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第45章 白昼夢
デイドリーム
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もう一つ、白昼夢に纏わる話を書こう。
《ある日の自身のブログを転写》
アメリカのグループ「ザ・モンキーズ」が『デイドリーム(Daydream Believer)』という曲を、リリースした年は、1967年である。
その年は、私が生まれた年であったことと、後に忌野清志郎さんが日本語にカバーしたことで、私にとっても思い入れの深い曲になった。
Daydream Believerを日本語に訳すと「白昼夢」である。
私は、幼い頃から沢山のDaydream Believerを見ていて、フェルメールに導かれ、レオナルド・ダ・ヴィンチに繋がった。
私の人生の指針となる曲は、大貫妙子さんの『メトロポリタンミュージアム』だけど
同じくらい大切だと思える曲が『デイドリーム(Daydream Believer)』である。
今日、何気にモナリザ関連をネット検索かけていたら、一見、何の繋がりもなさそうな、ニュースがヒットして、ふとページを開いた。
数年前のライブドアニュースだった。
私が今、書いているブログも、ライブドアなので、記事の内容と共に、シンクロしていてなんか嬉しかった。
※ ライブドアニュース転写
セブンイレブンの店内やテレビCMでなんとなく耳にしたことのあるあのメロディ。皆さんはどれくらい「あの曲」のことを知っているだろうか。いつの曲で、誰が歌っていて、なんていう曲名なのか、意外に知らない人も多いはず。
ここでは、そんな身近なようで遠い歌「デイ・ドリーム・ビリーバー」の歴史をひも解いてみよう!
忌野清志郎が歌った
「デイ・ドリーム・ビリーバー」
「ずっと夢を見て安心してた。僕はデイ・ドリーム・ビリーバー。そんで、彼女はクイーン」
日本ロック界の伝説的バンド、RCサクセションのメンバーとしても有名な忌野清志郎。彼は2009年にこの世を去ってしまったが、この曲は清志郎が「ZERRY」という別名義で結成していたバンド「タイマーズ」によって、1989年に発表されたシングル曲だ。
楽曲自体は非常に柔らかい印象だが、タイマーズの風貌は正反対!土木用のヘルメットをかぶり、手ぬぐいを顔に巻き付けるという「活動家風の服装」で演奏していたことで知られている。
実はこの曲、原曲がある。それは、アメリカのアイドルグループ「ザ・モンキーズ」が1967年にリリースした『デイドリーム』だ。
このメロディに「ZERRY(忌野清志郎)」が日本語の歌詞をのせたものが『デイ・ドリーム・ビリーバー』。しかし、清志郎の歌詞には深い物語があった。
ふたりの母への想い
「もう今は彼女はどこにもいない。朝早く目覚ましがなっても」
歌詞の中では「彼女」というフレーズが繰り返されている。一見すると「別れた恋人」へ向けた歌詞にも思える。が、これは会うことのできなかった「実の母」への想いを綴った歌詞だった。
清志郎は、母親が亡くなった際に育ての母が継母であり、実の母の姉だったことを知らされた。実の母は、彼が3歳の時にすでに亡くなっていたのだ。
ふたりの「母」の死と向き合いながら、一度も会うことのできなかった実の母への行き場のない想いを彼は歌に込めた。それが「デイ・ドリーム・ビリーバー」だった。
日本中で再生される
超人気曲に!
楽曲をリリースした1989年にはエースコックの「スーパーカップ」のCMに採用、2006年にはサントリーの「モルツ」のCMにも使われた。もともとタイマーズの楽曲としてロックファンには有名だったが、CMを通して「誰もが耳にしたことのある曲」になり、2011年にセブンイレブンに採用されることになった。
※ ニュース、後文略
なんて深い、物語なのだろうと、感動した。
そういえば改めて聴くと忌野清志郎さんの「デイ・ドリーム・ビリーバー」の、歌詞は何だか切ない。
一見、別れた恋人を思いだして歌っているわりに、永遠的な愛情を感じる。
「ずっと夢を見て安心してた」とか「ずっと夢見させてくれて、ありがとう」とかいうフレーズに、母性的な深い何かを感じたのは私だけだろうか?
