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鏡子 (きょうこ)

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マイクロソフトが、どんなにジャイアントになろうとも、だいだらぼっちには、敵うはずがない。

ただの偶然であり得ない。

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仏教とキリスト教

ガウタマ・ブッダとイエス・キリストの間には、そして仏教とキリスト教の間には類似点が見いだせるため、両者の間に関係があるかどうかが考察されている。両者間の類似は、ヘレニズム世界とインド亜大陸の文化的交流に起因すると推測されている。

仏教とキリスト教の起源

イスラエルでキリスト教が生まれ、原始キリスト教が興隆した時期の500年ほど前に、仏教がインドで生まれている。仏教もキリスト教も、今日、起源の地において信者の人数の上では非常に減少している。(→仏教の西域伝播については仏教#部派仏教を参照)


類似点

文化的交流において言及される類似点 編集
プラノ・カルピニやウィリアム・ルブルックといった13世紀の国際的な旅行家たちは、仏教の聖典、教義、聖人、禁欲生活、瞑想の実践、また儀式は、キリスト教のそれに匹敵し、そしてまた、ネストリオス派キリスト教の共同体は、伝統的に仏教徒の共同体と非常に近接していたと報告している。16世紀前半にヨーロッパのキリスト教徒が仏教とより直接的に交流するようになると、多くのカトリックの宣教師(例えばフランシスコ・ザビエル)が仏教に関する牧歌的な報告を本拠地に送った。しかしながら同時期に、スリランカへのポルトガル人入植者たちが宣教師と全面的に協力し、スリランカ中の仏教徒の財産を没収している。このスリランカにおける仏教抑圧は続くオランダやイギリスの統治下でも続いた。ポルトガルの歴史家ディエゴ・デ・コントはヴァティカンにヨサファトは実際にはブッダであることを連想させた。

18世紀後半にヨーロッパの大学で仏教の研究が始まり、続いて仏教のテクストが利用可能になると、仏教との適切な邂逅に関する議論が始まった。仏教の教えや慣習が尊重されるようになり、19世紀末には西洋人で初めての仏教への改宗者(例えばサー・エドウィン・アーノルドやヘンリー・スティール・オルコット)が現れ、20世紀初めには西洋人で仏教の修道生活を行うもの(例えばチャールズ・ヘンリー・アラン・ベネット(英語版)やニヤーナティロカ(英語版))が現れた。

20世紀にトーマス・マートン(英語版)、ウェイン・ティーズデイル(英語版)、デイヴィッド・スタインドル=ラストといった、キリスト教の修道僧やかつての修道女カレン・アームストロング(英語版)とプッタタート、ティク・ナット・ハン、ダライ・ラマ14世といった仏教の修道僧が宗教間対話に力を注いだ。彼らはそれぞれ、イエスと仏陀の、別の方法の全く異なる教えの中には、病んだ世界に対して深い治療法を与える可能性のある知見と、目的の基本的な共通性を見出している。仏教とキリスト教の出会いは、数百年かかって20世紀の重要な出来事だと考えられるようになったのではないか、と世界文化史家アーノルド・J・トインビーは推測している。


19世紀に、ヨーロッパの学者たちによるアジアの文化・宗教の研究が始まると、仏教とキリスト教の間に見出せる類似点に注意が向けられた。

歴史家のジョージ・スタンリーは彼の著書『The Origin of Pagan Idolatry Ascertained from Historical Testimony』において以下のように述べている。

イエスとブッダの間には強い類似点があり、ただの偶然としてはあり得ない[9]。
トマス・トウィードは1879年から1907年にかけて「様々な定期刊行物の中で[…]仏教とキリスト教の相似点や、あり得る歴史的な影響に関するたくさんの情熱的な議論」があったと言及している[要出典]。

1883年に、東洋学と比較宗教学の草分けであるマックス・ミュラーがこう力説している:

仏教とキリスト教が驚くほど一致していることは否定できない。そして、同様に仏教がキリスト教より少なくとも400年以上前に存在していたことも認められるに違いない。さらに、仏教が初期キリスト教に影響を与えた歴史的経路を誰かが私に教えてくれれば、私はきっと非常に感謝するだろう。
ミュラー自身は、イエスの教えが仏教の経典に優先することを示そうとしたと述べている。しかし、ミュラーは著書の中で反キリスト教的な動機を持っていたとしばしば批判されており、このことが先入観のない研究よりも、むしろ彼の隠れた意図を浮き彫りにしている推測される。

