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核を使わず、電磁波でプレートに衝撃を与える。
ハンガリー陰謀団
しおりを挟む※ こちらもウィキペディアより転載
ハンガリー陰謀団
中性子による原子核の連鎖反応によって莫大なエネルギーを解放するというアイデアと、それによる核戦争の危機に最も早く気づいたのはシラードであり、実験的にウランからの複数の二次中性子が確認された1939年3月のおよそ6年前、彼がナチス・ドイツから亡命して間もない1933年であった[10]。 ナチスが原爆を保有することを恐れたシラードは、やがてそれに対抗するためにはアメリカが先に原爆を保有するしかないと考え、それ以来、一刻も早い連鎖反応の実現を急いでいた。
天然ウランを用いて、放出される二次中性子を連鎖反応として維持するためには、中性子をあまり吸収せずに速度をさげる適切な減速材を見つけ出すことが必要であった。 コロンビア大学のエンリコ・フェルミとともに連鎖反応の実現に向けて研究を続けていたシラードは、1939年7月ごろには黒鉛を減速材とすることが有望であると考えるようになっていたが、それを実証する実験のための資金は不足していた。 これに先立つ5月には、シラードらはすでにアメリカ陸軍と海軍に資金援助を募っていたものの果たせずに終わっていた[11]。
このころ、いずれもハンガリー生まれの亡命物理学者であったシラード、ユージン・ウィグナー、エドワード・テラーの3人はこの連鎖反応がもたらしうる未来を度々議論していた。 この3人はアインシュタインへ手紙を依頼したことにより後にハンガリー陰謀団と冗談めかして呼ばれることになる。 こうした話し合いの中で、ウィグナーは特にこの問題をアメリカ政府へ早急に訴えることが必要だと主張し、このため資金の調達も含め政府との橋渡しとなる人物探しが行われることとなった。 また、ベルギー領コンゴで採掘されている良質のウランがナチスの手に渡ることへの懸念も表明された[12]。 ウィグナーは後に「核兵器が開発されたなら、いかなる2つの大国も、それらを統べる上位の権威機関によって軍事力がコントロールされない限り平和を保つことはできなくなると我々は悟り、もしそれが核戦争を廃絶するほど十分有効なものとなるなら、あらゆる形の戦争をも根絶するのに有効なものとなるだろうと期待した」とし「この期待が、敵の原爆の犠牲となる恐怖と同じぐらいに強く自分たちを駆り立てた」のだと当時の動機について語っている[13]。
シラードとウィグナーはドイツ時代にアインシュタインの教え子であったことがあり、特にシラードはアインシュタインの家を度々訪ね、連名で発明の特許を取得するなど深い付き合いをしていた[14]。 こうしたことから、シラードはアインシュタインがベルギーのエリザベート王太后と面識があることを知っていた。 こうして、ロング・アイランドの別荘へアインシュタインを訪ね、コンゴのウラン鉱石の問題に関してエリザベートへ警告してもらうことが提案された[15]。
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