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第十六話・診察代
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「鈴蘭、お好きなんですか?」
訊いておいて、自分で馬鹿馬鹿しくなった。これほど全身で鈴蘭を主張しているのだ、嫌いなはずが――
キミカゲは笑顔を保持したまま答えた。
「いや、別に?」
静寂の静霊(せいれい)が躍りながら横切った。
目を点にした二人を見て、キミカゲは困ったように眉尻を下げる。
「単純にこの名前のせいさ。鈴蘭の別名は君影草(キミカゲソウ)。そのせいで昔から鈴蘭の花をもらったり鈴蘭の小物をもらったり鈴蘭柄のハンカチをもらったり。もらうもの鈴蘭鈴蘭鈴蘭……」
フリーたちはそっと距離を取って腰を下ろす。
「だからまあ、当時は鈴蘭を(強制的に)好きだった(ような気がする)けど。同時に鈴蘭を見ると……悲しい気持ちにもなるから。結局、好きにも嫌いにもなれなかった」
手ぬぐいの刺繍を見るキミカゲの声が、少し震える。
彼は長命種だ。誰も共に生きられない、悲しいほどの長寿。
おそらく鈴蘭の花を贈った親友も、小物を送った妻も、ハンカチをあげた幼なじみも、みんなこの世を去って行ったのだろう。キミカゲひとりを残して。
「「……」」
急に始まった重い話に、フリーとニケは胃が痛くなるのを感じた。
フリーは両手をつき、土下座する勢いで頭を下げる。
「辛いこと聞いてしまい、すいませんでした」
「なぁに、気にしなくていいさ。さ、手ぬぐい巻いてあげよう。こっちおいで」
にぱっと笑うおじいちゃんが手招きしてくる。歳のせいかあまり動きたくない彼は、こうして人を自分の側に来させようとする。
無臭だし外見は美少女なので、近づくのは嫌ではない。
正座のまま側に行こうとしたら、ニケが腕を掴んできた。
「ん?」
「あ~……その」
ニケは何やら言いにくそうに、フリーとおじいちゃんを交互に見る。もごもごと口内で呟いていたが、やがて決心したのか、顔を上げた。
「ぼ、僕は別に……フリーの髪は隠さなくていいと思う……です。いや、落ち着かないとは言いましたけど……、隠さなくても。勿体ないし……」
決心したわりに声は小さかった。おまけにまたもごもごとうつむいてしまう。
フリーは「?」状態だったが、人生経験豊富なおじいちゃんは察してくれたようだ。そうかと頷くと、手ぬぐいでフリーの髪を縛った。
涼しい。首筋がスッとなる。
「一つにまとめるくらいにしておこう。これなら邪魔にもならないし。あ、もし手ぬぐいが嫌なら近所に素敵なかんざしの店があるから、そこで気に入ったのを買うのもいいよ」
「あ、ありがとうございます」
礼は言ったが、鏡がないので自分がどうなっているのかいまいち分からない。反応を求めてニケの方を見る。
金緑の瞳と似た系統の色の手ぬぐいは、フリーの髪に良く似合っていた。
……ただ、それを言うのが恥ずかしくて、ニケはツンと顔をそらす。
「まあ、いいんじゃないか?」
「そうかな? えへへ」
ニケがいいと言ってくれたならいいのだろう。変だったらニケはズバッと言うはずだ。
浮かれていると、ニケが真面目な顔をした。
「ただ、かんざしを買ってやる金なんぞは、ないがな」
「え?」
「え?」
何故かキミカゲまでも間の抜けた声を上げる。ニケはボケたのかと心配になった。
「お前さん、ここで七日もお世話になっとったのだぞ? 診察代に薬代諸々……」
「あ」
そうなのだ。診察には金がかかる。薬師はけっして慈善事業などではない。腕のいい薬師に診てもらうほど、代金は跳ねあがる。その分、病や怪我は治りやすくなるが。
そして――キミカゲはこの街一の薬師といっても過言ではない。
つまり、
「合計するとちょっと内臓を売っても払いきれない額になっとるのだ。……もう死ぬしかない」
軟禁状態だったフリーは、金がない状況がどれほど絶望的かというのがそこまでピンとこなかった。だが、深刻な顔で頭を抱えるニケに、大変だということは理解できたらしい。わかりやすく狼狽えだす。
