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あれから十年
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「ルーク」
窓から見つけたルーカスの姿に名を呼ぶと琥珀色の双眸と目が合った。
十年前の雨の日、ルーカスと出会った日にその名を与えた。与えたというよりかは名が降ってきたといったほうが語弊がないのかもしれない。
光をもたらす人。ルーカスの名にはそんな意味がある。
身勝手にもルーカスに一筋の光となることを内心望んでしまったことは秘密だ。
リリーはずっと孤独だった。王宮はこれほど広く、たくさんの人がいるのにも関わらずだ。
もともと病弱だったらしい母は物心ついたときには死に別れ、何故か現国王である父からも、次の国王といわれている腹違いの兄からも疎まれていた。
国王から厳命が出ていたのか、処罰を恐れたのかは定かではないが、使用人たちもリリーを空気のように扱った。
何一つとして後ろ盾のない幼子が生きていくには、この王宮という場所は汚れ過ぎていたのかもしれない。
家族も友達も世話をしてくれるメイドさえもいない。そんなリリーにとってルーカスは唯一の友人であり、理解者、そして家族でもある。
「姫様、何かご用ですか」
そんな環境で生きてきたのだ。ルーカスの他人行儀な言葉に苛立ちを覚えたのは仕方のないことだった。
「ご用がないと呼んだらいけないの?」
そう言いながら窓枠に足をかけよじ登ると、ルーカスの眉間に皺が寄る。
「姫様、はしたないです」
いつからルークは姫様って呼ぶようになったんだっけ?
過去の記憶を手繰り寄せるも、はっきりとは思い出せない。だが、ここ数年名前で呼ばれていないことは確かだった。
一国の姫とその従者という関係性からすればこれが普通なのだ。それはリリーも理解していたが、十年前の雨の日、出会ってからの日々を考えると心の中では濁った不満が渦を巻く。
なによりもかけがえのない存在。
そう思っているのに……。
開け放たれた窓から身を乗り出す。
何度見てもここからの景色には馴染めない。ただ外を眺めている時は小さな草花に目が留まるのに、この時ばかりはそんなものは視界に入らなかった。無機質な地面が酷く遠くに感じられる。
「俺は受け止めませんよ。怪我したくなかったら部屋に戻ってください」
そう言いもってもルーカスは窓の下から動こうとしなかった。
本当に受け止める気がないのなら、どこかに行ってしまえばいいのに。
下でなにやら小言を呟いているルーカスを見ていると恐怖がすっと消えていく。
力一杯窓枠を蹴った。
ふわっとした感覚とともに体が宙に投げ出される。
「うおっ!」
焦ったルーカスの懐めがけ落ちていく体は、幾ばくか後すっぽりと両腕の中に納まった。
十年の間にすっかり逞しくなったルーカスは、二階から飛び降りたリリーを受け止めたくらいでは少しも揺らがない。
「リリー!! 危ないだろう!」
怒気をおびた低い声。
リリー。ただ名前を呼んでほしい。
それだけのため、二階から飛び降りるなんて馬鹿げている。
それでも小さな願いが叶ったことに思わず笑みが漏れた。
慌てて神妙な表情を取り繕ったものの、しっかり見られていたらしい。ルーカスはあきらめたようにため息をついた。
かれこれ注意を受けながらも、一週間に一回は飛び降りているのだから無理はない。
ルーカスはそっと地面にリリーを降ろした。
ちなみにこの動作もリリーが飛び降りを止められない理由の一つだ。
「怪我でもしたらどうするつもりですか。ほんと姫様子供の頃と何一つ変わりませんね、向こう見ずで無鉄砲。もう十六歳なんですから少しは自覚を持ってください」
すぐにいつもの調子に戻りこんこんと説教が繰り出される。
「そんなにイライラしていたら禿げるわよ」
「禿げません。それに俺の禿を心配してくださるのならこんな危険なことは二度としないでください。どこの世界に二階から飛び降りるお姫様がいるんですか。いいかげんにしないと嫁の貰い手がないですよ」
「最悪ルークに貰われてあげる」
「っな!」
一瞬瞠目し、そしてすぐにルーカスの顔が歪んだ。
「ルーク?」
名前を呼ぶも返事はない。そのまま背を向けすたすたと歩いていってしまう。
急いで小走りで追いかけるも、ルーカスは速度を緩めない。ルーカスの長い足で歩かれては二人の距離は開くばかりだ。
本気で怒らせた?
