ニケの宿

水無月

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第十七話・おススメの仕事は

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 薄い雲が広がる下で、夏夜の虫が鳴いている。
 もう七日もお世話になった入院室で布団を敷いていると、手伝いを終えたらしいニケがすっ飛んできた。そのまま布団に腹から飛び込む。

「ふうっ。終わった」
「もう、まだ敷いてる途中だよ」

 伸びているニケを見て苦笑する。
 薬師の手伝いというのはなかなかに忙しいようだ。というより、キミカゲが若干こき使いすぎな気もする。ニケは仕事を覚えるのが早いようで、おじいちゃんはずっと嬉しそうだ。
 ……まあ、料金未払いなうえ、居候している分際が文句を言えるはずもないが。

(ニケが楽しそうだし、いっか)

 お子様が転がっているにも構わず、掛け布団を敷き、しわを伸ばす。ニケがいるところだけこんもりと膨らんでいる。その膨らみがもこもこ動き、頭ではなく尻尾から出てきた。

「ぷはぁ。……おい、フリー。まだ寝るなよ? 翁が、話があるっておっしゃっていたから」
「え? う、うん」

 その横に、ニケ用のお子様布団も敷き、壁際に翁の布団も敷いておく。

「……」

 ニケがこっそり自分の布団を引っ張り、フリーの布団に引っ付けるように置いた。おそらく壁際の翁が狭いと感じないようにとの配慮だろう。確かにここは布団三枚も並べるといっぱいいっぱいになる。

「話ってなんだろう……」

 やはり臓器を売れ的な内容だろうか。それとも俺に紹介できる仕事がない、とか?
 今宵の空模様のようにうっすら不安になっていると、キミカゲが入ってきた。本当に足音がしない。

「いつも私の分まで布団、ありがとうね」
「ああ。いえ……。このくらいは」

 白衣姿のままだった。まだ仕事があるのだろうか。
 ニケははというと、患者さんがくれた子ども用の寝間着に身を包んでいる。肉球模様が愛らしい。
 白衣がしわにならないよう布団の上に座し、疲れた表情で肩を揉む。ニケが手伝っているとはいえ、疲れはたまるようだ。お年なのだからしょうがない。
 スッと立ち上がったニケが背後に回る。

「肩、揉みましょう」
「おお~」

 翁は待ってましたと言わんばかりに破顔した。

「ありがとう~。ニケ君。まずは肩甲骨あたりを軽く押して……あっでででででっ」

 悲鳴を上げて布団に転がる。そういえば力強いんだった。びっくりした顔でニケは翁を見下ろしている。
 フリーは同情するような眼差しでおじいちゃんの背を摩った。

「痛いの痛いの飛んでけ~」

 ウン百年ぶりに子ども扱いされたキミカゲの表情が一瞬凍りつく。
 2コンボを決められた翁は、よろよろと頭を上げる。

「あ、ありがとう、飛んでったよ……色々。肩甲骨が壊れるかと思っ……なんでもないよ」
「申し訳ありません。翁」

 やっちまったと小さくなる黒髪を優しく撫で、自分の隣に座らせる。
 下手な咳払いなどして、本題に移る。

「あーごほんごほん。……で、話なんだけどね? フリー君に紹介できる仕事はふたつみっつくらいかな? なんせ何の種族か分からないからさ。ピッタリなものをお勧めできなくて」

 笑顔のキミカゲからふたりは目を逸らす。
 翁はニケの頬をつつくだけで、追及はしてこなかった。これだけお世話になっている人に隠し事をするのはもはや人としてどうなのと胸が痛くなるが、言えないものは言えないのである。
 その代わりにと言わんばかりに犬耳を触って遊ぶ。ニケはじっと耐える。

「口入屋みたいなオキンに聞いて、素人でも出来て、人手足りてなさそうなとこを教えてもらったんだ」
「くちいりや……?」
「仕事紹介している人だよ。簡単に言うと」

 へぇとフリーは頷く。くすぐったさに耐えられなくなったニケがそそくさと逃げてきた。
 当然のようにフリーの足の上に座り、くしくしと耳を撫でる。
 座椅子扱いされているフリーは何も言わなかった。目だけは自分も触りたそうに犬耳を見ているだけで。
 キミカゲはおやっと目を瞬かせる。

