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第十八話・風流風船
しおりを挟む夜になろうが雨の日だろうが、気温はいっこうに下がらない。連日のうだるような暑さに一時、蝉の声さえ聞こえなくなった。すこんと抜ける晴天。風がなく動かない空気。汗は止まらず、煙草は不味い。酒を飲む気にもならず、食事も喉を通らない。
ぱしゃ。
家の前の通りに水を撒くも、無駄な抵抗と嘲笑うように土が吸い込んでいく。
汗でずれてくる眼鏡が鬱陶しい。柄杓を持ったまま顔から外すし、胸ポケットに仕舞う。
ぼやけた視界で空を仰ぐ。
どれだけ視力が下がろうと、空の青さは変わらない。
「みんな……そろそろ着いた頃だろうかね」
突き刺す太陽から顔を背け、空になったくすりばこを振り返る。
真っ暗な玄関が口を開けている。少し前と同じ。なのに、彼らがいないというだけで、信じられないほど空虚な空間に思えた。
キミカゲはそっと目を閉じる。
ニケたちは今、紅葉街にはいない。
青真珠(あおしんじゅ)村。
小さな村で、人口も紅葉街の四分の一もない。紅葉街から馬の足で約一週間の距離なのだが、「飛籠(とびかご)」を使ったニケ一行は、わずか一日で青真珠村の土を踏んだ。
飛籠とは、ヒトを乗せて人力で運ぶ駕籠……それの空中版である。
妖精寄りの妖怪の一種・風流風船(ふうせん)というものたちがいる。国によっては「風精霊」とも呼ばれ、なぜか鮮やかな若竹色のメンダコという外見。
常は子どもの手のひらサイズでその辺を漂っているだけの無害生物なのだが、なんと一息で鯨サイズまで膨らむ、文字通りの風船お化けである。空気を吸い込んだはずなのに、膨らんだ風流風船(ふうせん)は空気より軽いと言いたげにぐんぐん空に浮かび上がるのだ。その身体に紐を括りつけた駕籠を引っかければ、楽しい空中散歩の時間である。
もちろんタダで運んではくれない。
まず彼らを見つけ、好物をちらつかせ交渉する必要がある。
了承を貰えれば方角を指示。吸い込んだ空気を噴出し、それが推進力となる。勝手に進んでくれるため乗って景色を眺めているだけでいい。
……まあ、そこそこ速度は出るので、駕籠は当然斜めになる。到着までは捕まっていなくてはいけないが。一週間馬で走るよりかは断然楽だ。
「あー。潮風が気持ちいいな」
ニケは一日中座りっぱなしでこった肩をほぐしながら、昨日の出来事を思い返す。
風流風船(ふうせん)を見つけるのに時間がかかるだろうと踏んでいたのだが、それはいい意味で外れた。どうも星影は風流風船と仲が良いようで、約束の日の当日に――今度は遅刻しなかった――リーンは風流風船を普通に頭に乗っけて現れた。
今日のリーンはつばの広い麦わら帽子を首から下げて背中で揺らしていた。被らないのだろうか。
風流風船については「俺様に任せろ」と言われてはいたが、これにはニケたちもあっけに取られたものである。
目を丸くするニケ、ミナミ、ホクトに、リーンは狼狽える。
「え? なんで驚いてんの? あ、もしかして俺様が遅刻しなかったから? 遅刻してこようか?」
「いやいやいや。引き返さないでください。妖怪と親しげなヒトを初めて見たんでつい……」
ニケの言葉に護衛ズはこくこくと頷く。その様子に、リーンは得意げに「ま、まあな」胸を張った。
「俺らは妖精や精霊たちと交流あるぜ」
星影族も広い意味では精霊に分類される。そのためかもしれない。
キミカゲとフリーはメンダコに興味ないのか、虫取り網を片手にうるさい蝉を探していた。まあ、もふもふでもないし、長寿ならさほど珍しくない妖怪の一体くらい見飽きているだろう。
「ボスが知ったら配下に欲しがりそうですねぇ」というミナミの呟きを聞きつつ、ニケが用意したのは竹かごいっぱいの空芋。風流風船(ふうせん)の好物である。この野菜を手に入れるために一度宿へと戻ったのだ。
さて、交渉の時間だ。
ニケは喉の調子を整えるために咳払いする。
「風流風船さん。これをあげるから青真珠という村まで運んでほしいのだ。どうだろうか?」
リーンの頭上の存在にずいっと差し出すと、メンダコはぱちぱちと瞬きした。……眼球あったのか。円らすぎて見えなかった。
ひょいと籠の中に飛び降りると、風流風船は勢いよく空芋を貪りだした。
がつがつがつ!
