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第二十六話・つい本音が
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神に一番頼らない種族が、神社に何用か。
祭囃子だけが聞こえるようになった周囲が見守る中、鬼はニケにサッと手を伸ばす。
「テメェ。お嬢にちょっかい出してんじゃ……」
もちろんその手が届く前に、フリーがニケを抱きかかえ二歩ほど下がっていた。
「……ああ? なんだオイ」
空振りした男が、ぎろりと目を光らせる。
一触即発の空気だ。喧嘩となんちゃらは何とかの華! と言うが、鬼族とのガチ争いは受け付けていないようで、野次馬たちが生唾を呑むのが分かった。
「……っ」
先輩としてはフリーに加勢する腹積もりだったが、鬼族の強さは並ではない。果たして無傷で切り抜けられるかどうか。握った拳が汗で濡れている。喧嘩っ早いリーンが躊躇するような相手だった。
それをフリーはきっと睨む。
「犬耳に触りたくなる気持ちは分かるんですが、本人の許可を取ってからにしてください」
一瞬、祭囃子すら途切れた気がした。
周囲は困惑するし、リーンも「何言ってだこいつ」みたいに白い肩を見上げる。腕の中のニケはどうやったら空気読めるようになるんだろうと、本気で額を押さえていた。
角男の方もぽかんとして、二回ほど瞬きする。
「え、や……別に耳を触ろうとして手を伸ばしたんじゃ、ねぇよ?」
「では、ほっぺですか? モチモチしてそうだし、俺も触りたい! ……じゃなくて、そんな勢いで触ろうとしたら、びっくりするじゃないですか」
本音が思いっきり口から滑り出たが、フリーはなかったことにしてぎゅっと腕に力を込める。ニケが二度見してきたが気にしない。
角男の頬に冷や汗が伝う。
「触らせてもらえば、い、いいじゃねぇか?」
「え? そ、それはそうですけど。急に「ほっぺ触っていい?」って言ったら、驚くと思って……」
興味を無くしたように、通行人に賑わいが戻る。ファイティングポーズを取っていた先輩も、いまやもう猫背だ。
茶翼の娘は帯に刺していた扇子を引き抜き、それで角頭をぶっ叩いた。
「がっ?」
鈍器で殴ったような、すごい音が鳴った。
「もう。落ち着きなさい。私がこの子にぶつかってしまったのよ? 無礼を働いたのはこっちよ? まったくあなたは……」
でかい図体を押しのけ、娘が再び頭を下げる。
「うちの護衛がごめんなさいね? 人混みと神社で、気が立ってるのよ」
連れてくるんじゃなかったわ、と頬に手を添えか細い吐息をもらす。なんてことない仕草も、この娘さんがすればずっと見ていたくなる魅力があった。
頭を押さえ、大男は情けない声を出す。
「お、お嬢……。いきなりはやめてくだせぇ。頭が割れます」
「割れなさいよ」
娘さんが持っている扇子、よく見れば鉄製の――鉄扇ではなかろうか。あきらかに鉄っぽいもので頭蓋を殴った音がした。しかし殴られた側は血を流すわけでもなく平然としているし。そんなものを軽々振り回しているとは。この二人は一体何者か。
扇子を仕舞い、代わりに懐からお守りのような小さな袋を取り出す。それをニケの手のひらにそっと乗せた。
「お詫びのにおい袋です。売るなり身につけるなり、お好きに使ってちょうだい」
桜色の小袋が、金の紐で結ばれている。
それを見て、角男が焦りだす。
「お、お嬢! それは大切な――うっ」
一瞬だけ振り返った主の目を見て、大男が息を呑む。
「騒がせてごめんなさい。お祭り、楽しんでくださいね?」
袖で口元を隠し上品に笑うと、なんと大男を掴んで引きずって行く。男は首根っこを掴まれた子猫のように、なんの抵抗もしなかった。
ぽかんと見送る三人。手の中にはにおい袋だけが残された。
フリーは静かに抱いていたニケを下ろす。
「怪我はない?」
「平気だと言っとるだろう」
今日は厄日か。蹴られたりケツアタックされたり、散々である。
「ところで、におい袋って何?」
「香料を詰めた布袋だよ」
詳しいのか、リーンが教えてくれる。なんでもディドールが暇なときに作っているようで、リーンももらったことがあるのだとか。夜宝剣を押しのけて家宝にして毎日拝んでいるらしい。
