ニケの宿

水無月

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第四十三話・尖龍国

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「なんだよ。気になるじゃんか。血まみれの怪我人もいたし、ただ事じゃないだろ?」
「ええっと、その」
「言ーえーよー」
「あうぅ」

 スミに抱っこされているニケは逃げられない。むいっと頬を軽く伸ばされる。まあ、スミなら別に触られてもいいかな。恩人だし。痛くないし。ニケはそんな風に考え、抵抗はしないでおく。
 だがその腕を、白い手がガッと掴む。

「恩人とはいえニケをいじめるなら許しませんよ? ホクトさんの口にねじ込みますよ?」
「ひぃっ?」

 冷たい声に、死神の鎌でも首に添えられたように震え出す。また泣き出した彼に、ニケは「いじめんな」と白髪をぽかっと殴る。どごんとフリーの顔面は地面にめり込んだ。

 ――身体強化切れていたんだっけ? 忘れてた。ま、いっか。フリーだし。

 ニケは知らん顔で、スミの涙を拭う。

「理由は言えませんけど、建物を直して、僕たちはまた宿をやるつもりです」
「そ、そうなんか?」

 動かないフリーと幼子を交互に見る。

「はい。その時はまた、風呂に入りに来てくださいね?」
「お、おう。それはもちろん」

 こくんと頷くスミに、ニケは胸の荷が下りた気分だった。ずっと彼に礼を言いたくてモヤモヤしていたのだ。安堵感からか、ニケはつい皆の前でスミの胸板に頬を押しつける。むむっ。この「シャツ」とやらは着物と違って厚みがない。悪くはないと思うが、やはり触れ慣れている着物の方が好みかな。
 スミは目を見開き、嬉しそうな声を出す。

「なんだニケ。随分懐いてくれたんだな?」
「……あ」

 やべ。やらかした。ばっとほっぺを離し視線を護衛ズに向けると、ホクトは目を逸らしてくれていた。ついでに絶対に笑いだしそうなミナミのことも、見えないようにと地面に引き倒してくれている(怪我人)。彼は本当に有能である。
 急に後ろ向きに倒され、視界が雪雲いっぱいになった彼は起き上がると、当然文句をまき散らす。

「なにすんのお前はっ?」
「ええ~っと。蚊がいたんすよ」
「雪山だっつってんだろ」

 たんこぶを摩りながらようやくフリーが顔を上げる。

「うう~ん。隕石が直撃した気分」
「星にぶつかられたことあるんか? ほれ。さっさと下山するぞ。夜になる前にふもとに着かないと」

 ミナミは気にしたような顔をしていたが、ニケの決定は覆らない。下山は彼のせいではないのだから、堂々としていればいいのに。

(よほどその、先輩とやらが怖いんかな?)

 スミはニケを地面に下ろす。

「もう帰るんか? じゃあ、ふもとまで自分も同行していいかな?」

 ニケはコテンと首を傾げる。

「? 見送りならここでいいですよ?」
「いや。自分ももう帰るから。途中まで一緒に行こう」
「そういえば、スミさんは今どこで暮らしておられるんですか?」

 彼はひとり暮らしをしている。もし紅葉街の近くなら、今度遊びに行かせてもらおう。

「藍結(あいゆい)だよ」
「ぬぅ……」

 目を丸くし、ニケは唇を尖らせた。割と遠い。いや、紅葉街から首都行きの乗合馬車などたくさん出ているし、行けるのは行けるのだが。ニケはなるべく歩きたい。旅人の足で一週間はかかる。

「藍結? 青真珠村みたいな漁村ですか?」

 フリーの質問に、ニケ除く全員がギョッとした表情で彼を見た。
 ニケは白い着物を掴むと、力づくでフリーを引っ張っていく。全員から離れた場所で、ひっくり返ったフリーにこそこそと耳打ちする。

「アホかお前さん。阿呆だったわ。事情を知っている翁やリーンさんじゃないんだ。ぽんぽん質問すな」
「ご、ごめん。つい……」
「ふんっ」

 腕を組んだニケはぷいっと顔をそむけてしまう。

「ああっ、ニケ」

 怒らせちゃったかなと不安になっていると、ニケはちらっと視線だけを寄こしてきた。

「……ま、まあ。お前さんがうっかりなのは今に始まったことじゃないしな。頭を撫でたら特別に許してやらんでもない」

 なでなで。
 刀を握る手が、間髪入れずに髪を撫でてくる。お子様はご満悦にフフンと頬を上気させる。

「藍結はこの国の首都だ」

 一旦言葉を区切り、赤い瞳が見上げてくる。撫でる手が止まりそうだったので頬を膨らませる。白い手は焦って撫で撫でを再開した。
 わしゃわしゃ。

「首都って分かるか?」
「その前に、この国って何て言うの?」

 心底呆れた顔をするニケ。

「知らんかったんか。尖龍国(せんりゅうこく)だ」

 この国の最上位神の名前だとか。空から見ると龍の姿に見えなくもない形をしていることからこの名になったとか、遥か昔、天凰(てんほう)族と肩を並べていた上位種が支配していたとか。

「ご大層な由来は多々はあるようだが、世界から見れば小さな島国だ。水が豊かで、毎年シャレにならん水害が発生するから、皮肉を交えて水の国とも呼ばれとる」

 って姉ちゃんが言ってた。

「せんりゅうねぇ。尖龍国かぁ~。千両国の方が、活気がある感じがしない?」

 無邪気に笑うフリーに、呆れて肩を竦める。

「変えたいならお前さんがこの国統一でもすればどうだ?」
「それならニケ国にするよ」
「なんでだよ」
「ニケ~」

 気まずさに耐えきれなくなったのか、スミが足早に近寄ってくる。

「なあ。なんで丹狼(たんろう)とつるんでいるんだ? いじめられてないよな?」

 心配してくるスミに苦笑を返す。世間一般では灰色鼠(はいいろねずみ)族と猫妖精のように、赤犬族は丹狼族によくいじめられているという印象を持たれている。実際その通りであるが、しかし彼は一部の人以外には極めて人格者だ。

「大丈夫ですよ。ところで藍結(あいゆい)のどの辺ですか? 今度遊びに行きたいです」

 衣兎(ころもうさぎ)族が持つはずのない「青い目」を見開く。

「あっ。来てくれるのか? ついでに泊まってく? ニケの宿に比べれば物置同然だけど。いつもとは逆に今度は自分がもてなすよ!」

 意気込むスミに、お構いなくと冷静に返すも尻尾は揺れていた。

「藍結の十二区。治安悪いから、絶対に一人で来るなよ? この前も家の近くで事件があって、治安維持がピリついてるんよ。絶対に一人で来るなよ?」

 二回言われた。

「分かってますよ。スミさんも気をつけてくださいよ?」

 治安の悪い場所に住んでいるのなら。

「あはは。ありがと」

 朗らかに笑うスミを連れ、人数が増えた一行は下山を開始した。
 スミはちらちらとソリに乗せられたヒスイを見たが、何も聞いてこなかった。触らぬ神に祟りなし、と思ったのかもしれない。ありがたい。なんて説明すればいいのか本気で分からなかったから。
 フリーは道中、四回は転んだ。
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