「「おおー」」
ニケとミナミの声が重なる。
これまた小さすぎて確認できないが、どこかに口もあるようだ。空芋が彫刻刀で削られるようになくなっていく。
いい食いっぷりだ。見ていて気持ちよくさえある。よほど空腹だったのか、それとも「ニケの」空芋が好みの味だったのか。分からないことだらけだが、自分の作った野菜を美味しく食べてもらえるということは、なかなか気分の良い光景だった。
ニケの唇が笑みの形になる。
最後の一つを食べ終えると、満足したのかメンダコは小さくげっぷした。
『げえええぇぇぇっぷ』
蝉を捕まえてはしゃいでいた組まで何事かと振り返る。
なんだろう今の怨霊の呻き声は。聞き間違い? いや、確かにこの耳で聞いた。まさかこの小さな妖怪のげっぷ……だとでもいうのか。ニケたちの周囲だけ気温が十度くらい下がった気がした(適温)。
現実を受け入れられないといった顔でドン引きしている一同に、リーンは庇うように両手を振る。
「おいおい。そんな顔すんなって。別に今のは威嚇音でもなんでもないぜ?」
別に威嚇だと思って戦慄したわけではない。愛らしい外見からおっさんの放屁音のようなものが鳴ったからギャップで脳が停止しただけである。
メンダコは持っていた細い木の枝……爪楊枝だろうか。それで口内をシーハーして気持ちよさそうだ。
――あ、ええっと。もしかしてこのメンダコ、おっさんなの?
口から出かけた疑問を飲み込み、ニケはフリーを振り返る。蝉の声が間近で聞こえるので、うまく確保できたのだろう。ちょっと現実逃避したかった。
「ふ、フリー? 蝉を見たことなかったんだろ? どうだ?」
リーンもそちらを見ると、フリーが蝉の羽を摘まんで観察しているところだった。蝉は逃れようと鳴きまくって暴れるも、白い指は意に介さない。虫に触れないリーンはちょっと尊敬した。
フリーはニケをチラッと見ると、蝉をポイっとその辺の茂みに捨てたのである。
助かったあぁとばかりに走り去る蝉を見ることなく、フリーは地面を見ながらぽつりと呟いた。
「ぜんぜんモフモフじゃない……」
聞こえたホクトは表情を硬くして一歩遠ざかる。逆に聞こえなかったリーンは不思議そうな顔でのこのこと近寄ってしまう。あんなにテンションの低いフリーは初めて見る。それが気になったのだ。
キミカゲは出番のなかった虫かごの紐を肩にかける。
「あらら。お気に召さなかったかな? 蝉はガサガサしているし、たまに顔目掛けて突進してくると痛いし。しょうがないか」
でも一緒に虫取りできたのは嬉しそうだった。
相変わらずどこを見ているのか、フリーはぼそぼそと呟く。
「そう、ですね。毎日毎日うるさいからどんな虫か気になっていたんですよ」
それでももふもふした見た目なら愛せると思ったのだが、これでは愛せない。心が沈んでしまった。早急に満たさなくては。心を。もふもふで。
フリーは顔を上げる。ああ、ちょうどそばにもふもふたちがいるではないか。金緑の目がぎろりと一同を凝視した。
「え?」
ミナミが顔を引きつらせる。
そんな相方を放置して、何かを察したホクトが地を蹴りスタートダッシュするのと、ほぼ同時だった。
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