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(特別枠) スマホの怪奇現象
これは凄い!!情報源のかたまりだ!!
しおりを挟む妨害は、ある意味で、私にとって好都合である。
私が検索するウィキペディアは、
アメリカを讃える内容ばかりになっている。
パパブッシュの内容…
湾岸戦争についての記載。
湾岸戦争
マルタ会談から8ヶ月後、1990年8月2日にイラク軍は隣国クウェートへの侵攻を開始し、8月8日にはクウェート併合を発表した。これに対し、諸外国は第二次世界大戦後初となる、一致結束した事態解決への努力を始めた。さらにイラクは8月18日に、クウェートから脱出できなかった外国人を自国内に強制連行し「人間の盾」として人質にすると国際社会に発表し、その後日本やドイツ、アメリカやイギリスなどの非イスラム国家でアメリカと関係の深い国の民間人を、自国内の軍事施設や政府施設などに「人間の盾」として監禁した。
国際連合安全保障理事会はイラクへの即時撤退を求めるとともに、11月29日に武力行使容認決議である決議678を米ソは一致して可決し、マルタ会談とともに当時の冷戦の終結を象徴した。
1991年1月17日にブッシュ大統領はアメリカ軍部隊をサウジアラビアへ展開し、多国籍軍はイラクへの爆撃(「砂漠の嵐作戦」)を開始。同地域への自国軍派遣を他国へも呼びかけ、第二次世界大戦以来の連合となった。これをブッシュは新世界秩序と呼んだ。このクウェートの占領を続けるイラク軍を対象とする戦争は、多国籍軍による空爆から始まった。これに続き、2月23日から陸上部隊による進攻が始まった。多国籍軍はこれに圧倒的勝利をおさめ、クウェートを解放した。陸上戦開始から100時間後、多国籍軍は戦闘行動を停止し、停戦を宣言した。
アメリカ軍を主とする多国籍軍はクウェートからイラク軍を撃退し、サウジアラビアの防衛を保証した。ただし、イラクのサッダーム・フセイン政権の打倒までは行わず、あくまで制裁戦争であった。湾岸戦争は「ハイテク戦争」と呼ばれ、軍事行動の成功直後、ブッシュの支持率は当時歴代最高の89%に急上昇した(湾岸戦争)。
これをブッシュは新世界秩序と呼んだ⁈
日本向けのサイトには、そんなこと書いてないぞ!
むしろ秩序を乱したじゃないか!
応援ありがとうございます!
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