忌野清志郎さんといえば、原発反対ソングを歌われていましたよね。
先日の3月11日、
東北関東大震災から7年目を迎えましたが、この問題は、
決して風化さてはならないと思う。
二人の母への想いに揺れ動いた忌野清志郎さん。
同じように
ダ・ヴィンチもまた、二人の母へ、揺れ動いた感情を持っていたということ、
心理学者のフロイトが分析されていた。
色々な事柄が色々な事に繋がっていく。
「ザ・モンキーズ」の歌った『デイドリーム』
忌野清志郎さんが歌った『デイ・ドリーム・ビリーバー』
共に大好きな曲だ。
《ある日の自身のブログを転写》
アメリカのグループ「ザ・モンキーズ」が『デイドリーム(Daydream Believer)』という曲を、リリースした年は、1967年である。
その年は、私が生まれた年であったことと、後に忌野清志郎さんが日本語にカバーしたことで、私にとっても思い入れの深い曲になった。
Daydream Believerを日本語に訳すと「白昼夢」である。
私は、幼い頃から沢山のDaydream Believerを見ていて、フェルメールに導かれ、レオナルド・ダ・ヴィンチに繋がった。
私の人生の指針となる曲は、大貫妙子さんの『メトロポリタンミュージアム』だけど
同じくらい大切だと思える曲が『デイドリーム(Daydream Believer)』である。
今日、何気にモナリザ関連をネット検索かけていたら、一見、何の繋がりもなさそうな、ニュースがヒットして、ふとページを開いた。
数年前のライブドアニュースだった。
私が今、書いているブログも、ライブドアなので、記事の内容と共に、シンクロしていてなんか嬉しかった。
※ ライブドアニュース転写
セブンイレブンの店内やテレビCMでなんとなく耳にしたことのあるあのメロディ。皆さんはどれくらい「あの曲」のことを知っているだろうか。いつの曲で、誰が歌っていて、なんていう曲名なのか、意外に知らない人も多いはず。
ここでは、そんな身近なようで遠い歌「デイ・ドリーム・ビリーバー」の歴史をひも解いてみよう!
忌野清志郎が歌った
「デイ・ドリーム・ビリーバー」
「ずっと夢を見て安心してた。僕はデイ・ドリーム・ビリーバー。そんで、彼女はクイーン」
日本ロック界の伝説的バンド、RCサクセションのメンバーとしても有名な忌野清志郎。彼は2009年にこの世を去ってしまったが、この曲は清志郎が「ZERRY」という別名義で結成していたバンド「タイマーズ」によって、1989年に発表されたシングル曲だ。
楽曲自体は非常に柔らかい印象だが、タイマーズの風貌は正反対!土木用のヘルメットをかぶり、手ぬぐいを顔に巻き付けるという「活動家風の服装」で演奏していたことで知られている。
実はこの曲、原曲がある。それは、アメリカのアイドルグループ「ザ・モンキーズ」が1967年にリリースした『デイドリーム』だ。
このメロディに「ZERRY(忌野清志郎)」が日本語の歌詞をのせたものが『デイ・ドリーム・ビリーバー』。しかし、清志郎の歌詞には深い物語があった。
ふたりの母への想い
「もう今は彼女はどこにもいない。朝早く目覚ましがなっても」
歌詞の中では「彼女」というフレーズが繰り返されている。一見すると「別れた恋人」へ向けた歌詞にも思える。が、これは会うことのできなかった「実の母」への想いを綴った歌詞だった。
清志郎は、母親が亡くなった際に育ての母が継母であり、実の母の姉だったことを知らされた。実の母は、彼が3歳の時にすでに亡くなっていたのだ。
ふたりの「母」の死と向き合いながら、一度も会うことのできなかった実の母への行き場のない想いを彼は歌に込めた。それが「デイ・ドリーム・ビリーバー」だった。
日本中で再生される
超人気曲に!
楽曲をリリースした1989年にはエースコックの「スーパーカップ」のCMに採用、2006年にはサントリーの「モルツ」のCMにも使われた。もともとタイマーズの楽曲としてロックファンには有名だったが、CMを通して「誰もが耳にしたことのある曲」になり、2011年にセブンイレブンに採用されることになった。
※ ニュース、後文略
なんて深い、物語なのだろうと、感動した。
そういえば改めて聴くと忌野清志郎さんの「デイ・ドリーム・ビリーバー」の、歌詞は何だか切ない。
一見、別れた恋人を思いだして歌っているわりに、永遠的な愛情を感じる。
「ずっと夢を見て安心してた」とか「ずっと夢見させてくれて、ありがとう」とかいうフレーズに、母性的な深い何かを感じたのは私だけだろうか?
忌野清志郎さんといえば、原発反対ソングを歌われていましたよね。
先日の3月11日、
東北関東大震災から7年目を迎えましたが、この問題は、
決して風化さてはならないと思う。
二人の母への想いに揺れ動いた忌野清志郎さん。
同じように
ダ・ヴィンチもまた、二人の母へ、揺れ動いた感情を持っていたということ、
心理学者のフロイトが分析されていた。
色々な事柄が色々な事に繋がっていく。
「ザ・モンキーズ」の歌った『デイドリーム』
忌野清志郎さんが歌った『デイ・ドリーム・ビリーバー』
共に大好きな曲だ。
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