「ニケ君。おじいちゃんの膝には乗ってくれないのに、フリー君には座るなんて」

 いいな~と言いたげに口を尖らせる。ジジイがそんなことをしても可愛くはないが、外見は可憐なので寒気はしなかった。

「翁にそんな無礼は働けません」

 きっぱりと断っているが、ここは座ってあげた方が喜ぶんじゃなかろうか。
 おじいちゃんは寂しそうに脱線した話をレールに戻す。

「えー。まずは『看板娘』だね。きれいな娘さんを看板代わりに店先に立たせておく。お客は店の味より娘さん目当てで店に行くようになる。これはいつの時代も変わらないね……」

 時代という言葉がさらっと出るあたり、長寿なんだと実感する。
 と言うかその前に、

「俺は男です」
「え? そんな死んだ目をしなくとも、患者の性別くらい分かってるよ?」
「そ、そうですか? でも、看板娘って……娘って……」

 不思議そうに翁は目を瞬かせる。

「別に女性限定の仕事じゃあないよ? 愛想のよい息子さんを看板にして、女性客を釣っている店もあるし。君はモヤシみたいだけど、目立つという点では優秀だ。店前で突っ立っているだけで人目を惹くことが出来るだろう……胸を押さえてどうしたんだい?」

 身体ではなく心の傷を治せる薬師を呼んでほしい今すぐ。
 ニケは半眼で「気にしないで下さい」と続きを促す。

「そうかい? 二つ目は「湯女(ゆめ)」。地域によっては「三助(さんすけ)」ともいうね。簡単に説明するけど、最初は薪を集めてくる雑用で、昇格していけばお風呂屋で客の背を流すお仕事だ。身体を求めてくるお客さんもいるけど、出来ると思うよ」
「お風呂? お風呂で働けるんですか」

 すっかりお風呂好きになったフリーはそれも悪くないかも、と心にメモしておく。身体を求めてくる~の意味はよく分かっていなかった。
 ただ「レナ的な意味で身体を求めてくる」と誤解したニケの表情が険しくなっただけである。

「そうだよ。で、最後は「洗濯屋」。文字通り客の衣服をごしごし洗ってあげる仕事だね」

 そこでいったん区切ると、翁は話し疲れたように小さく息をついた。
 人口が増え、家の中が賑やかになった分、口を動かす回数も自然と増える。だがこれは、嫌な疲労ではない。
 フリーは学徒のように挙手する。

「はい。キミカゲさん」
「なんだい?」
「洗濯するだけって……需要あるんですか?」
「ん?」

 翁がぴくりと反応する。ニケの耳も。

「着物洗うだけでしょ? そんな簡単そうなことでお金ってもらえるんです?」

 なにやら焦った様子のキミカゲが口を開くより早く、ニケが振り向いた。
 たいそう怒れる目で。

「……そうだな。お前さんが布団をびっちゃびちゃにしたときも、着物類も僕が洗濯していたものな。洗濯の大変さが分かっていないようだ。い~や、お前さんは悪くない。これに関しては教えなかった僕の責任だっ……っ!」
「に、ニケ……さん?」

 ニケの全身から炎のようなオーラが立ちのぼる。まるで家事を馬鹿にされた専業主婦たちの怒りが般若と化し、仁王立ちしたニケの背後からこちらを睨んでくるようである。
 頭から夏の暑さとは違う冷や汗が、だらだらと流れる。

「え、え? あの、あのぅ」

 なんだかとんでもない失言をしてしまった気がする。

(そうだ。キミカゲさん!)

 助けを求めて翁を見るも、彼も昔妻にやっちまったことがあるのか、しみじみとした表情で目を瞑っていた。

 ――いや、思い出に浸ってないで助けて!

 引っ立てられた罪人のように怯えるフリーに、閻魔の如く告げる。

「お前さん。洗濯屋をやってみるといい。体力がいるし力も必要、冬は地獄を見る立派な仕事だ。一回り成長できるだろう」

 この瞬間。フリーの働き先が決まった。
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