太陽と月のロンド ~国を追われた姫と獣の従者~

来栖アリス

文字の大きさ
上 下
3 / 7

あれから十年

しおりを挟む
「ルーク」
 窓から見つけたルーカスの姿に名を呼ぶと琥珀色の双眸と目が合った。

 十年前の雨の日、ルーカスと出会った日にその名を与えた。与えたというよりかは名が降ってきたといったほうが語弊がないのかもしれない。
 光をもたらす人。ルーカスの名にはそんな意味がある。
 身勝手にもルーカスに一筋の光となることを内心望んでしまったことは秘密だ。

 リリーはずっと孤独だった。王宮はこれほど広く、たくさんの人がいるのにも関わらずだ。
 もともと病弱だったらしい母は物心ついたときには死に別れ、何故か現国王である父からも、次の国王といわれている腹違いの兄からも疎まれていた。
 国王から厳命が出ていたのか、処罰を恐れたのかは定かではないが、使用人たちもリリーを空気のように扱った。

    何一つとして後ろ盾のない幼子が生きていくには、この王宮という場所は汚れ過ぎていたのかもしれない。
 家族も友達も世話をしてくれるメイドさえもいない。そんなリリーにとってルーカスは唯一の友人であり、理解者、そして家族でもある。

「姫様、何かご用ですか」
 そんな環境で生きてきたのだ。ルーカスの他人行儀な言葉に苛立ちを覚えたのは仕方のないことだった。
「ご用がないと呼んだらいけないの?」
 そう言いながら窓枠に足をかけよじ登ると、ルーカスの眉間に皺が寄る。
「姫様、はしたないです」

 いつからルークは姫様って呼ぶようになったんだっけ?
 過去の記憶を手繰り寄せるも、はっきりとは思い出せない。だが、ここ数年名前で呼ばれていないことは確かだった。

 一国の姫とその従者という関係性からすればこれが普通なのだ。それはリリーも理解していたが、十年前の雨の日、出会ってからの日々を考えると心の中では濁った不満が渦を巻く。
 なによりもかけがえのない存在。
 そう思っているのに……。

 開け放たれた窓から身を乗り出す。
 何度見てもここからの景色には馴染めない。ただ外を眺めている時は小さな草花に目が留まるのに、この時ばかりはそんなものは視界に入らなかった。無機質な地面が酷く遠くに感じられる。

「俺は受け止めませんよ。怪我したくなかったら部屋に戻ってください」

 そう言いもってもルーカスは窓の下から動こうとしなかった。
   本当に受け止める気がないのなら、どこかに行ってしまえばいいのに。
   下でなにやら小言を呟いているルーカスを見ていると恐怖がすっと消えていく。

   力一杯窓枠を蹴った。
 ふわっとした感覚とともに体が宙に投げ出される。
「うおっ!」
 焦ったルーカスの懐めがけ落ちていく体は、幾ばくか後すっぽりと両腕の中に納まった。
 十年の間にすっかり逞しくなったルーカスは、二階から飛び降りたリリーを受け止めたくらいでは少しも揺らがない。

「リリー!! 危ないだろう!」
 怒気をおびた低い声。
 リリー。ただ名前を呼んでほしい。
 それだけのため、二階から飛び降りるなんて馬鹿げている。
 それでも小さな願いが叶ったことに思わず笑みが漏れた。
 慌てて神妙な表情を取り繕ったものの、しっかり見られていたらしい。ルーカスはあきらめたようにため息をついた。
 かれこれ注意を受けながらも、一週間に一回は飛び降りているのだから無理はない。
 
 ルーカスはそっと地面にリリーを降ろした。
 ちなみにこの動作もリリーが飛び降りを止められない理由の一つだ。

「怪我でもしたらどうするつもりですか。ほんと姫様子供の頃と何一つ変わりませんね、向こう見ずで無鉄砲。もう十六歳なんですから少しは自覚を持ってください」
 すぐにいつもの調子に戻りこんこんと説教が繰り出される。

「そんなにイライラしていたら禿げるわよ」
「禿げません。それに俺の禿を心配してくださるのならこんな危険なことは二度としないでください。どこの世界に二階から飛び降りるお姫様がいるんですか。いいかげんにしないと嫁の貰い手がないですよ」
「最悪ルークに貰われてあげる」
「っな!」
 一瞬瞠目し、そしてすぐにルーカスの顔が歪んだ。
「ルーク?」
 名前を呼ぶも返事はない。そのまま背を向けすたすたと歩いていってしまう。
 急いで小走りで追いかけるも、ルーカスは速度を緩めない。ルーカスの長い足で歩かれては二人の距離は開くばかりだ。

 本気で怒らせた?

