ニケの宿

水無月

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第四十二話・討伐済み

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「そ、それって渦大蛇(うずしお)の鱗……?」

 身を乗り出すキミカゲにポイと放り投げる。

「わっ! ちょ……」
「不遜にもあの蛇、私の許可なく私の視界に入りおったのでな。刺身にしておいた」
「え……?」

 ぽかんとするニケとフリー。
 つまり、これから倒しに行こうと思っていた渦大蛇は、すでに討伐済。流石であるが喜びの感情より先に、なんだか肩透かし感を喰らった気もする。
 まあ、手間が省けたというものだ。これで海開きも出来るはずだ。
 というか、視界に入るのが許可制なのか……。
 レナはニケに向き直る。

「それがどうかしたか?」
「……あー。えっと。ちょうどその魔獣を倒しに行こうと思っていたので、助かりました」
「倒しにって、ニケ殿がか?」

 ぎろりと鋭い眼光がフリーを貫く。貴様が倒しに行け。なにをニケ殿にやらせているんだ、と言いたげな眼光が痛いほどに刺さる。

「あ、あの……」

 寒空の中に放り出されたように、フリーの顔色が悪くなる。

「もちろんそこの白いのが行く予定だったのだよな? もしそうでないなら……」

 役に立たぬなら黄泉路を逝けと言わんばかりに、腕から死神の鎌めいたヒレを突き出す。
 海中で鮫と目が合った魚のように、フリーはキミカゲの背に隠れた。

「ピィ!」
「これこれ。レナ君」

 なだめようとする翁の前に、素早くニケが滑り込む。

「レナさん! 大丈夫です。こやつに行かせる予定でしたので」

 それを聞いてレナは、イタズラ好きの少女のように微笑する。

「そうか。なら安心だ。もし魔獣退治なら、私に任せるがいい。ニケ殿なら十割引きで請け負うぞ」
「無料じゃん……」

 白い青年が何かぼやいていたが構わなかった。



 レナは身軽に立ち上がる。

「では(名残惜しいが)失礼する」
「あっ、待ってください。レナさん」
「どうした?」

 せっかく立ったのに素直にしゃがんでくれる。これが、呼び止めたのがフリーだったら当然のようにシカトされていただろう。
 ニケは両手の指を絡ませる。

「あの。これからお祭りに行くのですが、良ければご一緒しませんか?」

 フリーとは相性がよろしくなさそうだが、レナはニケにはそりゃもう優しいのだ。ならば祭りに誘わない手はない。フリーが困ろうと知ったことではない。肝心なのはニケが楽しい思いを出来るかどうかだ。
 わくわくとレナを見上げていると、彼女は胸を押さえて悶絶した。

「ぐおおおおおおっ」
「レナさん⁉ 一体何が……? どこか痛むんですか?」
「いや。なんでもない……なんでも、ぐうっ」

 額からぼたぼたと冷や汗を伝わせており、到底何でもないように見えないのだが、レナは頑として首を振った。
 薬師に診てもらわなくて大丈夫だろうかと不安に思い、ここがどこか思い出す。
 ばっとキミカゲの方を見たが、ばっと視線をそらされた。

「翁っ?」

 どうして? と焦るニケの肩に、レナが手を置く。

「す、すまないニケ殿。このあと予定が入っていてな。時間も押しているから、すぐに行かねば……っ、ならないんだ!」
「そ、そうですか……」

 悲しそうに犬耳を垂れさせるニケに、レナは血が出そうなほど喰いしばった。グギギギと歯が粉砕しそうな音が聞こえる。全身が「行きたい」と叫んでいる。
 なんか可哀想で、フリーは視線を外した。
 ニケはもう一つ聞きたいことがあったのだが、レナの「時間も押している」発言に遠慮してしまった。

「引き止めてすみません。あ、レナさんが強いことは知っていますが、無理はなさらないでくださいね?」

 この前みたいなことは、もうごめんですよ。
 レナはシャキッと立ち上がった。乱れた髪を払ってみせる。

「無論だ。慢心せぬよう、日々精進している。……そこの白髪も、現状に胡坐をかいていないで腕を磨いたらどうだ? 今の貴様の強さは神からの、所詮借り物の力だろ」
「!」

 目を丸くするフリーにフンと鼻を鳴らし、彼女は去って行った。

 ――幽鬼族の持つ変な力ではなく魔九来来(まくらら)だということも、幽鬼族じゃないってことも、ばれているな。

 ニケは額に手を添える。

(まあ本来、サポート向きの幽鬼族が刀を手に魔物に突っ込んで行けば、そして勝っちゃったら疑うよな)

