪をどこにやった?」
「嘘でしょ? ずっと一緒にいたのに? いつ偽物とすり替わったの俺」
「それもそうだな」

 すんと冷静になったニケが再び歩き出す。ニケの感情タワーオブ〇ラーについていけず、フリーは縄がピンと張るまで放心した。
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