「待ってよ、ルーク!   冗談よ?   本当は最悪だって思ってないわ!」
 ルーカスにまで見放されたらまた一人ぼっちに戻ってしまう。
 十年前のリリーならば孤独にも耐えられただろう。
 しかし、一度温かさを知ってしまったリリーには耐えられない。
 話し相手のいる喜び、相手を想う楽しさ、その手の暖かさ。どれも一人ぼっちでは決して味わえない。
 ルーカスがいない世界なんて、無意味だ。
「ねぇ、ルークってば!」
「……無理に決まってるだろう。一国の姫と従者が」
 小さな呟きはリリーの耳には届かなかった。
「え?」
「姫様は残酷なほどに無垢です」

 ようやく立ち止まったルーカスは怒っているというよりも、傷ついたような表情をしていた。

 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

蔑ろにされた王妃と見限られた国王

奏千歌
恋愛
※最初に公開したプロット版はカクヨムで公開しています 国王陛下には愛する女性がいた。 彼女は陛下の初恋の相手で、陛下はずっと彼女を想い続けて、そして大切にしていた。 私は、そんな陛下と結婚した。 国と王家のために、私達は結婚しなければならなかったから、結婚すれば陛下も少しは変わるのではと期待していた。 でも結果は……私の理想を打ち砕くものだった。 そしてもう一つ。 私も陛下も知らないことがあった。 彼女のことを。彼女の正体を。

攻略対象の王子様は放置されました

白生荼汰
恋愛
……前回と違う。 お茶会で公爵令嬢の不在に、前回と前世を思い出した王子様。 今回の公爵令嬢は、どうも婚約を避けたい様子だ。 小説家になろうにも投稿してます。

果たされなかった約束

家紋武範
恋愛
 子爵家の次男と伯爵の妾の娘の恋。貴族の血筋と言えども不遇な二人は将来を誓い合う。  しかし、ヒロインの妹は伯爵の正妻の子であり、伯爵のご令嗣さま。その妹は優しき主人公に密かに心奪われており、結婚したいと思っていた。  このままでは結婚させられてしまうと主人公はヒロインに他領に逃げようと言うのだが、ヒロインは妹を裏切れないから妹と結婚して欲しいと身を引く。  怒った主人公は、この姉妹に復讐を誓うのであった。 ※サディスティックな内容が含まれます。苦手なかたはご注意ください。

呪いを受けて醜くなっても、婚約者は変わらず愛してくれました

しろねこ。
恋愛
婚約者が倒れた。 そんな連絡を受け、ティタンは急いで彼女の元へと向かう。 そこで見たのはあれほどまでに美しかった彼女の変わり果てた姿だ。 全身包帯で覆われ、顔も見えない。 所々見える皮膚は赤や黒といった色をしている。 「なぜこのようなことに…」 愛する人のこのような姿にティタンはただただ悲しむばかりだ。 同名キャラで複数の話を書いています。 作品により立場や地位、性格が多少変わっていますので、アナザーワールド的に読んで頂ければありがたいです。 この作品は少し古く、設定がまだ凝り固まって無い頃のものです。 皆ちょっと性格違いますが、これもこれでいいかなと載せてみます。 短めの話なのですが、重めな愛です。 お楽しみいただければと思います。 小説家になろうさん、カクヨムさんでもアップしてます!

婚約者の不倫相手は妹で?

岡暁舟
恋愛
 公爵令嬢マリーの婚約者は第一王子のエルヴィンであった。しかし、エルヴィンが本当に愛していたのはマリーの妹であるアンナで…。一方、マリーは幼馴染のアランと親しくなり…。

リリーの幸せ

トモ
恋愛
リリーは小さい頃から、両親に可愛がられず、姉の影のように暮らしていた。近所に住んでいた、ダンだけが自分を大切にしてくれる存在だった。 リリーが7歳の時、ダンは引越してしまう。 大泣きしたリリーに、ダンは大人になったら迎えに来るよ。そう言って別れた。 それから10年が経ち、リリーは相変わらず姉の引き立て役のような存在のまま。 戻ってきたダンは… リリーは幸せになれるのか

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

冤罪から逃れるために全てを捨てた。

四折 柊
恋愛
王太子の婚約者だったオリビアは冤罪をかけられ捕縛されそうになり全てを捨てて家族と逃げた。そして以前留学していた国の恩師を頼り、新しい名前と身分を手に入れ幸せに過ごす。1年が過ぎ今が幸せだからこそ思い出してしまう。捨ててきた国や自分を陥れた人達が今どうしているのかを。(視点が何度も変わります)

処理中です...