19世紀終わりには、ルドルフ・ザイデルが仏教とキリスト教の寓話と教えの中に50の類似点を見出している。

1918年、エドワード・ウォッシュバーン・ホプキンスは以下のようにさえ言っている。

「結局、イエスの生涯、誘惑、奇跡、寓話、そして弟子までもが直接に仏教に由来するのだ」
20世紀初めには、仏教に対する関心は幾分か衰えた。アルベルト・シュヴァイツァーの出した結論は人々に好まれてきたようである:広範な文化を通じての何らかの間接的な影響は

本質的にありえなくはないが、[イエスの新しい思想が仏教からの直接的な借り物だという仮説は]証明されていなし、証明不可能であるし、とても考えられない。

近年の研究

近年の研究でも、仏教とキリスト教の間に見出せる類似点が指摘されている。

仏教からキリスト教が相当量の借り物をした、とザカリアス・P・サンディは結論付けている。彼はイエスを、ユダヤ人とも仏教徒とも、またユダヤ人仏教徒ともレッテルをはるのを好まず、そういった区別は「曖昧だ」と主張している。サンディはさらに、東西交流の長い歴史があったことを主張し、イソップ寓話のような西洋の寓話とダニエル書に付属しているスザンナの物語は、もともと仏教のジャータカであったことを示している。

ブッダとイエスの相似 編集
詳細は「ブッダとイエスの相似」を参照

福音書 編集
ブルクハルト・シェーラーは以下のように述べた:

[…]福音書に対する仏教の強い影響に注意することが重要である[…]数百年以上前から、仏教の福音書に対する影響が知られ、両宗教の学者によって認められてきた。

彼はジョン・ダンカン・マーティン・デレットの研究『The Bible and the Buddhist』の結論に同意し、「私は多くの仏教説話が福音書に含まれていることを確信した」と書いている。

クリスチャン・リントナーは、パーリ語仏典およびサンスクリット仏典をギリシア語の福音書と比較し、四つの福音書はゲマトリアの音価、地口、対応する音節に基づいてより古い仏教経典から改良されたものだと結論した。彼の著作を精査したものは、ギリシア語とサンスクリットが同語族であるために、彼のゲマトリアの音価や対応する音節は一致し、彼の地口が存在するのだと主張した。彼の著作を支持するものは、発見は独自の物であり、関係の見いだせない文学に関しては同様の発見はできないと主張している。

イエスの福音はイエスの父の名前を隠すために非常に寓意的・神秘的であった、とダニエル・ホプキンスは主張しており、ホプキンスはイエスの父をブッダの名前で呼んでいる。

生誕の話

東洋学者のサミュエル・ビール(1825年-1889年)は、仏陀の生誕の話は西洋でもよく知られており、イエスの生誕の話に影響した可能性があると力説している:

ブッダの生涯の顛末を読んでいると、福音書に描写された、私たちの救世主の生涯の多くの状況を思い出さずにはいられない。仏教に味方して、救世主の考えや人の救済を得るための宣教と同程度に維持された哲学・宗教体系はかつて存在しなかった。 […]こういった福音書の説話との一致点は好奇心を喚起し説明を要求する。紀元後の数世紀間、東洋で[ブッダの伝説]が知られていなかったことを証明できれば、説明は簡単になるだろう。しかしそれに反して私たちが証明した証拠は全て[…]」(Samuel Beal, [要出典] pp. viii-ix.)

幼少期の話

ルカの福音書に記されたイエスの幼少期の顛末(1世紀)を、大乗仏教の普曜経(3世紀)に記された、ブッダの幼少期の顛末と比較する者もいる。

奇跡の話

詳細は「ガウタマ・ブッダの奇跡」を参照

パウル・カルスは仏教とキリスト教を比較して、イエスとブッダはどちらも師への信頼のみによって水上を歩いたとされていることを看取した[要出典]。さらに、ブッダの弟子にもイエスの弟子にも水上を歩いたとされるものがいる。

R・シュテーリーはペテロの水上歩行と仏教徒『ジャータカ』での水上歩行に関して六つの相似点を挙げた。

R・フォン・ガルベも、物語におけるたくさんの相似点はインドの伝説からキリスト教が借り物をしているからだと考えた。

ジャータカの物語に加えて、R・C・アモーレは、ブッダ自らが超自然的な能力を現している『Book of the Discipline, IV』、『Mahavagga』の第1章について詳しく説明した。アモーレは、イエス自身が仏教の教えに影響されていて、仏教の要素がキリスト教の発展にも影響を与えたと考えている。