「待ってよ、ルーク! 冗談よ? 本当は最悪だって思ってないわ!」
ルーカスにまで見放されたらまた一人ぼっちに戻ってしまう。
十年前のリリーならば孤独にも耐えられただろう。
しかし、一度温かさを知ってしまったリリーには耐えられない。
話し相手のいる喜び、相手を想う楽しさ、その手の暖かさ。どれも一人ぼっちでは決して味わえない。
ルーカスがいない世界なんて、無意味だ。
「ねぇ、ルークってば!」
「……無理に決まってるだろう。一国の姫と従者が」
小さな呟きはリリーの耳には届かなかった。
「え?」
「姫様は残酷なほどに無垢です」
ようやく立ち止まったルーカスは怒っているというよりも、傷ついたような表情をしていた。
窓から見つけたルーカスの姿に名を呼ぶと琥珀色の双眸と目が合った。
十年前の雨の日、ルーカスと出会った日にその名を与えた。与えたというよりかは名が降ってきたといったほうが語弊がないのかもしれない。
光をもたらす人。ルーカスの名にはそんな意味がある。
身勝手にもルーカスに一筋の光となることを内心望んでしまったことは秘密だ。
リリーはずっと孤独だった。王宮はこれほど広く、たくさんの人がいるのにも関わらずだ。
もともと病弱だったらしい母は物心ついたときには死に別れ、何故か現国王である父からも、次の国王といわれている腹違いの兄からも疎まれていた。
国王から厳命が出ていたのか、処罰を恐れたのかは定かではないが、使用人たちもリリーを空気のように扱った。
何一つとして後ろ盾のない幼子が生きていくには、この王宮という場所は汚れ過ぎていたのかもしれない。
家族も友達も世話をしてくれるメイドさえもいない。そんなリリーにとってルーカスは唯一の友人であり、理解者、そして家族でもある。
「姫様、何かご用ですか」
そんな環境で生きてきたのだ。ルーカスの他人行儀な言葉に苛立ちを覚えたのは仕方のないことだった。
「ご用がないと呼んだらいけないの?」
そう言いながら窓枠に足をかけよじ登ると、ルーカスの眉間に皺が寄る。
「姫様、はしたないです」
いつからルークは姫様って呼ぶようになったんだっけ?
過去の記憶を手繰り寄せるも、はっきりとは思い出せない。だが、ここ数年名前で呼ばれていないことは確かだった。
一国の姫とその従者という関係性からすればこれが普通なのだ。それはリリーも理解していたが、十年前の雨の日、出会ってからの日々を考えると心の中では濁った不満が渦を巻く。
なによりもかけがえのない存在。
そう思っているのに……。
開け放たれた窓から身を乗り出す。
何度見てもここからの景色には馴染めない。ただ外を眺めている時は小さな草花に目が留まるのに、この時ばかりはそんなものは視界に入らなかった。無機質な地面が酷く遠くに感じられる。
「俺は受け止めませんよ。怪我したくなかったら部屋に戻ってください」
そう言いもってもルーカスは窓の下から動こうとしなかった。
本当に受け止める気がないのなら、どこかに行ってしまえばいいのに。
下でなにやら小言を呟いているルーカスを見ていると恐怖がすっと消えていく。
力一杯窓枠を蹴った。
ふわっとした感覚とともに体が宙に投げ出される。
「うおっ!」
焦ったルーカスの懐めがけ落ちていく体は、幾ばくか後すっぽりと両腕の中に納まった。
十年の間にすっかり逞しくなったルーカスは、二階から飛び降りたリリーを受け止めたくらいでは少しも揺らがない。
「リリー!! 危ないだろう!」
怒気をおびた低い声。
リリー。ただ名前を呼んでほしい。
それだけのため、二階から飛び降りるなんて馬鹿げている。
それでも小さな願いが叶ったことに思わず笑みが漏れた。
慌てて神妙な表情を取り繕ったものの、しっかり見られていたらしい。ルーカスはあきらめたようにため息をついた。
かれこれ注意を受けながらも、一週間に一回は飛び降りているのだから無理はない。
ルーカスはそっと地面にリリーを降ろした。
ちなみにこの動作もリリーが飛び降りを止められない理由の一つだ。
「怪我でもしたらどうするつもりですか。ほんと姫様子供の頃と何一つ変わりませんね、向こう見ずで無鉄砲。もう十六歳なんですから少しは自覚を持ってください」
すぐにいつもの調子に戻りこんこんと説教が繰り出される。
「そんなにイライラしていたら禿げるわよ」
「禿げません。それに俺の禿を心配してくださるのならこんな危険なことは二度としないでください。どこの世界に二階から飛び降りるお姫様がいるんですか。いいかげんにしないと嫁の貰い手がないですよ」
「最悪ルークに貰われてあげる」
「っな!」
一瞬瞠目し、そしてすぐにルーカスの顔が歪んだ。
「ルーク?」
名前を呼ぶも返事はない。そのまま背を向けすたすたと歩いていってしまう。
急いで小走りで追いかけるも、ルーカスは速度を緩めない。ルーカスの長い足で歩かれては二人の距離は開くばかりだ。
本気で怒らせた?
「待ってよ、ルーク! 冗談よ? 本当は最悪だって思ってないわ!」
ルーカスにまで見放されたらまた一人ぼっちに戻ってしまう。
十年前のリリーならば孤独にも耐えられただろう。
しかし、一度温かさを知ってしまったリリーには耐えられない。
話し相手のいる喜び、相手を想う楽しさ、その手の暖かさ。どれも一人ぼっちでは決して味わえない。
ルーカスがいない世界なんて、無意味だ。
「ねぇ、ルークってば!」
「……無理に決まってるだろう。一国の姫と従者が」
小さな呟きはリリーの耳には届かなかった。
「え?」
「姫様は残酷なほどに無垢です」
ようやく立ち止まったルーカスは怒っているというよりも、傷ついたような表情をしていた。
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