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第148章 新時代の幕開けだ!
2005年、蘇我入鹿邸跡とみられる遺構が発掘された。
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ふと、蘇我入鹿のことが気になりはじめた。
家系図を見ていたら、蘇我入鹿は、蘇我馬子の孫にあたる。
蘇我馬子は、聖徳太子と縁が深い。
ウィキペディアで、こんな記載を見つけた。
〈馬子は皇太后であった炊屋姫を即位させ、初の女帝である推古天皇とした。厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子に立てられ、摂政となった。馬子は聖徳太子と合議して政治運営し、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入した。
推古天皇4年(596年)馬子は蘇我氏の氏寺である飛鳥寺を建立した。〉
初の女帝である、推古天皇を即位させたのは、蘇我馬子…
「入鹿は、その馬子の孫なのか…」
蘇我一族は、歴史的に悪いイメージを与えられているが、真実は違っている。
聖徳太子と合議して政治運営したり、仏教を奨励したり、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入したり、その功績たるや、素晴らしいものがある。
私が、子供の頃に教わった歴史は違っていた。
聖徳太子の単独の手柄ではなく、半分は、蘇我馬子の功績だったんだね。
「やはり、出る杭は打たれるのか…。」
暗殺…
一連の事件の舞台裏は、蘇我一族の功績を、やっかんでのことだったかもしれない。
ウィキペディアに、こんな記載も見つけた。
〈飛鳥寺境内と甘樫丘にほど近い場所に、「入鹿の首塚」が存在する。
また、2005年(平成17年)11月13日に奈良県明日香村において、蘇我入鹿邸跡とみられる遺構が発掘された。
三重県松阪市飯高町舟戸にも「入鹿の首塚」と称する五輪塔があり、同地の高見山まで入鹿の首が飛来してこの地で力尽きて落ちたのを村人らが手厚く葬ったものとされている。
この高見山に鎌を持ちこむと必ず怪我をするとされており、それは入鹿を殺害した中臣鎌足の「鎌」の字を忌むからであるとされている。〉
高見山に鎌を持ちこむと必ず怪我をするとされており…
無念の死を遂げた者の怨念が、その場所に、ずっと残っているというのか?
確かに、中大兄皇子と中臣鎌足は、『大化改新』と銘打って蘇我入鹿を殺害したことが、まるで
ヒーローのような扱われ方をしている。
あるサイトで、こんな文章を見つけた。
《乙巳の変の翌年、646年に改新の詔が宣言され、さまざまな改革が行われたことが『日本書紀』に記されています。それら諸改革の総称が大化の改新です。
中大兄皇子は後に天智天皇となり、晩年、病床に伏した中臣鎌足を自ら見舞い、藤原姓を賜り、内大臣に任じます。鎌足は“藤原氏の祖”となり、談山神社に祭神として祀られました。 二人の働きが新しい国の仕組みをつくり、時代はこうして中央集権国家へ大きく舵をきったのです。》
これは、違う。
そんなことは、ない。
中央集権国家の基盤は、聖徳太子と蘇我馬子の時代から、既に整っていた。
中臣鎌足は、藤原氏の祖となる。
藤原氏といえば、望月の句を詠んだ藤原道長を思い出す。
藤原道長を5分で!「この世をば~」の意味、摂関政治ってなんぞや?│れきし上の人物.com
https://r-ijin.com/fujiwarano-mitinaga/
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
というのは藤原道長が祝宴で詠んだ句です。
意味は「この世は自分のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものは何もないと思えるから」という意味です。
藤原道長(ふじわら の みちなが)
出生地 京都
生誕 966年
死没 1028年1月3日
享年 62歳
時代 平安時代
父は摂政(天皇の代わりに政治をする職)でした。
有能な兄が病死したのをきっかけに左大臣として政権を掌握します。
この時期の貴族は、才能だけあっても成り上がれません。藤原道長は、娘を4人も天皇に嫁がせます。
もし娘に子どもが出来てその子どもが天皇になったら自分はおじいちゃんになるわけですから摂政として強大な権力が手に入るのです。
藤原道長は、子だくさんだったのでこの技が使えたのです。
………
滅びた者の功績は、なきものにされる。
成功した者の、月の海と化す。
しかし、道長が詠んだ句のように、
当時の藤原氏の世が、満月のようだとしても、
月には、必ず満ち欠けがあり、月の海は、必ずや存在する。