「そ、それならなんでこんな高価なところに連れてきちゃったの? いや、助かったけども!」
「レナさんみたいに即治ると思ってたんだ……七日もかかるなんて。入院費が……宿の金庫の金が無事なら払えるが、いまは取りに戻れないし」
ちなみに踏み倒すと、もう二度とその薬師には診てもらえなくなる。当たり前だが。
「「……どうしよう」」
放っておけば遺書を書き出しかねない空気に、キミカゲはわざとらしく咳払いした。
「あー、ごほんごほん。君たち、ちょっといいかなー?」
「あ、はい。内臓でもなんでも売ります……」
「お、俺も……」
「よし、まず落ち着こうか? これ、君たちに請求する金額ね」
そう言って古びたそろばんを弾く。ニケたちは身を乗り出してそろばんを覗き込む。
若い子たちが側にきてくれて、おじいちゃんの顔が緩んだ。
「はい、これ」
表示された金額は確かに高額だったが……死を覚悟するようなものでもなかった。
これにはニケも目を丸くする。
「え? 桁がひとつ抜けていませんか?」
「抜けてないよ」
「おかしいですよ。こんな金額!」
「おつ、お、落ち着いて」
掴みかからんばかりの勢いのニケをなだめる。ちなみにフリーは謎の物体(そろばん)に興味津々だった。指で突いたり、シャカシャカ振ったりしている。壊すんじゃないぞ。翁の持ち物は大抵年代物か希少品なんだから。
白衣を引っ張ってくるニケの両肩をぽんぽんと叩いて座らせる。
「ニケ君。ここにいる間、私のお手伝いしてくれていたじゃないか。その分、引いてあるよ」
ニケは口を三角にする。
「引きすぎでは? そんな……っ、たいしたことしてませんし!」
翁は首を振る。束ねられた髪がしゃらしゃらと揺れた。
「いやぁ。大助かりだったよ。ニケ君きびきび動いてくれるしさ。このまま助手になってほしいくらいだ」
「それは……、でも!」
アビーともこんなやり取りしたなぁと、懐かしさに目を細める。
「それに君は、この街のヒトも救ってくれた。ここに来るのを嫌がっていたヒトが来るようになった。良いことだ。ま、その分もちょっと引いたかな」
「なんの話だ?」とニケは黙ったが、翁もこのことは細かく話さなかった。
それでもまだ納得できないのか、疑うようにキミカゲに詰め寄る。
「ここにいる間、飯も食わせてもらいました。おかわりもしましたし。その分の代金は?」
「一緒に食べてくれたから帳消しだよ。一人で飯を食うって、寂しいものなんだよ? ていうか、ご飯作ってくれたのニケ君じゃないか。こっちがお金払いたい気分だよ」
「だって翁……、放っておけばお茶とお粥しか食べないじゃないですか」
料理苦手なんだよと、からから笑う。繊細な薬の調合が出来るのに、不思議な話である。
すると背後から「ッシャー」という音が聞こえたので何事かと振り返ると、フリーがそろばんを畳の上で滑らせて遊んでいた。車のおもちゃで遊ぶ子どものように楽しそうである。拳骨を落としておこう。
「痛いっ」
「大事に扱わんかい! 翁の持ち物を舐めるな。たまにとんでもない希少品が紛れているんだぞ。弁償代が億超えたらどうすんだ。売れる臓器にも限度がある」
「まあまあ。というか、どんな状態に陥ろうとも臓器を売るのは止めておきなさい。いいことないから。おススメしません。あと怪我人をどつかない」
ニケを引き剥がして、トメさんが座っていた座布団の上にちょんと乗せる。
フリーは脳天を摩ってキミカゲに目をやる。
「えっと……、それじゃあ、俺はどうやってお金を工面したらいいんでしょうか?」
知識量が圧倒的に少ないフリーには、金の稼ぎ方などわからない。なので、素直に助言を請うた。
「ん? 仕事を紹介しようか? 住み込みで働けるところがあるよ」
何気なく言ったであろう一言に、ニケは全身の血が下がる思いをした。
――フリーが働く。自分以外のところで。
それは嫌だった。彼がどこかに行ってしまう気がした。
いま、フリーを繋ぎとめるものは、何もない。宿が壊れ、給金が払えなくなったニケに、彼を縛る権利はない。
どこかに住み込み、働いているうちに、ニケの側にいるより心地よいと思われたら? ニケのことを忘れてしまったら?