花霊(はなたま)族が造るものは少し違うが、一般的には白檀や桂皮、龍脳といった粉末が使用される。
女性の身だしなみとして愛用されるが元来は、厄除けの薬玉が変化したものである。
「……って、キミカゲ様がおっしゃっていた」
「ほほぉん。さっすがキミカゲさん」
感心しているフリーに感心したように、リーンは顎を撫でる。
「お前もな。鬼族を目の前にして肝が据わってやがる。ドジ度が高くて忘れていたけど、流石は幽鬼族ってか?」
だんだん嘘をついているのが心苦しくなってきた。まさかこんなに他人と関わるようになるなんて、思ってもみなかったのだ。笑顔が少しばかり引き攣る。
「ま、まあ……。さっきのヒトは何鬼なんでしょう?」
疑問がぽろっと零れる。ハッとして口を閉じたが遅かった。同じ鬼族なのに、何鬼か分からないなどおかしいではないか。あ、駄目だ。これはやっちまった。
足元でニケも、「このバカ……」と呼吸が詰まったような顔をしている。
「あっ、あの! いまのはっ!」
咄嗟に言い訳を並べようとしたが、リーンが口を開く方が早かった。
完全にダメな子を見る目でこっちを見上げている。
「おいおい! お前。同じ鬼なのに分かんねぇの? 鬼が分からないのに、俺様が知ってるわけねーだろ」
この長身白髪野郎は。見直したと思ったら、これである。と、肩を竦める。
「お前な、世間知らずも大概にしとけよ? 恥かくのは雇い主さんの方だぞ」
「ぜ、善処します……」
それだけで、フリーの正体については突っ込んでこなかった。完全に普段の駄目さに救われた形である。
九死に一生を得たようなため息をつく。別に「種族を偽ってました~」と言っても、リーンは気にしないだろうが、「じゃあ、なんの種族なんだ?」と聞かれたら終了する。
それはそうと、ニケが俯いたままだ。幼子の正面に回ると翼族の娘さんを見習って膝をつく。
「ニケ? どうした?」
「……」
こちらに赤目を向けてくれたが、うんともすんとも言わない。
リーンも気になったのか、フリーの横にしゃがんでみる。煌びやかな布が砂利の上につく。それを通行人が踏まないようにと足を上げて行く。
先輩は雑にニケの黒髪をかき混ぜる。
「疲れたか?」
「いえ。別に」
きゅっと小さな拳を握る。
なんだろう。嫌なことが続いたせいだろうか。誰が悪いわけではないのに、むかむかする。こんな気分ではお祭りを楽しむなんて無理だ。では、お守りは手に入ったのだし、家に帰るか? 嫌だ。ひとり家にいるなんて。キミカゲ翁もいないのに。
ならば翁の居る休憩所にでも引っ込んでいようか。……邪魔にならないかな。
微かに残る思い出。家族で、姉ちゃんときたときは楽しかったはずなのに。
など、うじうじ考えていると、ひょいとまたフリーが抱き上げてきた。最近気軽に抱きすぎだぞ。いいけど。
そのままニケを自身の肩に座らせる。
「お?」
こ、これはもしかして。いつぞやの肩車ではないか。
「ニケ。しっかりつかまっててね。立つよ?」
つかまれと言われても。鞠のように頭を抱えると前が見えないだろうし、耳を掴むと取れそうで怖い。髪の毛? ブチって抜けそうだな。翁も褒めていた白髪を雑草のようにむしるのは嫌だった。
悩んだ末、そっと頭部に手を添えるかたちとなった。バランス感覚に優れているし、もし落っこちても、この高さで怪我などすまい。
ニケが安定したのを感じ取り、足首を掴んだフリーが、ゆるりと立ち上がる。倉庫掃除の時と同じく視界が、視線が上へと上昇していく。
だがここは、閉ざされた室内ではない。
視界が一気に開けた。
「おお……」
夜空に近い。足だらけの林だったのが嘘のよう。祭囃子が良く聞こえ、人々の頭を見下ろす位置にいる。
砂利が遠くなり、かがり火が、笠が近い。お店のいい匂いもはっきりとする。風が、ニケの前髪をかき上げていく。
これが、フリーが普段見ている景色。
ぱあっと花咲く幼子に、リーンはどこか安心したように腰に手を当てる。
「やっぱちょっと疲れていたみたいだな。赤犬族は感覚が優れているし、人ごみで疲弊したんだろ」
「気づけなくて申し訳ない……。無理やりにでも座るところを確保するべきでした」
歩くのが好きとは言え、こうヒトが多くてはストレスもたまるだろう。しかも同行人がなにかと騒ぎを起こしていれば余計に、である。
