🌟真理の扉

鏡子 (きょうこ)

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第172章(最終章) さて、この世の中は、一体どうなっていくのだろう?

コ○ナウィルスが流行ってからというもの、私は、アボリジニの歴史を、たびたび思い出す。

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アボリジニの歴史について転載させて頂いた文章を読み返していた。


読み返したら、こんな文章に目が留まった。


●2008年政府が公式に謝罪した。

●オーストラリアのラッド首相が
30分にも渡る演説で
「お詫びする(sorry)」という謝罪の言葉を
6回繰り返した。



謝ってすむ問題じゃないけど、認めて謝罪されたという事実は、新しい歴史に踏み出す第1歩となる。




(再投稿)


イギリスから、オーストラリアにやって来た入植者達は、アボリジニと言われる先住民を、まるで動物のように扱い、迫害した。

2020年7月11日、それだけではなかったことを知る。


【90%虐殺】白人のアボリジニ狩り「オーストラリア開拓史」200年の迫害

https://iirou.com/australian/

より転載

※ 随所にある画像をアップ出来たら、分かりやすいのですが、当方の都合で、
画像は省略し、転載させて頂きます。


「アボリジニ残虐とは?」

たった150年間で、100万⇒7万人
93%が死滅したことになる。

クック船長が上陸した1770年に
100万人いたアボリジニは、
1920年には7万人にまで減少した。
(タスマニア島では絶滅)

最大の原因は、ヨーロッパ人が持ち込んだ
天然痘やインフルエンザなどの伝染病である。
しかし、もちろんそれだけではない。



アボリジニとは?


(http://www.sci-news.comより引用)

白人入植以前から住んでいる
オーストラリア先住民族であり、
5~12万年ほど前にオーストラリア大陸に
渡ってきたといわれる。
その頃は今より海面が150mも低かったので
大陸間の移動が容易であった。


大陸全体に居住していたが、
大多数は南東部マレー川周辺に住んでいた。


◆狩猟採集民族

オーストラリア大陸には
農耕に適した植物や家畜となる動物が
ほとんどなかった。

そのため、
木の実を得たり、動物を狩る生活を
一定のエリアを巡回しながら行った。

地球最古の文化ともいわれている。



◆なぜ少数の白人が勝つ?

アボリジニ社会は、
あまりにも多様化細分化しており、
民族が1つになって白人を戦うという
文化がなかった。


◆白人部隊による各個撃破

(https://www.abc.net.au/news/2018-09-25/より引用)

白人には銃があった。
アボリジニには槍やブーメランなどの
原始的な武器しかなかった。

原住民は大規模な集団を形成しない。
戦いも部族ごとである。
少数の白人集団でも銃を使えば
部族ごと個別に撃破していくことができる。

(National Library of Australiaより引用)

そのため、
わずかな軍隊で大陸全体を占領できた。

これは南北アメリカ大陸、アフリカ大陸の
その他地域の原住民の侵略方法に共通する。

◆侵略の歴史

18世紀後半 クック船長上陸
19世紀前半 オーストラリア開拓
19世紀中盤 ゴールドラッシュ
19世紀後半 オーストラリア全土を掌握
20世紀前半 同化政策
21世紀前半 政府が公式に謝罪


「18世期後半」

(http://histrace.com/overview_history/industrial_revolution/より引用)

イギリスでは産業革命による失業者が激増。
同時に、都市部では犯罪者が激増した。
国内の監獄が定員オーバーとなり、
アメリカを流刑地として囚人を送っていたが、独立されてしまった。

(https://australia-now.info/archives/24より引用)

そこでオーストラリア大陸が
新たな流刑植民地に選ばれた。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/エンデバーより引用)
ジェームズ・クック船長がボタニー湾に上陸した。
11隻の艦隊に778人の囚人(男586・女192)がいた。
この囚人とは殺人などの凶悪犯ではなく、
窃盗などのションベン刑を繰り返す
問題児ばかりであった。

不幸なことに、アボリジニ居住エリアとは
目と鼻の先であった。



◆囚人の国となる


イギリス政府からは先住民とは友好的な
関係を保つように指示を受けていた。
従順な部族には衣服や食料を与えるなどの
懐柔政策がとられた。
一方、抵抗する部族は討伐した。

イギリス政府としては、
自由移民に土地を分け与え、
自営の「農業国」を造る計画であった。

しかし、
到来するのはほとんどが囚人や軍人である。
荒くれ者の彼らは公用地を私物化し、
富が偏在する「囚人の国」となってしまった。

◆恩を仇で返す

(https://www.dailyexaminer.com.au/より引用)

アメリカ大陸におけるインディアンと同じく、
アボリジニは侵入してきた白人に親切にした。

ところが、
アボリジニの居住地に居座り続けて
土地や水を奪いはじめる。

激しく抵抗したインディアンとは違い、
アボリジニは戦闘を好まないため、
ほぼ一方的に迫害された。


◆報復合戦

アボリジニは強姦や殺人を犯した
張本人である白人のみを攻撃した。
しかし、
白人たちは家畜1頭盗んだだけで、
1人殺されただけで、部族全体を虐殺した。

白人の銃に劣勢であったアボリジニは
ゲリラ戦や奇襲攻撃を展開する。

こうして報復合戦が始まった。


◆スポーツ殺人

(http://aboriginalwar.blogspot.com/より引用)