居場所と給金の提供が、彼をニケの下に縛り付けている鎖だったのに。
ニケと違い、フリーには肩入れする理由がない。心地よい場所が見つかれば、あっさりそちらに行ってしまうだろう。ちょっとどんくさいが、あれだけの戦闘能力があるのだ。どこでもやっていけてしまうに違いない。
「……」
考えないようにしていた現実に、唇が震える。
ニケは孤独だ。孤独が嫌いなのに。フリーという、孤独を埋めてくれるものがいなくなるのが、たまらなく嫌だった。
レナもキミカゲも優しいが、ずっと一緒にはいてくれない。家族や仕事があるのだ。
側にいてくれるのはフリーだけだった。
「……っ、フリー!」
気が付くと、彼に掴みかかっていた。驚いたキミカゲが目を見開くが、当人はもはや慣れたと言わんばかりに見上げるだけだった。
「どうした?」
「あ……。そ、その……。は、働くなら、僕も!」
自身の胸を叩くニケに、フリーは冷静に返す。
「ニケはここでお手伝いしてあげた方が、喜ばれるんじゃないの?」
いつもと同じだったが、ニケにはひどく冷たい声音に聞こえた。
突き放されたように感じたニケは、衝撃を受けたようによろめく。
――なんでそんなこと言うの? たしかに僕は言葉きついし、すぐに手が出るし、フリーに何もしてやれないけど、でもっ、でも!
「ふ、フリーは僕のこと嫌いなのか?」
普段であれば絶対に言わないような言葉が飛び出した。そんな自分に頭の一部がわずかに冷静になるが、すぐに真っ白になることになる。
「ニケのことが嫌いだった瞬間なんて、ないけど?」
「……」
「……」
静寂の静霊がちらっと顔を出したが、すぐに引っ込んでく。
言葉に詰まった。そのおかげで自分が、どこで何を口走っているのかに気づけた。
はっとして、後ろを見る。
キミカゲ翁は犬も食わないとばかりに眼鏡を磨いているし、入り口の方では、予約していた患者さんや騒ぎを聞きつけた近所の人が、何事だと顔を出している。
「あ……」
そういえばさっきからずっと騒いでいる。
それがどうかしたの? と言いたげなフリーの視線をトドメに喰らい、真っ赤になったニケは、そろりそろりと翁の背中に隠れた。
白衣をぎゅっと掴まれ、おじいちゃんはやれやれと思いながらも、背中を貸してやる。
入っておいでと入り口で詰まっている患者さんに手招きし、フリーに目を向ける。
「フリー君にはここから「通える」仕事を紹介してあげよう。仕事が終わったら真っすぐに帰っておいで。いいね?」
「え? あ、はい」
反射的に頷いてしまったが、フリーはなにがなにやらという心境だった。
訊いておいて、自分で馬鹿馬鹿しくなった。これほど全身で鈴蘭を主張しているのだ、嫌いなはずが――
キミカゲは笑顔を保持したまま答えた。
「いや、別に?」
静寂の静霊(せいれい)が躍りながら横切った。
目を点にした二人を見て、キミカゲは困ったように眉尻を下げる。
「単純にこの名前のせいさ。鈴蘭の別名は君影草(キミカゲソウ)。そのせいで昔から鈴蘭の花をもらったり鈴蘭の小物をもらったり鈴蘭柄のハンカチをもらったり。もらうもの鈴蘭鈴蘭鈴蘭……」
フリーたちはそっと距離を取って腰を下ろす。
「だからまあ、当時は鈴蘭を(強制的に)好きだった(ような気がする)けど。同時に鈴蘭を見ると……悲しい気持ちにもなるから。結局、好きにも嫌いにもなれなかった」
手ぬぐいの刺繍を見るキミカゲの声が、少し震える。
彼は長命種だ。誰も共に生きられない、悲しいほどの長寿。
おそらく鈴蘭の花を贈った親友も、小物を送った妻も、ハンカチをあげた幼なじみも、みんなこの世を去って行ったのだろう。キミカゲひとりを残して。
「「……」」
急に始まった重い話に、フリーとニケは胃が痛くなるのを感じた。
フリーは両手をつき、土下座する勢いで頭を下げる。
「辛いこと聞いてしまい、すいませんでした」
「なぁに、気にしなくていいさ。さ、手ぬぐい巻いてあげよう。こっちおいで」
にぱっと笑うおじいちゃんが手招きしてくる。歳のせいかあまり動きたくない彼は、こうして人を自分の側に来させようとする。
無臭だし外見は美少女なので、近づくのは嫌ではない。
正座のまま側に行こうとしたら、ニケが腕を掴んできた。
「ん?」
「あ~……その」
ニケは何やら言いにくそうに、フリーとおじいちゃんを交互に見る。もごもごと口内で呟いていたが、やがて決心したのか、顔を上げた。