青年と少年はきっちりと反省した。ニケもニケで、寝不足は良くないなと気持ちを新たにするのであった。
ぶんぶんと、尻尾が揺れる。
祭囃子だけが聞こえるようになった周囲が見守る中、鬼はニケにサッと手を伸ばす。
「テメェ。お嬢にちょっかい出してんじゃ……」
もちろんその手が届く前に、フリーがニケを抱きかかえ二歩ほど下がっていた。
「……ああ? なんだオイ」
空振りした男が、ぎろりと目を光らせる。
一触即発の空気だ。喧嘩となんちゃらは何とかの華! と言うが、鬼族とのガチ争いは受け付けていないようで、野次馬たちが生唾を呑むのが分かった。
「……っ」
先輩としてはフリーに加勢する腹積もりだったが、鬼族の強さは並ではない。果たして無傷で切り抜けられるかどうか。握った拳が汗で濡れている。喧嘩っ早いリーンが躊躇するような相手だった。
それをフリーはきっと睨む。
「犬耳に触りたくなる気持ちは分かるんですが、本人の許可を取ってからにしてください」
一瞬、祭囃子すら途切れた気がした。
周囲は困惑するし、リーンも「何言ってだこいつ」みたいに白い肩を見上げる。腕の中のニケはどうやったら空気読めるようになるんだろうと、本気で額を押さえていた。
角男の方もぽかんとして、二回ほど瞬きする。
「え、や……別に耳を触ろうとして手を伸ばしたんじゃ、ねぇよ?」
「では、ほっぺですか? モチモチしてそうだし、俺も触りたい! ……じゃなくて、そんな勢いで触ろうとしたら、びっくりするじゃないですか」
本音が思いっきり口から滑り出たが、フリーはなかったことにしてぎゅっと腕に力を込める。ニケが二度見してきたが気にしない。
角男の頬に冷や汗が伝う。
「触らせてもらえば、い、いいじゃねぇか?」
「え? そ、それはそうですけど。急に「ほっぺ触っていい?」って言ったら、驚くと思って……」
興味を無くしたように、通行人に賑わいが戻る。ファイティングポーズを取っていた先輩も、いまやもう猫背だ。
茶翼の娘は帯に刺していた扇子を引き抜き、それで角頭をぶっ叩いた。
「がっ?」
鈍器で殴ったような、すごい音が鳴った。
「もう。落ち着きなさい。私がこの子にぶつかってしまったのよ? 無礼を働いたのはこっちよ? まったくあなたは……」
でかい図体を押しのけ、娘が再び頭を下げる。
「うちの護衛がごめんなさいね? 人混みと神社で、気が立ってるのよ」
連れてくるんじゃなかったわ、と頬に手を添えか細い吐息をもらす。なんてことない仕草も、この娘さんがすればずっと見ていたくなる魅力があった。
頭を押さえ、大男は情けない声を出す。
「お、お嬢……。いきなりはやめてくだせぇ。頭が割れます」
「割れなさいよ」
娘さんが持っている扇子、よく見れば鉄製の――鉄扇ではなかろうか。あきらかに鉄っぽいもので頭蓋を殴った音がした。しかし殴られた側は血を流すわけでもなく平然としているし。そんなものを軽々振り回しているとは。この二人は一体何者か。
扇子を仕舞い、代わりに懐からお守りのような小さな袋を取り出す。それをニケの手のひらにそっと乗せた。
「お詫びのにおい袋です。売るなり身につけるなり、お好きに使ってちょうだい」
桜色の小袋が、金の紐で結ばれている。
それを見て、角男が焦りだす。
「お、お嬢! それは大切な――うっ」
一瞬だけ振り返った主の目を見て、大男が息を呑む。
「騒がせてごめんなさい。お祭り、楽しんでくださいね?」
袖で口元を隠し上品に笑うと、なんと大男を掴んで引きずって行く。男は首根っこを掴まれた子猫のように、なんの抵抗もしなかった。
ぽかんと見送る三人。手の中にはにおい袋だけが残された。
フリーは静かに抱いていたニケを下ろす。
「怪我はない?」
「平気だと言っとるだろう」
今日は厄日か。蹴られたりケツアタックされたり、散々である。
「ところで、におい袋って何?」
「香料を詰めた布袋だよ」
詳しいのか、リーンが教えてくれる。なんでもディドールが暇なときに作っているようで、リーンももらったことがあるのだとか。夜宝剣を押しのけて家宝にして毎日拝んでいるらしい。
花霊(はなたま)族が造るものは少し違うが、一般的には白檀や桂皮、龍脳といった粉末が使用される。
女性の身だしなみとして愛用されるが元来は、厄除けの薬玉が変化したものである。
「……って、キミカゲ様がおっしゃっていた」