成功者に葬られたものは、
月の海に住む、幽霊のような存在だと思った。
人々は、見える部分しか、見ていない。
権力者や成功者に葬られた者は、まるで月の海のように、その存在を隠されている。
家系図を見ていたら、蘇我入鹿は、蘇我馬子の孫にあたる。
蘇我馬子は、聖徳太子と縁が深い。
ウィキペディアで、こんな記載を見つけた。
〈馬子は皇太后であった炊屋姫を即位させ、初の女帝である推古天皇とした。厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子に立てられ、摂政となった。馬子は聖徳太子と合議して政治運営し、仏教を奨励し、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入した。
推古天皇4年(596年)馬子は蘇我氏の氏寺である飛鳥寺を建立した。〉
初の女帝である、推古天皇を即位させたのは、蘇我馬子…
「入鹿は、その馬子の孫なのか…」
蘇我一族は、歴史的に悪いイメージを与えられているが、真実は違っている。
聖徳太子と合議して政治運営したり、仏教を奨励したり、冠位十二階や十七条憲法を定めて中央集権化を進め、遣隋使を派遣して隋の社会制度や学問を輸入したり、その功績たるや、素晴らしいものがある。
私が、子供の頃に教わった歴史は違っていた。
聖徳太子の単独の手柄ではなく、半分は、蘇我馬子の功績だったんだね。
「やはり、出る杭は打たれるのか…。」
暗殺…
一連の事件の舞台裏は、蘇我一族の功績を、やっかんでのことだったかもしれない。
ウィキペディアに、こんな記載も見つけた。
〈飛鳥寺境内と甘樫丘にほど近い場所に、「入鹿の首塚」が存在する。
また、2005年(平成17年)11月13日に奈良県明日香村において、蘇我入鹿邸跡とみられる遺構が発掘された。
三重県松阪市飯高町舟戸にも「入鹿の首塚」と称する五輪塔があり、同地の高見山まで入鹿の首が飛来してこの地で力尽きて落ちたのを村人らが手厚く葬ったものとされている。
この高見山に鎌を持ちこむと必ず怪我をするとされており、それは入鹿を殺害した中臣鎌足の「鎌」の字を忌むからであるとされている。〉
高見山に鎌を持ちこむと必ず怪我をするとされており…
無念の死を遂げた者の怨念が、その場所に、ずっと残っているというのか?
確かに、中大兄皇子と中臣鎌足は、『大化改新』と銘打って蘇我入鹿を殺害したことが、まるで
ヒーローのような扱われ方をしている。
あるサイトで、こんな文章を見つけた。
《乙巳の変の翌年、646年に改新の詔が宣言され、さまざまな改革が行われたことが『日本書紀』に記されています。それら諸改革の総称が大化の改新です。
中大兄皇子は後に天智天皇となり、晩年、病床に伏した中臣鎌足を自ら見舞い、藤原姓を賜り、内大臣に任じます。鎌足は“藤原氏の祖”となり、談山神社に祭神として祀られました。 二人の働きが新しい国の仕組みをつくり、時代はこうして中央集権国家へ大きく舵をきったのです。》
これは、違う。
そんなことは、ない。
中央集権国家の基盤は、聖徳太子と蘇我馬子の時代から、既に整っていた。
中臣鎌足は、藤原氏の祖となる。
藤原氏といえば、望月の句を詠んだ藤原道長を思い出す。
藤原道長を5分で!「この世をば~」の意味、摂関政治ってなんぞや?│れきし上の人物.com
https://r-ijin.com/fujiwarano-mitinaga/
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
というのは藤原道長が祝宴で詠んだ句です。
意味は「この世は自分のためにあるようなものだ。望月(満月)のように足りないものは何もないと思えるから」という意味です。
藤原道長(ふじわら の みちなが)
出生地 京都
生誕 966年
死没 1028年1月3日
享年 62歳
時代 平安時代
父は摂政(天皇の代わりに政治をする職)でした。
有能な兄が病死したのをきっかけに左大臣として政権を掌握します。
この時期の貴族は、才能だけあっても成り上がれません。藤原道長は、娘を4人も天皇に嫁がせます。
もし娘に子どもが出来てその子どもが天皇になったら自分はおじいちゃんになるわけですから摂政として強大な権力が手に入るのです。
藤原道長は、子だくさんだったのでこの技が使えたのです。
………
滅びた者の功績は、なきものにされる。
成功した者の、月の海と化す。
しかし、道長が詠んだ句のように、
当時の藤原氏の世が、満月のようだとしても、
月には、必ず満ち欠けがあり、月の海は、必ずや存在する。
成功者に葬られたものは、
月の海に住む、幽霊のような存在だと思った。
人々は、見える部分しか、見ていない。
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