「ぼ、僕は別に……フリーの髪は隠さなくていいと思う……です。いや、落ち着かないとは言いましたけど……、隠さなくても。勿体ないし……」
決心したわりに声は小さかった。おまけにまたもごもごとうつむいてしまう。
フリーは「?」状態だったが、人生経験豊富なおじいちゃんは察してくれたようだ。そうかと頷くと、手ぬぐいでフリーの髪を縛った。
涼しい。首筋がスッとなる。
「一つにまとめるくらいにしておこう。これなら邪魔にもならないし。あ、もし手ぬぐいが嫌なら近所に素敵なかんざしの店があるから、そこで気に入ったのを買うのもいいよ」
「あ、ありがとうございます」
礼は言ったが、鏡がないので自分がどうなっているのかいまいち分からない。反応を求めてニケの方を見る。
金緑の瞳と似た系統の色の手ぬぐいは、フリーの髪に良く似合っていた。
……ただ、それを言うのが恥ずかしくて、ニケはツンと顔をそらす。
「まあ、いいんじゃないか?」
「そうかな? えへへ」
ニケがいいと言ってくれたならいいのだろう。変だったらニケはズバッと言うはずだ。
浮かれていると、ニケが真面目な顔をした。
「ただ、かんざしを買ってやる金なんぞは、ないがな」
「え?」
「え?」
何故かキミカゲまでも間の抜けた声を上げる。ニケはボケたのかと心配になった。
「お前さん、ここで七日もお世話になっとったのだぞ? 診察代に薬代諸々……」
「あ」
そうなのだ。診察には金がかかる。薬師はけっして慈善事業などではない。腕のいい薬師に診てもらうほど、代金は跳ねあがる。その分、病や怪我は治りやすくなるが。
そして――キミカゲはこの街一の薬師といっても過言ではない。
つまり、
「合計するとちょっと内臓を売っても払いきれない額になっとるのだ。……もう死ぬしかない」
軟禁状態だったフリーは、金がない状況がどれほど絶望的かというのがそこまでピンとこなかった。だが、深刻な顔で頭を抱えるニケに、大変だということは理解できたらしい。わかりやすく狼狽えだす。
「そ、それならなんでこんな高価なところに連れてきちゃったの? いや、助かったけども!」
「レナさんみたいに即治ると思ってたんだ……七日もかかるなんて。入院費が……宿の金庫の金が無事なら払えるが、いまは取りに戻れないし」
ちなみに踏み倒すと、もう二度とその薬師には診てもらえなくなる。当たり前だが。
「「……どうしよう」」
放っておけば遺書を書き出しかねない空気に、キミカゲはわざとらしく咳払いした。
「あー、ごほんごほん。君たち、ちょっといいかなー?」
「あ、はい。内臓でもなんでも売ります……」
「お、俺も……」
「よし、まず落ち着こうか? これ、君たちに請求する金額ね」
そう言って古びたそろばんを弾く。ニケたちは身を乗り出してそろばんを覗き込む。
若い子たちが側にきてくれて、おじいちゃんの顔が緩んだ。
「はい、これ」
表示された金額は確かに高額だったが……死を覚悟するようなものでもなかった。
これにはニケも目を丸くする。
「え? 桁がひとつ抜けていませんか?」
「抜けてないよ」
「おかしいですよ。こんな金額!」
「おつ、お、落ち着いて」
掴みかからんばかりの勢いのニケをなだめる。ちなみにフリーは謎の物体(そろばん)に興味津々だった。指で突いたり、シャカシャカ振ったりしている。壊すんじゃないぞ。翁の持ち物は大抵年代物か希少品なんだから。
白衣を引っ張ってくるニケの両肩をぽんぽんと叩いて座らせる。
「ニケ君。ここにいる間、私のお手伝いしてくれていたじゃないか。その分、引いてあるよ」
ニケは口を三角にする。
「引きすぎでは? そんな……っ、たいしたことしてませんし!」
翁は首を振る。束ねられた髪がしゃらしゃらと揺れた。
「いやぁ。大助かりだったよ。ニケ君きびきび動いてくれるしさ。このまま助手になってほしいくらいだ」
「それは……、でも!」
アビーともこんなやり取りしたなぁと、懐かしさに目を細める。
「それに君は、この街のヒトも救ってくれた。ここに来るのを嫌がっていたヒトが来るようになった。良いことだ。ま、その分もちょっと引いたかな」
「なんの話だ?」とニケは黙ったが、翁もこのことは細かく話さなかった。
それでもまだ納得できないのか、疑うようにキミカゲに詰め寄る。
「ここにいる間、飯も食わせてもらいました。おかわりもしましたし。その分の代金は?」