「ほほぉん。さっすがキミカゲさん」
感心しているフリーに感心したように、リーンは顎を撫でる。
「お前もな。鬼族を目の前にして肝が据わってやがる。ドジ度が高くて忘れていたけど、流石は幽鬼族ってか?」
だんだん嘘をついているのが心苦しくなってきた。まさかこんなに他人と関わるようになるなんて、思ってもみなかったのだ。笑顔が少しばかり引き攣る。
「ま、まあ……。さっきのヒトは何鬼なんでしょう?」
疑問がぽろっと零れる。ハッとして口を閉じたが遅かった。同じ鬼族なのに、何鬼か分からないなどおかしいではないか。あ、駄目だ。これはやっちまった。
足元でニケも、「このバカ……」と呼吸が詰まったような顔をしている。
「あっ、あの! いまのはっ!」
咄嗟に言い訳を並べようとしたが、リーンが口を開く方が早かった。
完全にダメな子を見る目でこっちを見上げている。
「おいおい! お前。同じ鬼なのに分かんねぇの? 鬼が分からないのに、俺様が知ってるわけねーだろ」
この長身白髪野郎は。見直したと思ったら、これである。と、肩を竦める。
「お前な、世間知らずも大概にしとけよ? 恥かくのは雇い主さんの方だぞ」
「ぜ、善処します……」
それだけで、フリーの正体については突っ込んでこなかった。完全に普段の駄目さに救われた形である。
九死に一生を得たようなため息をつく。別に「種族を偽ってました~」と言っても、リーンは気にしないだろうが、「じゃあ、なんの種族なんだ?」と聞かれたら終了する。
それはそうと、ニケが俯いたままだ。幼子の正面に回ると翼族の娘さんを見習って膝をつく。
「ニケ? どうした?」
「……」
こちらに赤目を向けてくれたが、うんともすんとも言わない。
リーンも気になったのか、フリーの横にしゃがんでみる。煌びやかな布が砂利の上につく。それを通行人が踏まないようにと足を上げて行く。
先輩は雑にニケの黒髪をかき混ぜる。
「疲れたか?」
「いえ。別に」
きゅっと小さな拳を握る。
なんだろう。嫌なことが続いたせいだろうか。誰が悪いわけではないのに、むかむかする。こんな気分ではお祭りを楽しむなんて無理だ。では、お守りは手に入ったのだし、家に帰るか? 嫌だ。ひとり家にいるなんて。キミカゲ翁もいないのに。
ならば翁の居る休憩所にでも引っ込んでいようか。……邪魔にならないかな。
微かに残る思い出。家族で、姉ちゃんときたときは楽しかったはずなのに。
など、うじうじ考えていると、ひょいとまたフリーが抱き上げてきた。最近気軽に抱きすぎだぞ。いいけど。
そのままニケを自身の肩に座らせる。
「お?」
こ、これはもしかして。いつぞやの肩車ではないか。
「ニケ。しっかりつかまっててね。立つよ?」
つかまれと言われても。鞠のように頭を抱えると前が見えないだろうし、耳を掴むと取れそうで怖い。髪の毛? ブチって抜けそうだな。翁も褒めていた白髪を雑草のようにむしるのは嫌だった。
悩んだ末、そっと頭部に手を添えるかたちとなった。バランス感覚に優れているし、もし落っこちても、この高さで怪我などすまい。
ニケが安定したのを感じ取り、足首を掴んだフリーが、ゆるりと立ち上がる。倉庫掃除の時と同じく視界が、視線が上へと上昇していく。
だがここは、閉ざされた室内ではない。
視界が一気に開けた。
「おお……」
夜空に近い。足だらけの林だったのが嘘のよう。祭囃子が良く聞こえ、人々の頭を見下ろす位置にいる。
砂利が遠くなり、かがり火が、笠が近い。お店のいい匂いもはっきりとする。風が、ニケの前髪をかき上げていく。
これが、フリーが普段見ている景色。
ぱあっと花咲く幼子に、リーンはどこか安心したように腰に手を当てる。
「やっぱちょっと疲れていたみたいだな。赤犬族は感覚が優れているし、人ごみで疲弊したんだろ」
「気づけなくて申し訳ない……。無理やりにでも座るところを確保するべきでした」
歩くのが好きとは言え、こうヒトが多くてはストレスもたまるだろう。しかも同行人がなにかと騒ぎを起こしていれば余計に、である。
青年と少年はきっちりと反省した。ニケもニケで、寝不足は良くないなと気持ちを新たにするのであった。
ぶんぶんと、尻尾が揺れる。
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