緊急地震対策

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新潟県中越沖地震

2007年に日本の新潟県で発生した地震


新潟県中越沖地震(にいがたけんちゅうえつおきじしん)は、2007年(平成19年)7月16日10時13分23秒 (JST) に発生した、新潟県中越地方沖を震源とする地震である。地震の規模を示すマグニチュード (M) は6.8、最大震度は6強。

中越地方では2004年(平成16年)の新潟県中越地震以来のマグニチュード6以上および震度5弱以上を観測した地震となった。



首相官邸・内閣府

※首相官邸、日経新聞、毎日新聞、産経新聞などによる

16日

10時15分 - 首相官邸内の危機管理センターに官邸対策室を設置

10時17分 - 第21回参議院議員通常選挙の遊説を沖縄で行う予定で長崎県に滞在していた安倍晋三内閣総理大臣に一報が入る。首相は「被害状況を早急に確認し、被災者の救出に全力を挙げるように」と指示

10時29分 - 長崎市公会堂で街頭演説。「直ちに対策のため東京に戻る必要があるのでここで失礼します」と1分半で演説を打ち切る

10時31分 - 首相、空港に向かうため出発

10時35分 - 塩崎官房長官が官邸入り

10時59分 - 首相、長崎空港着

11時00分 - 首相、秘書官から状況報告を受ける

11時55分 - 官房長官が記者会見で「政府一体となって対応にあたっている」と述べる

12時08分 - 首相に対する報告終了

12時22分 - 首相、全日空3736便で長崎空港を出発

13時19分 - 政府調査団(団長・溝手顕正防災担当相)が自衛隊ヘリで防衛省発

13時53分 - 首相、羽田空港着

14時03分 - 首相、空港発

14時24分 - 首相、官邸に到着し、危機管理センターで打ち合わせ(~39分)

14時58分 - 首相、官邸エントランスで記者団に「現地に行き、この目で状況を確かめたい」と述べる

15時05分 - 自衛隊ヘリで官邸発

16時33分 - 首相、新潟県柏崎市の佐藤池運動広場に到着

17時01分 - 柏崎刈羽原発隣接の東京電力施設着

17時13分 - 首相、柏崎刈羽原発を視察

17時38分 - 柏崎市役所で泉田裕彦新潟県知事、会田洋柏崎市長らと会談(~52分)

18時05分 - 柏崎小学校で被災者を慰問

18時49分 - 徒歩で小学校発

18時58分 - 柏崎市役所に到着、記者団のインタビュー(~19時00分)

19時00分 - 市役所で太田公明党代表と会談(~1分)

19時02分 - 市役所を出発

19時12分 - 柏崎の佐藤池運動広場に到着

19時22分 - 首相、自衛隊のヘリで同広場を発つ。甘利明経済産業大臣、溝手災害担当大臣同行

20時40分 - 首相、官邸着

21時03分 - 新潟県中越沖地震に関する災害対策関係閣僚会合を開く

21時23分 - 首相、官邸を出発



防衛省

16日
10時49分 - 陸上自衛隊第12旅団長が新潟県知事からの災害派遣要請を受理し、現地に隊員と航空機を派遣

自衛隊

7月16日10時49分新潟県知事から自衛隊に災害派遣要請が出され活動開始。

派遣(展開・活動)規模は7月16日時点での人員約490名、車両約190両、艦船9隻、航空機23機、給水量約42トン、給食量約3600食から始まり、人員のピークは7月21日の3990名、投入車両のピークは7月25日の1470両、給水量のピークは7月23日の約2000トン、給食量のピークは7月19日の72500食をそれぞれ記録している。

しかし8月以降はインフラの復旧に伴い漸次減少に転じ、8月27日には人員約160名、車両約110両、航空機20機、給水量約15トン、入浴者数約240人となった。8月29日には新潟県知事から撤収要請がなされ災害派遣活動を終了した。

この間の派遣規模(延べ数)は人員約92400名、車両約35100両、艦船95隻 航空機1184機[G 17]。

自衛隊の活動は最初期においては偵察活動による状況把握、人命の救出、負傷者の介護、その後、救援物資の輸送をへて、給水、給食、入浴支援活動へと推移した。

自衛隊による給食活動は、水道ガスの復旧、食料品店、飲食店の営業再開の進捗により8月12日を最後に終了した。

以降、避難所に居る被災者やガスが未開通で食事の準備が不可能な住民には、自治体が地元業者から購入した弁当が支給されることとなる。

避難所への弁当の輸送は自衛隊が行った。
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