「一緒に食べてくれたから帳消しだよ。一人で飯を食うって、寂しいものなんだよ? ていうか、ご飯作ってくれたのニケ君じゃないか。こっちがお金払いたい気分だよ」
「だって翁……、放っておけばお茶とお粥しか食べないじゃないですか」
料理苦手なんだよと、からから笑う。繊細な薬の調合が出来るのに、不思議な話である。
すると背後から「ッシャー」という音が聞こえたので何事かと振り返ると、フリーがそろばんを畳の上で滑らせて遊んでいた。車のおもちゃで遊ぶ子どものように楽しそうである。拳骨を落としておこう。
「痛いっ」
「大事に扱わんかい! 翁の持ち物を舐めるな。たまにとんでもない希少品が紛れているんだぞ。弁償代が億超えたらどうすんだ。売れる臓器にも限度がある」
「まあまあ。というか、どんな状態に陥ろうとも臓器を売るのは止めておきなさい。いいことないから。おススメしません。あと怪我人をどつかない」
ニケを引き剥がして、トメさんが座っていた座布団の上にちょんと乗せる。
フリーは脳天を摩ってキミカゲに目をやる。
「えっと……、それじゃあ、俺はどうやってお金を工面したらいいんでしょうか?」
知識量が圧倒的に少ないフリーには、金の稼ぎ方などわからない。なので、素直に助言を請うた。
「ん? 仕事を紹介しようか? 住み込みで働けるところがあるよ」
何気なく言ったであろう一言に、ニケは全身の血が下がる思いをした。
――フリーが働く。自分以外のところで。
それは嫌だった。彼がどこかに行ってしまう気がした。
いま、フリーを繋ぎとめるものは、何もない。宿が壊れ、給金が払えなくなったニケに、彼を縛る権利はない。
どこかに住み込み、働いているうちに、ニケの側にいるより心地よいと思われたら? ニケのことを忘れてしまったら?
居場所と給金の提供が、彼をニケの下に縛り付けている鎖だったのに。
ニケと違い、フリーには肩入れする理由がない。心地よい場所が見つかれば、あっさりそちらに行ってしまうだろう。ちょっとどんくさいが、あれだけの戦闘能力があるのだ。どこでもやっていけてしまうに違いない。
「……」
考えないようにしていた現実に、唇が震える。
ニケは孤独だ。孤独が嫌いなのに。フリーという、孤独を埋めてくれるものがいなくなるのが、たまらなく嫌だった。
レナもキミカゲも優しいが、ずっと一緒にはいてくれない。家族や仕事があるのだ。
側にいてくれるのはフリーだけだった。
「……っ、フリー!」
気が付くと、彼に掴みかかっていた。驚いたキミカゲが目を見開くが、当人はもはや慣れたと言わんばかりに見上げるだけだった。
「どうした?」
「あ……。そ、その……。は、働くなら、僕も!」
自身の胸を叩くニケに、フリーは冷静に返す。
「ニケはここでお手伝いしてあげた方が、喜ばれるんじゃないの?」
いつもと同じだったが、ニケにはひどく冷たい声音に聞こえた。
突き放されたように感じたニケは、衝撃を受けたようによろめく。
――なんでそんなこと言うの? たしかに僕は言葉きついし、すぐに手が出るし、フリーに何もしてやれないけど、でもっ、でも!
「ふ、フリーは僕のこと嫌いなのか?」
普段であれば絶対に言わないような言葉が飛び出した。そんな自分に頭の一部がわずかに冷静になるが、すぐに真っ白になることになる。
「ニケのことが嫌いだった瞬間なんて、ないけど?」
「……」
「……」
静寂の静霊がちらっと顔を出したが、すぐに引っ込んでく。
言葉に詰まった。そのおかげで自分が、どこで何を口走っているのかに気づけた。
はっとして、後ろを見る。
キミカゲ翁は犬も食わないとばかりに眼鏡を磨いているし、入り口の方では、予約していた患者さんや騒ぎを聞きつけた近所の人が、何事だと顔を出している。
「あ……」
そういえばさっきからずっと騒いでいる。
それがどうかしたの? と言いたげなフリーの視線をトドメに喰らい、真っ赤になったニケは、そろりそろりと翁の背中に隠れた。
白衣をぎゅっと掴まれ、おじいちゃんはやれやれと思いながらも、背中を貸してやる。
入っておいでと入り口で詰まっている患者さんに手招きし、フリーに目を向ける。
「フリー君にはここから「通える」仕事を紹介してあげよう。仕事が終わったら真っすぐに帰っておいで。いいね?」
「え? あ、はい」
反射的に頷いてしまったが、フリーはなにがなにやらという心境だった。
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