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鏡子 (きょうこ)

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なすびさん

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なすびさんの記事
続きです。


東京電力福島第1原発事故で一時、全域に避難指示が出ていた福島県富岡町の民家前で、ボランティア団体のメンバーと協力し、草刈りや草むしりに参加したなすびさん=2020年7月5日(なすびさんのツイッターより)

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<懸賞生活では約一年三ケ月に亘(わた)って部屋に閉じ籠っていたので、ま、まだまだ何の問題も無く余裕な状況に御座います><試しに家に閉じ籠ってみませんか?私が出来たんだから、貴方にだって出来ます‼>


 「ステイホーム」を呼びかける二つの投稿だけで5万以上のリツイート(転載)があり、<説得力がありすぎる><何も出来ない私達(たち)はひたすら自粛生活で早い終息を望むのみです>などのコメントが次々寄せられた。

 東京都に住みつつ、福島県内のテレビやラジオでレギュラーを持ち、地元イベントによく顔を出す「ローカルタレント」として活動。一方で、原発事故の爪痕が深い古里の盛り上げや被災者の支援活動、学校での講演なども続けている。
 電車移動では10円単位で節約するつましい暮らしをしながら、100万円も使ってコ○ナ拡大の影響で売れ残った福島牛を買い取ってイベントやネットで振る舞ったり、被災したスポーツ施設に寄付したりしている。「独身です。お陰様でアルバイトはせず、芸能活動だけで生活できています。好きでやっている活動ですし、多くを持っていなくても、人は生きていけるので大丈夫です」。マネジャーたちからは「修行僧のようだ」とも言われる。

「懸賞生活」を振り返るなすびさん。「当時の経験からもコツコツとやるのが自分に向いていることがわかりました」と話した=福島市杉妻町で2020年10月12日午後3時47分、竹内良和撮影

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 福島市出身。「神様から与えられた武器」と芸名にもしている特徴ある長い顔だが、小学生時代はいじめの的になった。父は福島県警の警察官で転勤が多く、転校のたび「長い顔のやつが来たぞ」とからかわれた。沈む気持ちを紛らわせてくれたのは、大ファンの志村けんさんがメンバーだった「ザ・ドリフターズ」のテレビ番組「8時だョ!全員集合」。学校でコントをまねてみると、徐々に友達が増えた。やがて喜劇俳優を目指すようになった。

 大学卒業後、足がかりとしてお笑い芸人に。22歳のとき日本テレビのバラエティー番組「進ぬ!電波少年」の新企画オーディションへ。若手芸人を前にプロデューサーは「運だけ必要な企画です」と言い、選考はくじ引きという。なすびさんは当たりを引き当て懸賞生活に挑むことになった。
 都内のアパートの一室で裸一貫にされ、懸賞雑誌とはがき、ボールペンを与えられた。日に約200通も書き、日用品や食べ物を当てながら、当選金額が100万円を超えたら解放されるという企画だった。前向きでおおらかな性格だけに、当選品が届けば舞うように喜び、当選せずにドッグフードさえ食べるような日々でも、ファンの広末涼子さんのグッズに応募してしまうユーモラスな姿に、当時の視聴者は大ウケした。


緊急事態宣言が全国に拡大された4月16日、自身のツイッターで「懸賞生活」の著書などを手に、「ステイホーム」を呼びかけた(なすびさん提供)

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 ただ、放送されるのは部屋に据えられたビデオカメラの映像の一部。テレビも見られず、人との会話が許されない孤独な生活に追い詰められた。裸でアパートを飛び出せば、古里の家族に迷惑を掛けるため逃げ出せもしない。自殺も考えたという。実際に放送されているかどうかも知らされないまま、懸賞生活は98年1月から1年3カ月も続いた。

 解放後、視聴率がNHKの朝ドラをもしのぐ30%超えを記録し、無名だった自分が時の人になっていることを初めて知った。ただ、気持ちは晴れなかった。「人は面白いものを作るためには、ここまでできるのかと思いました。テレビの前で皆さんも笑って見ていました。人間は怖いなと」

 懸賞生活のヒット後、福島の民放局で旅番組を5年ほど、任せてもらった。県内の全市町村を訪ね歩き、名所やグルメを紹介しながら、数百人と出会った。「福島出身なんだよね。応援してるよ」「福島のためにありがとう」。どのロケ地でも歓待され、子ども時代を知る人もいた。「優しい福島の人と触れ合う中で、モヤモヤとしたものが消えていった」。抱え込んだ人間不信を、古里の人たちが少しずつ解かしてくれた。

「懸賞生活」を振り返るなすびさん。「当時の経験からもコツコツとやるのが自分に向いていることがわかりました」と話した=福島市杉妻町で2020年10月12日午後3時45分、竹内良和撮影

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 「いつか福島に貢献できればいいな」と漠然と考えていたとき、東日本大震災が起きた。夢だった喜劇俳優への一歩を踏み出したばかりだった上、震災の影響で仕事がなくなった。一方、大物芸能人はトラックを連れ支援物資を届けていた。「福島出身なのに、何もできないのが情けなくて、悔しくて」。福島にゆかりのある友人と一緒に小学校1、2年時代を過ごした県沿岸部のいわき市に行けたのは4月末だった。

 海辺の漁師町は、津波にのまれてがれきが散乱していた。歩きながら、ふと「ここはロケに来たことがあるぞ」と気付く。旅番組で、海辺の食堂で働くお母さんたちに魚料理を振る舞ってもらった場所だった。

