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第44章 誰にも理解されないという孤独のなかで
2015年1月、ある人の動画を見つけ憤りを感じる。
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〔小説に書くべきか?書かないほうが良いか?迷いましたが、やっぱり書きます。
私は、この場所に、自分の魂のありのままをぶつけているので、このことは、やっぱり避けては通れません。〕
ある日、ネットを見ていたら、ある方の動画を見つけた。
その時、私は、一瞬言葉を失った。
その人は、ルネサンス絵画は、インチキだと主張されていたのだ。
特に、レオナルド・ダ・ヴィンチにいたっては、エイリアンと親交があり、そのエイリアンによって最先端のテクノロジーを伝授されて、パソコンで、様々な絵画を描く技術を教わったと力説されていた。
しかも、同時期や、後に活躍した有名芸術家たちも、パソコン操作で、データを使いわまし、テクノロジーが絵画製作の一役をかっているとのことだった。
私は、その動画を観て、怒りに震えた。
芸術を極めようとした先人である
様々な芸術家たちの努力や、絵画の真髄を
理解しようともせず、失礼極まりないと感じずにはいられなかった。
確かに、私たちが存在する現在、
パソコン操作にて、色々な事が容易に出来る
世の中になっている。
小説家に至っても、昔は、みな手書きで文章を書いたり校正していたが、今では、一様にパソコンを活用し、文章を書いていると聞く。
漫画家さんに至ってもそう。
昔ながらのやり方で、製作されている方は、あまりいないのではなかろうか?
専門的なことは詳しく分からないが、ある程度、パソコン技術を利用しながら、手書きで味わいを加えたり、何らかの形で、パソコンを活用しているのでは?と想像している。
確かに、以前は、不可能であった様々なことが、パソコン操作により、可能になった。
古くから伝わる絵画や彫刻は、あまりにも素晴らしく精巧に出来ているので、テクノロジーを駆使し製作されたのではないか?と着想、しかも、それは科学的に可能だ。
だからといって、古き時代の芸術家たちが、私たちと同じようなやり方をしたと考えるのは、あまりにも安易な考え方ではないだろうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチにいたっても、
デッサン、習作、カルトン等、
様々なものが、現存している。
しかも、未完成である、それらの作品自体も
芸術品として賞賛され、大切に扱われているから、
「芸術はなんと奥が深いのだろう」
と思うのだ。
1枚の絵を完成させるまでの芸術家たちの、努力の結晶となるべくものが、現実として存在している以上、
その方の動画のような説は、決してあり得ない話だ。
要するに、その動画を作っている方は、
製作された絵画の結果のみを観て、様々な憶測をしているわけだが、
実は、その絵画に辿り着くまでのプロセスが大変重要であり、その要(かなめ)があってこそ、感嘆に値する絵画が出来上がった、そう理解されるべきなのである。
※ 『麗しき姫君』のあとがきと重複した内容ですが、
ご了承下さい。
私は、この場所に、自分の魂のありのままをぶつけているので、このことは、やっぱり避けては通れません。〕
ある日、ネットを見ていたら、ある方の動画を見つけた。
その時、私は、一瞬言葉を失った。
その人は、ルネサンス絵画は、インチキだと主張されていたのだ。
特に、レオナルド・ダ・ヴィンチにいたっては、エイリアンと親交があり、そのエイリアンによって最先端のテクノロジーを伝授されて、パソコンで、様々な絵画を描く技術を教わったと力説されていた。
しかも、同時期や、後に活躍した有名芸術家たちも、パソコン操作で、データを使いわまし、テクノロジーが絵画製作の一役をかっているとのことだった。
私は、その動画を観て、怒りに震えた。
芸術を極めようとした先人である
様々な芸術家たちの努力や、絵画の真髄を
理解しようともせず、失礼極まりないと感じずにはいられなかった。
確かに、私たちが存在する現在、
パソコン操作にて、色々な事が容易に出来る
世の中になっている。
小説家に至っても、昔は、みな手書きで文章を書いたり校正していたが、今では、一様にパソコンを活用し、文章を書いていると聞く。
漫画家さんに至ってもそう。
昔ながらのやり方で、製作されている方は、あまりいないのではなかろうか?
専門的なことは詳しく分からないが、ある程度、パソコン技術を利用しながら、手書きで味わいを加えたり、何らかの形で、パソコンを活用しているのでは?と想像している。
確かに、以前は、不可能であった様々なことが、パソコン操作により、可能になった。
古くから伝わる絵画や彫刻は、あまりにも素晴らしく精巧に出来ているので、テクノロジーを駆使し製作されたのではないか?と着想、しかも、それは科学的に可能だ。
だからといって、古き時代の芸術家たちが、私たちと同じようなやり方をしたと考えるのは、あまりにも安易な考え方ではないだろうか?
レオナルド・ダ・ヴィンチにいたっても、
デッサン、習作、カルトン等、
様々なものが、現存している。
しかも、未完成である、それらの作品自体も
芸術品として賞賛され、大切に扱われているから、
「芸術はなんと奥が深いのだろう」
と思うのだ。
1枚の絵を完成させるまでの芸術家たちの、努力の結晶となるべくものが、現実として存在している以上、
その方の動画のような説は、決してあり得ない話だ。
要するに、その動画を作っている方は、
製作された絵画の結果のみを観て、様々な憶測をしているわけだが、
実は、その絵画に辿り着くまでのプロセスが大変重要であり、その要(かなめ)があってこそ、感嘆に値する絵画が出来上がった、そう理解されるべきなのである。
※ 『麗しき姫君』のあとがきと重複した内容ですが、
ご了承下さい。
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