 変更したい気分だ。こやつの戦い方を見てから種族を決めればよかった。……これこそ今更か。
 翁は「知ってた」と言わんばかりに手を叩く。

「レナ君のおかげで問題が一気に片付いてよかったね。ニケ君の護衛の件は私が話を通しておこう。さぁさ、そろそろリーン君との待ち合わせ時間じゃないかい? 準備しようか」
「あ」

 入り口に目を向けると、差し込む光がオレンジ色に変化している。夜を告げる色だ。

「本当だ!」

 ばたばたと動き回る少年たちの横で、翁は「ところで、この鱗もらっていいのかな?」と手のひらの中を見つめていた。







「覚えてるよ、この赤い柱。トミィさんって言うんだよね」
「鳥居だ。帰ったら十回書け」

 昨晩よりヒトが増えている鳥居前にて。
 フリーとニケはリーンを待っていた。
 ざっと見たところ、カップルより農家らしきヒトが圧倒的に多い。アキチカの舞目当てなのだと分かる。
 「違うんです。言い間違えたんです」と落ち込むフリーを無視して、時計代わりの月を探す。月は鳥居より上にあり、待ち合わせ時間はとっくに過ぎたことを示していた。
 ニケは腕を組む。

「出るのが遅かったから今回はリーン殿が待っていると思ったのに、そんなことなかったな」
「また人助けしているんだろうなぁ」

 立てた膝に顎を乗せるフリーに目をやる。しゃがんだこやつと目線の高さが同じになるので首が楽だが、目印にもなるので今は立っていてほしい。
 幼子の眉間にしわが寄る。

(……)

 二回連続で遅刻とは、信頼を失う行為である。人助けしていて遅れた者を責めるのは心苦しいが、それはリーンの都合であってニケたちの都合ではない。
 なので、今回はしっかり叱ろう、と年長者みたいなことを考えつつ、耳はリーンの足音を聞き分けようと真剣だった。
 そんな努力を知らず、フリーはのんきにレナを思い出す。

「にしても、猟師兼退治屋って儲かるんだね。俺らがまだ払いきれていない治療費を、あっさり払っちゃうし。しかも俺たち……じゃなくてニケの分まで払える余裕まであるみたいだし」

 フリーがなにか喋っていたが立っているのに飽きたので、よいせっとフリーの右肩に尻を乗せ、側頭部にもたれかかる。
 尻尾が耳に押し当てられるが、椅子の人は笑っていた。

「だからどうした? レナさんと同じ職業になりたいとか言ったら、市中引きずりまわすからな」
「なぜ引きずりまわされるんですかっ?」
「退治屋や猟師はいろんな土地に派遣される。それになるということは、僕を一人にするということだ」

 それは、とフリーは口を尖らせ、至極真面目な顔でうつむいた。

「駄目だな。俺はニケから離れると、呼吸困難で死ぬかもしれない」
「僕は酸素ボンベか?」

 思わずツッコミを入れるも、ニケも口元はにやけている。それでいい。その調子でもっと僕に依存するといい。

「なんだ? 洗濯屋の給金で十分だろうが。キミカゲ翁も焦らんでいいと言ってくれている。あと数か月あそこで働ければ、完済できるようになっているんだぞ? あ。それとも欲しいものでもあるのか?」

 男物の着物以外、物に執着を見せなかったフリーだが、周りを見ているうちに物欲というものが出てきたのかもしれない。
 フリーが欲しがるものってなんだろう。またひとつこやつのことが分かるかもしれないと、ニケは落ちないようにしつつ顔をぐいっと覗き込む。
 すごい体勢になっているが落ちないニケってすごいなと思いながら、フリーは首を振る。

「いや。あの、退治屋で働いていたら強くなれるかなって思って」

 意味が分からなくてニケは目を点にする。もしかして耳が悪くなったのかと思い、聞き返す。

「あんだって?」
「ヒスイさんと戦って思ったんだけど、俺ってあんま強くないなって。ニケと会うまではこんなこと思いもしなかったんだよ? 変だよね。大事なものが出来たら出来た分だけ、自分が酷く弱い存在に思えてきて……」

 はぁと息を吐き、顔を上げて夜空を見る。

「キミカゲさんがニケに護衛つけると言ってくれた時、嬉しいと同時に悔しかった。俺が弱いから、強くないから護衛なんてものが必要なんだって。レナさんにも言われたしさ。でも、どうやったら強くなれるんだろう? ニケは知ってる?」

 いつもの癖で、わからないことはとりあえず訊ねてみる精神でニケの方に顔を向ける。
 ……ドン引きしたニケの顔がそこにあった。

「ニケっ?」

 苦虫でも噛み潰したか。
 こんな表情は初めて見た。レアな顔に吹き出しかける。
 ニケは静かに肩から下りると、そっと距離を取った。血まみれの死体でも発見したような反応に、フリーは腰を上げかける。
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