 「お母さんたちはどうしましたか」。地元の人に尋ねてみると、無事に避難し、数キロ先の駅前で弁当屋を始めたという。さっそく会いに行くと、抱き合って再会を喜んでくれた。そして「ごめんね」と謝られた。

新型コ○ナウイルスの影響で売れ残った福島牛を自腹で買い取り、試食会で振る舞うなすびさん=福島市内で2020年10月3日(なすびさんのツイッターより)

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 ロケのとき一緒に撮った集合写真やサインを食堂に飾っていたのに津波で流されたという。「どうでもいいんですよ」。みんなで撮り直した写真をプレゼントすると、今度は弁当屋に飾ってくれた。
 「僕の足跡が残り、思い出を大切にしてくれる人がいることを実感できた。同じ目線で、皆さんに寄り添いたいとも思いました」
 その後、都内や近郊である福島、東北の農産品の即売イベントを飛び込みで訪ねては「福島出身のなすびです。もし、お手伝いで何かすることがあれば使ってください」と願い出た。「俺がいくら声をかけてもダメだけど、人が集まってくるもんだね」と喜んでくれる出展者もいた。一方、原発事故の風評被害が広がり、会場のブースを通りかかる人からは「放射能まみれのものを売って責任を取れるのか」との暴言も浴びた。被害の深刻さを痛感し「長いスパンで乗り越えないといけない。地味でも地道に一生かけて支援していこう」と心に決めた。

 2013年には「東北や福島の人たちを励まそう」と世界最高峰・エベレストの登山に初挑戦した。東電から賠償金が支払われても被災者の心は満たされず、賠償額の多寡や有無を巡り県民同士でいさかいも起きていた。「カネやモノだけでは、福島の問題は解決できない」と痛感していた。

2016年5月19日に4度目の挑戦でエベレスト登頂に成功したなすびさん。山頂で「福島の皆さん、やりました」と声を上げた=オフィスケイ提供

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 体力には自信があったものの、登山は未経験。内心は「少しむちゃかな」と思っていた。それでも国内の冬山などでトレーニングを重ね、登山費用を工面するためカードローンにまで手を出し数百万円の借金をした。ただ、天候不良で頂上まであと標高差100メートルのところで断念を余儀なくされた。
 インターネットでは「テレビに出たくて注目を集めようとしている」との中傷も受けた。悩んだ末に思った。「何をやっても、文句を言う人はいる。プロ野球でも4割バッターはいないし、ヒットした懸賞生活だって、視聴率は30%だった。みんなから賛同を得ようなんて無理なんだ」。肩の力がすっと抜けた。

 翌年も再び登頂に挑む。借金までしたことを知った人たちが支援の輪を広げてくれた。登山費用600万円を目標にクラウドファンディングも実施し、49日間で目標額に達しなければ1円の支援も受けない「オール・オア・ナッシング」方式。挑戦を知った「懸賞生活」のプロデューサーも連絡をくれた。企画の行きすぎを反省する言葉とともにインターネット番組を作ってくれることになり、資金集めを後押ししてくれた。48日目になっても100万円以上足りずあきらめかけたが、最後の24時間で一気に約670万円に達した。でも、この年も氷河の崩落で登頂できなかった。

 15年もネパール大地震で登頂に失敗したが、16年5月に4度目の挑戦でついに登頂を果たした。あれから4年以上が過ぎても「ありがとう」「頑張ったね」と声をかけられるという。

東京電力福島第1原発事故による避難指示が解除されたJR双葉駅近くの民家で、なすびさんは庭木の手入れを手伝った。今も避難先で暮らす家主の男性は言葉を詰まらせながら「いつか絶対に戻りたい」と話したという=福島県双葉町で2020年8月23日(なすびさんのツイッターより)

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 震災から9年7カ月たっても、第1原発周辺には避難指示区域が残り、なかなか住民が戻らない地域は多い。なすびさんは9月のシルバーウイークなども一ボランティアとして、人もまばらな町での草刈りや側溝の泥出し作業に加わった。この夏、庭木の手入れをさせてもらった家の男性は「苦労して建てた家だった。こうしてきれいにしてもらって、無理だと思っていたけれど、いつか絶対に避難先から古里に帰る」と言葉を詰まらせながら感謝してくれた。

 なすびさんは、支援活動が長続きしている理由をこう説明する。「自分の成長にもつながっているんです。やらなければエベレストに登頂できるような人生でもなかった。やればやるだけ、発見や人とのつながりが生まれます」
 支援を軸にする今の生活は「来てくれたんだね」「また来てね」の言葉が聞ける限りは続けるつもりだ。「呼べば来てくれる、近所のおじさんみたいな存在」。それが理想のなすび像だという。【竹内良和】


※ 引用元

「手を差し伸べてから考えればいい」 コ○ナ禍に再注目「懸賞生活」なすびさんの“生き方” - 毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20201025/k00/00m/040/099000c


良い話でした。


「長いスパンで乗り越えないといけない。地味でも地道に一生かけて支援していこう」

福島の支援活動を、ずっと続けられていること、

4度目の挑戦でついにエベレスト登頂!


困難に、へこたれない生き方に、頭が下がる思いです。


懸賞生活で、養った精神力が、その後の人生に生かされていますね!


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