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中国と親交を持とうとすると… 対して、アメリカと協力体制が確立すると…

アメリカとトルコ

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Rikkyo American Studies 40 (March 2018) Copyright © 2018 The Institute for American Studies, Rikkyo University

なぜアメリカとトルコの関係は悪化したのか

執筆者  今井宏平 IMAI Kohei


はじめに

 トルコとアメリカの関係は大きな転換期を迎えているのかもしれない。冷 戦期においてはソ連、冷戦後の 1990 年代以降は不安定な中東情勢に対応す るため、トルコとアメリカは常に密接な関係を模索してきた。とはいえ、両 国の関係が悪化したことがなかったわけではない。1960 年代から 70 年代に かけて米ソ・デタントが進展した時期、2003 年 3 月初旬にトルコがイラク 戦争で多国籍軍に協力しないことを決定した際、そして 2013 年夏にシリア のバッシャール・アサド政権の化学兵器使用疑惑が持ち上がった時にオバマ 政権が強硬策にでない決定を下した際、などである。このようにみると、こ れまでの両国関係の悪化は特定の政権によるのではなく、国際情勢の変化に よって生じていることがわかる。それに対して、2017 年におけるトルコとア メリカの関係悪化は明らかにトランプ政権の誕生に起因しているように見え る。本稿では、これまでのトルコとアメリカの関係を概観したうえで、2017 年におけるトルコとアメリカ関係悪化の原因は本当にトランプ政権なのだろ うか、という点について検証する。


1. トルコとアメリカの関係概観
 トルコとアメリカの関係は第二次世界大戦後から始まり、概ねその関係は 良好であった。ただし、もちろん両国関係にはいくつかの浮き沈みがあっ た。この章では、両国関係が特に密接になった時期と悪化した時期について 概観していきたい。


(1)冷戦初期における脅威認識の共有  

トルコにとってアメリカが欠かせない同盟国となったのは、冷戦初期で あった。その背景には、トルコとソ連の関係悪化があった。1945 年の 3 月 と 6 月、トルコはソ連と中立・不可侵条約の継続について三度にわたり協議 を行った。この協議を通して、トルコ政府はソ連がロシアの伝統的な南下 政策に回帰し、黒海から地中海に抜けるトルコ領のボスポラス海峡とダーダ ネルス海峡の支配を目指していると認識した。6 月 7 日の 2 度目の協議にお いて、ソ連のヴァチェスラフ・モロトフ外相はトルコ政府に対して、(i)ロ シアは 1921 年にトルコに譲渡したカルスとアルダハンの返却を要求する、
(ii)トルコはトルコ海峡にソ連の基地を建設することに同意すべきである、 (iii)両国間でボスポラス海峡とダーダネルス海峡の通行に関して 1936 年 に締結されたモントルー条約を刷新することに合意すべきである、という要 求を突きつけたのである[Kuniholm 1980: 257-258]。ソ連のこうした積極 的な動きは、結果的にトルコをアメリカとイギリスをはじめとした西側に接 近させるきっかけとなった。  ソ連の南下政策に関しては、イギリスのウィンストン・チャーチルが第 二次世界大戦の末期からその危険性を指摘しており、第二次世界大戦後に は 1946 年 3 月の「フルトン演説」でソ連の拡大政策を牽制していた。しか し、拡大阻止の意志はあってもそれを実際に防ぐ能力は当時のイギリスには 欠けていた。そこでトルコが頼ったのが、第二次世界大戦後に超大国と呼べ る存在となったアメリカであった。アメリカもソ連による共産主義圏拡大の 動きを警戒しており、両国の思惑が一致した。アメリカは、1944 年に心筋 梗塞で死去したトルコの駐米大使メフメット・エルテギュンの遺体を、1946 年 4 月 6 日に戦艦ミズーリに乗せてイスタンブルに送り届けたが、この行為 は両国関係が密接になっていることを象徴した出来事と言われている[Hale 2013: 82]。1947 年 3 月には、アメリカ大統領ハリー・トルーマンが、「トルー マン・ドクトリン」の名で知られるギリシャ・トルコ援助法を議会に提出し た。これは、ソ連の拡大を防ぐために、ギリシャとトルコが共産主義の手に 落ちないよう経済と安全保障の分野で援助しようという趣旨のもので、ギリ シャへ 3 億ドル、トルコに 1 億ドルの総額 4 億ドルの援助が決定した。トルコは、翌1948年にアメリカで施行された西欧諸国の戦後復興を目指す「マー シャル・プラン」による援助も受けた。また、アメリカはトルコの軍事援助 にも力を入れ、1948 年 3 月には最初の訓練部隊がトルコに派遣された。そ の後、トルコは 1952 年に北大西洋条約機構(NATO)の第一次拡大でギリ シャとともに NATO に加盟している。  この時期、両国の関係を深化させたのは紛れもなく、ソ連に対する共通の 脅威認識であった。トルコにとって超大国アメリカはソ連の脅威に対抗でき る唯一の国家であり、一方のアメリカにとってトルコはソ連と陸続きで接す る対ソ戦略上重要な国家であった。例えば、アメリカとトルコは 1954 年 12 月にトルコのアダナ県に建設されたインジルリック(İncirlik)空軍基地を 共同で使用する条約に調印した[Bölme 2012: 203]。インジルリック基地は その後、対ソ連政策の最前線の基地となり、冷戦後は不安定化する中東情勢 に対応するための基地として重宝された。


※  後文略




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