1828年 オーストラリア政府は
イギリス人がアボリジニを
自由に殺す権利を認める法律を制定。

入植してきた白人にとって、
人類以前の「類人猿」との認識であった。
流刑囚はスポーツハンティングとして、
アボリジニを狩りまくった。


(http://fyifeed.comより引用)
週末は「アボリジニ狩り」なる
スポーツハンティングが流行していた。
もはやカンガルー狩りと同じ感覚であった。

頭部のコレクションなどもあった。

「今日はアボリジニ狩りにいって17匹をやった」
「オレはウサギ3匹、アボリジニ2匹w」
こんな日記が山ほど残っている。


◆虐殺者たち

集落の井戸に毒を入れたり、
毒入りの小麦粉も配られた。
崖から突き落としたり、
獰猛な狩猟犬に食い殺させた。

家畜扱いされた黒人すら、
まだマシとも思える扱いである。


◆鬼畜たち

赤ん坊を首だけ出して埋め、
蹴って首を遠くに飛ばす競争をした。
それを目の前で見させられていた親は
どういう心境だったであろうか。

ナチス顔負けの鬼畜である。


「19世紀前半」

(https://ja.fehrplay.com/より引用)
欧米から隔絶されていたため、
輸送コストを含めて採算がとれたのは
羊毛だけであった。

羊毛が漁業を上回り
輸出額の半分以上となる。

牧羊には広い土地が必要であった。
当然、アボリジニとの抗争となる。


「19世紀中盤」

(https://www.australiangeographic.com.au/より引用)

ゴールドラッシュがはじまった。
次々と金鉱が発見され、
世界中から人が集まった。

1850年(45万人)⇒1860年(115万人)と
人口が激増した。

金鉱の開拓でもアボリジニの居住地を犯し、
抗争の火種となった。

そこで邪魔なアボリジニを
保護政策という名の強制移住により、
食糧事情の悪い島に収容させて
多数の死者を出した。


◆保護政策

保護の名目で集められたアボリジニは
畜舎に詰め込まれ、賃金も与えられず、
水も食料も満足に与えられず、
小麦やタバコなどの生産に従事させられる。

もはや保護されている身で餓死するような環境であった。


「19世紀後半」

オーストラリア全土の植民地化が完了。
僻地にいるごく一部のアボリジニが
部族生活を続けているだけとなる。

逮捕⇒死刑
ムチャクチャな政策に対して
デモや暴動を起こしたアボリジニもいたが、
白人の敵対心を煽るだけであった。

アボリジニを車で轢いても物損事故。
逮捕後は裁判ナシで処刑された者もいた。


「20世紀前半」

同化政策がはじまった。

政府が新生児を取り上げ、
白人夫婦のもとで育てさせる。
これによってアボリジニ文化は消滅し、
イギリス人化すると考えられた。

この政策は1980年まで続いた。


◆白人化

(https://www.abc.net.au/より引用)
アボリジニの子供を教会に通わせ、
キリスト教徒化も進められた。



奪われた世代

(映画「Rabbit Proof Fence」より引用)
親元から引き離された子供たちは
「奪われた世代」と呼ばれる。

アボリジニの文化を消滅させることを目的に
子供を劣悪な強制収容所に送り込んだ。
親から数百km、数千kmも離れた場所で
監獄ともいえる環境で育てられた。



◆男児の奴隷化

農場などであれば労働力として利用された。

しかし、
役人などにとっては何の役にも立たない。
壁に叩きつけて殺された。

たしかに、
マトモな夫婦も大勢いただろう。
しかし、
10%ほどひどい夫婦がいたことも事実である。
当のオーストラリア人が
「政府がそんな残酷なことするわけない」
といって信じていないことも大問題である。


◆大量の混血児

白人とアボリジニのハーフが
無数に産まれてきた。

混血児たちは白人家庭で
家族として扱われることはなく、
父親から捨てられた。

「進んだ文化で育つ権利がある」

政府が主導して白人家庭や寄宿舎で
アボリジニの子供を育てる政策がとられた。
1920~30年、保護のという名目で
10万人もの混血児が親から引き離された。
 

◆実体は奴隷

農場労働者や使用人として教育するためであった。
牢獄のような寮で劣悪な生活をさせられ、
脱走すればムチ打ち⇒独房という
囚人と同じような扱いであった。


21世紀前半

(https://www.youtube.com/watch?v=XkeUpbbLTYYより引用)

2008年政府が公式に謝罪した。

オーストラリアのラッド首相が
30分にも渡る演説で
「お詫びする(sorry)」という謝罪の言葉を
6回繰り返した。


◎オーストラリアとは?

