🌟真理の扉

鏡子 (きょうこ)

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第167章 審判

そして私は、この記述を確認する。「死の連鎖の謎」より転載

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レオナルド・ダ・ヴィンチ が亡くなったのは、1519年5月2日である。


レオナルドは、亡くなる前の月、

イエス・キリストの4月の復活祭(イースター)に、遺言状を書いた。

レオナルドは、遺言状を書いた、その数日後に亡くなった。

私は、その死を不信思い、権力争いに巻き込まれ亡くなったとばかり推理していたが、どうやら、他にもっと大きな理由があるかもしれないと思うようになった。

ラファエロは、グノーシス主義を前面に打ち出すような絵を、描いた。

レオナルドもまた、ラファエロ同様、ローマンカトリックの教義に懐疑的ともとれる絵を描いた。

だから、イエス・キリストの復活祭(イースター)に遺言状を描き、
その数日後死ななけれならなかったのではないか?


〈注目したいポイント〉

レオナルドは、イースターの数日後、
ラファエロは、誕生日に亡くなった。



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