太陽と月のロンド ~国を追われた姫と獣の従者~

来栖アリス

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太陽と月の出会い2

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 野次たちの足元をぬい、かき分け、足早にやってくる少女はひどく小さい。おそらく年下と思われる少女は男の前に堂々と立ちふさがる。

 馬鹿なのか。殺されたくなかったら逃げろ。

「ばっ……に、げ」
 やっとの思いで声を絞り出すと、「まかして」と言わんばかりの笑顔で少女がこちらを振り返った。
 身に着けているドレスの華やかさからして、おそらく貴族の子どもだろう。だからといって、少女が単身立ちふさがったところで何の抑止力にもなりはしない。

「嬢ちゃん、どきな」
「下らないからやめなさいと言ったのが聞こえなかったのかしら?」
 堂々と男を見上げる少女は溢れんばかりの威厳を放つ。
「図に乗りやがって」

 この時ばかりは男と同意見だった。
    助けてくれるのはありがたいが、ここはお嬢様の我儘がすべてまかり通るお屋敷の中ではないのだ。大人たちがみんな意のままに動くと思ったら大間違いだ。御付きのものもつけず、呑気に歩いていい場所ではない。

「死にたくなかったら逃げろ」
「獣の方がよっぽど物わかりがいいじゃねぇーか。いいか、嬢ちゃん。そいつは俺に殺されることが決まってんだ」

 少女がまだ殺されていないのは貴族だからからだ。
    どんなに馬鹿でも貴族に手を出すとまずいことはわかっているらしい。そうはいっても、ウジ虫並みの男の理性がいつまでももつとは思えなかった。

「随分と勝手ね」
「勝手じゃねーよ。嬢ちゃんは知らねーかもしれねーけど犬は病原菌を運ぶんだ。つまりそいつが生きてるだけで罪なんだよ」

 犬に噛まれると、ときたま病気を発症する人がいる。獣人に噛まれ病気になったという話は聞いたことがないが、戦争や飢饉で多くの人が死ぬ時代。弱い人間が恐れるのも無理はないのかもしれない。
「知っているわ。あなたこそ知っているのかしら。多くの病気は血液からうつるの。あなたが彼を切り殺せばたくさんの血が流れる。そうしたらここにいる人たちはどうなるかしら?」
 少女は静かに微笑みながら群衆を見回す。

「うわぁぁぁぁぁ」
 意外にも一番に逃げ出したのはウジ虫男だった。
 それを皮切りに人々は散り散りに走って行く。最後の一人が見えなくなったとたん、少女はぺたんとその場に崩れ落ちた。
「怖かったぁー」
 湿り気を含んだ声音は先ほどと打って変わって頼りない。それでも落ち着きを取り戻そうといわんばかりに少女は胸をおさえ深呼吸を繰り返した。

 曇天はいつの間にか雨空に変わり、ぽつぽつと頬に水滴が落ちる。その雨粒の冷たさにはっとして立ち上がった。

「どこ行くの?」
 ふらふらとしながらも歩きだすと、少女が追いかけてくる。
「俺にさわるな!」
 掴まれた手を強引に振り払うと、少女は一瞬表情を固くした。
「あ……、悪い。お前ももう帰れ。俺の近くにいたら病気になる」

 少女は不思議そうに首を傾げると、無数の傷から流れる血に目を止めた。

 犬が感染源といわれている病気で誰が死んでも構わなかったが、助けてもらった手前この女の子にうつしてしまうことは忍びなかった。八年間生きてきて誰かに病気をうつしたという自覚はない。それでも万が一を考えると危険は避けた方がいい。

「ごめんなさい。さっきの出鱈目なの。本当は血で病気がうつるかなんて知らないし、そんな病気があることも今日知ったわ。でもそう言えば、みんなが怖がると思ったの。不快な思いをさせてしまって本当にごめんなさい」
「へ?」
 捲し立てる少女に間抜けな声が漏れた。
 この子は何の根拠もなくあれほどの威厳を振りまいていたのか。
「まぁ、終わり良ければ総て良し! それにあなたの血から病気が移るなら、疾うにみんな病気のはずよ」

 少女の手が額の古傷にそっと触れた。それは一カ月前に殴られたものだ。大きな怪我ではなかったが、頭というだけあって出血量は多かった。
 嘘をつらつらと並べながらも、この少女の観察力は鋭い。

「私はリリー・レイヴンフォード」
 レイヴンフォードという姓には聞き覚えがあった。知人もいないのに、聞き覚えがあるというのも不思議な話だ。
「それであなた名前は?」
「……犬?」
 しばらく考えてそう答えた。今まで名前なんて呼ばれた記憶はない。実のところ狼の獣人にもかからず犬と連呼されてきた。

「それは名前じゃないじゃないでしょう。名前がないなら私がつけてあげる、そうね……」
 少女と一拍間視線が絡む。
「ルーカス! どうかしら? いい名前だと思わない。太陽みたいな瞳の色にぴったりでしょう」
「太陽……」
「そう太陽! 綺麗な琥珀色。こんなに雨が降っているのにルーカスの瞳は日の光を宿している」

 そう言いながら天を仰ぐリリーの方が綺麗だと思った。口にこそ出さなかったが、白銀の髪が優しく降りそそぐ月光に見えた。

 全身に雨を受け優雅に微笑むリリーを見た瞬間、いままで感じたことのない気持ちに支配された。
これまでさんざん気味悪がられてきた瞳を褒められたからか。はたまた不思議な魅力を感じたのか。こんなにも強く誰かを欲したのは初めてだった。

「俺、リリーの犬になる。必要なら盾にも剣にもなる。だから俺を側において」
 唐突に告げ、跪くとリリーの手の甲に口付けた。



 これがリリーとルーカスの出会いだった。
 そして、この出会いを後に後悔することになるとは当時の二人は知る由もなかった。
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