オーストラリア大陸を中心とした独立国であるが、
イギリス連邦加盟国である。
エリザベス女王を国家元首としている。

10人に1人が白人至上主義者といわれる。

豪州人(オーストラリア人)による
白人至上主義を「白豪主義」と呼ぶ。


◎白豪主義とは?

(http://www.afpbb.com/articles/-/3186146より引用)

白人が人類で最上位であり、
非白人は排除の対象である。

彼らにとって、
黒人は家畜であり、
黄色人はサルである。

インディアンは害獣であり、
アボリジニは狩りの対象である。


◆進化論がベース

人類の進化には段階があり、
アボリジニは石器時代の原始人、
白人がもっとも進化した人間という
認識であった。

「有色人種は人間にあらず」

白人は人類の最上位であるため、
アボリジニを殺害しても
罪にはならないという意識があった。


◆オーストラリア・デイ

(https://sharehouse.in/jpn/sharelog/detail/21326/より引用)
1月26日は建国記念日である。

パレードだけでなく当然抗議もある。

(https://www.sbs.com.au/news/storystream/survival-day-marked-across-australiaより引用)

この日を境に、侵略と虐殺が始まった。
アボリジニにとっては単なる
侵略記念の日でしかない。


◆白豪主義は生きている

ホームステイ・留学・旅行などで
オーストラリアで遊んでただけの人間は、
「移民国家だから差別はない」
「差別を受けたことはない」
「捕鯨に反対するオージーは少数」
と勘違いしている。

だいたい、
有色人のホームステイを受け入れる家庭が
差別主義のはずがない。

ところが、
何年も働いた人間の意見は違う。
やはりオーストラリアは白人社会であり、
人種差別をしない人間と同じくらい
人種差別をする人間は存在する。

庶民クラスの白人はフレンドリーでも
支配階級の白人は優越思想で成り立つ。

育ちのいい私立学校は白人がほとんど。
安い公立学校は有色人種が多い。
これが現実。


◆アジア人は格下

オーストラリアに住む白人の70%は
日本に良い印象を持っている。
日本人は礼儀正しいとの見解が多数派だ。

しかし、
20%は日本に悪い印象を持っており、
10%は劣等人種とみなしている。

しかし、日本人も同類である。
日本以外のアジア人を格下に見ていないか?
アジア人と結婚した人を見ても、
まったく妥協した感を抱かないだろうか?

差別心など、どこでも誰でも持っているのだ。
みんな「自分が一番かわいい」のである。

◆EU加盟を拒否された

(http://www.koryojournal.news/?p=2169より引用)
ヨーロッパの仲間に入れてほしいと、
EEC⇒EC⇒EUと半世紀に渡って3度も
懇願したにもかかわらず、
すべて拒否された。

乳製品・羊毛・小麦などがヨーロッパ市場から
締め出されてしまった。


◆手のひら返し

(https://aseanpedia.asean.or.jp/about_asean/より引用)
欧州からシカトされたので、
軽蔑してきた有色人種(アジア人)との貿易に
活路を見出すしかなくなった。

そのために、
今まで見下してきたアジア人から
印象を良くしなくてはならない。

まず身近な有色人種であるアボリジニに
謝罪するパフォーマンスが始まった。

この頃から親日家の
オーストラリア人が発生しだす。

オーストラリアがアジア重視の政策をとるのは、
彼らが自ら歩み寄ったのではない。
単に欧州から相手にされなかったから
仕方なくアジアを相手にし始めただけ。


◆2000年シドニーオリンピック

体を黒く塗った白人男女が
会場いっぱいに踊るパフォーマンス。
過去の虐殺は清算されて
現在は仲良くやってますよとPRしていた。

朝日新聞「民族融和、和解の証し」

アタマ大丈夫か?


◆文化は破壊されたまま

都市部では昼間から酔っぱらっていたり、
ドラッグにより目の焦点が合っていない
アボリジニがうろついている。

英語が話せないので失業者が多い。
日本のナマポのような補助金はあるが、
すぐ酒に変えてしまう。

アボリジニにとって、
エアーズロック(ウルル)は聖地である。
その聖地ウルルの周りには専用居住区がある。


(https://www.hankyu-travel.com/heritage/australia/uluru.phpより引用)

そこにもアルコール中毒の
アボリジニがうろうろしている。

アボリジニのアルコール中毒やドラッグ中毒、
自殺率の高さは社会問題にまで発展している。


◆自分は囚人の子孫ではない

1800年まではイギリス囚人の流刑地。
1801年からは自由渡航。

もともとオーストラリア移民は
犯罪者がほとんどである。

「私の祖先は1800年以降の入植者です」
オーストラリア人は、
やたらと犯罪者の末裔でないことを強調する。


◆囚人遺跡群

(http://goldcoastnet.seesaa.net/article/437858847.htmlより引用)

アボリジニが強制移住させられた
多数の刑務所が「囚人遺跡群」として
2010年に世界遺産に登録された。

遺産と言っても「負の遺産」であるが。
世界遺産(負)というカテゴリを新設すべきである。


このサイトは、


クジラ虐殺

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カンガルー虐殺


と続く。
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