仏教徒のイエスに対する考え

ダライ・ラマ14世を含む何人かの仏教徒は、イエスを人の幸福のために身をささげたボーディ・サットヴァだとみなしている:

イエス・キリストも過去世を生きました。だから、ご承知の通り、彼は仏教の実践を通じてボーディ・サットヴァ、つまり啓蒙された人間と同じ高みに到達したのです。


イエスもブッダも、当時の一般的な宗教的慣習に代わる過激な教えを唱道した。彼らが反対する宗教的権威に言及するとき、盲人の列という一般的なメタファーの使用のような類似が時々見られる(ディーガニカーヤ 13.15, マタイによる福音書 15:14)。仏教徒の中には、仏教(あるいは一般的に東洋の精神的な思想)とトマスによる福音書のようなグノーシス主義のテクストの教義の間に、特に強く類似が見られると考えている者もいる。ただし、トマスによる福音書は外典である。

14世紀の禅僧である峨山韶碩は、弟子の一人が福音書に含まれる物語を読んだ際、福音書は悟りを得た存在によって書かれたものであることを指し示した:

「そしてなぜあなたがたは着る物の心配をするのか。野に咲く百合の花を考えてみよ、それらがいかに育つのかを。彼らは骨折って働くわけでも、紡ぐわけでもない。さらに私はあなた方に言う。栄華を極めたソロモンですら、百合の花ほども着飾らなかった[…]それゆえ明日のことなど考えるな、というのは明日には明日の考えがあるからだ」
峨山は言った:「私はこのような言葉を発する者は、誰であろうとも悟りを得た者だと見よう。」
マリア 編集
ブッダの生誕物語はヘレニズム世界でも知られていた:『Archelaos of Carrha』(278 CE) の断片はブッダの処女出産に言及している。

摩耶夫人は予言的な夢を見た後にブッダを孕んだ。その夢の中で彼女は、ボーディ・サットヴァ(仏になる者)が兜率天から彼女の胎内へ、白い小象の姿をとって入っていくのを見た。この話は、おとめマリアが見た聖霊の幻視と関連付けられているというイエスの物語と、いくつかの相似点がある。

Andre Grabarは、処女マリアが二人の訪問者に脇を抱えられているという古典的な情景は、摩耶夫人が出産するという同様の仏教のテーマのようなより古い図から影響を受けているとしている。

マリアがイエスに母乳を飲ませる図は、西洋では5-6世紀まで知られていなかったが(サッカラで彫られたフリーズが初出とされる)、ハーリティーが子に乳をやり、ヘレニズム風の衣装を着ているというガンダーラのギリシャ様式仏教芸術と結びつけられてきた。



観音菩薩と聖母マリア


中国学者のマーティン・パルマーは、おとめマリア(聖母マリア)と観音菩薩の類似性について述べている。観音菩薩はインドやチベットにおける男性のボーディ・サットヴァ、アヴァローキテーシュヴァラの中国名である。アヴァローキテーシュヴァラは、トルコへのネストリオス派の宣教の後、最初の一千年紀の間に中国で徐々に女体化が進んだ。台湾の仏教組織の慈済基金会もこの類似性に気付いていて、聖母子像に特に似せた観音菩薩と子供の図画を画家に注文している。

江戸時代の日本では、キリスト教は禁止され、キリスト教を棄教しない者は死罪に処せられた。そこで、隠れキリシタンの中には、観音菩薩像を聖母マリアに見立てて密かに崇める者もいた。その像は現代では「マリア観音」として知られているが、隠れキリシタンが実際に所持していたマリア観音像そのものはほとんどが観音菩薩であり、マリア像として作られたものではない。

文学、物語、神話における類似性

ダンマパダとソロモン王

ブッダの金言集であるダンマパダは、ソロモン王の箴言やコヘレトの言葉と広範な類似性がある。こういった文書が仏教に影響したということはありうる、というのもソロモン王はブッダより3世紀半前の人物であり、ちょうどブッダが活きていたころに初めてユダヤ人がインドに移住してきたからである。

類似点としては平和、忍耐、この世界を一枚の絵画とみなすこと、受難の場面、瞑想の場面、知恵によって無知に打ち勝つこと、悟りを開くことがある。


※  後文略




全ては、繋がっているから、こんな研究がされている。






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