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第145章 2019年10月22日、福音の鐘は鳴る。(Part1)
昭和天皇の素顔 ②
しおりを挟む生物学者としての昭和天皇
https://tanken.com/seibutu.html
より、続きを転載させて頂きます。
※ 画像転載出来なくて残念です。
昭和天皇の幼少期の生物ノート
生物好きの昭和天皇のもとには、ありとあらゆる標本、剥製、そして生きた動植物が集まってきました。たとえば1912年6月26日には、南極探検した白瀬矗からペンギンの剥製が届きました(この剥製は崩御するまで研究室に置かれました)。ほかにもハチドリ、五色鳥、ムササビなど大型なものから、魚、貝、寄生虫まで何でもありでした。
生きた珍獣も多く、1913年9月26日には、トラック島で捕獲された海亀のタイマイが、1914年5月21日にはワニが献上されています。
昭和天皇の標本室は、世界のどこよりも珍しい博物館だったのです。
生物学御研究所の貝類標本室
生物学御研究所の貝類標本室(1948年)
宮中に生物学の研究室ができたのは、1925年(大正14年)9月19日のことです(当時24歳)。
御用掛の服部広太郎が設計したもので、約45坪の木造平屋建て。赤坂離宮御苑の東の隅に位置していました。
内部は実験室、図書機械室、準備室、飼育培養室の4部屋。付属建物として、実験材料の貯蔵室と園丁の詰所を兼ねた一棟と、10の区画に分かれた動物飼養舎、そして肥料・用具の物置がありました。
さらに、実験用の圃場は500~600坪あり、200坪の花畑も併設されていました。
昭和天皇は、基本的には土曜日にここに詰め、趣味の研究を続けます。
昭和天皇の研究室
昭和天皇の研究室(1948年)
1928年(昭和3年)9月15日、昭和天皇の遷御とともに、生物学御研究室も現在の皇居に移転します。
建物は本家(94坪の鉄筋コンクリート2階建て、135坪の木造平屋建て)2棟、附属家(32坪の木造平屋建て)、温室(31坪)、鶏舎(36坪)と大規模なものになりました(現在も「生物学研究所」として存続)。
生物学御研究所
生物学御研究所
昭和天皇の初期の研究内容は、たとえば
●動物の幼胚から新しく器官が作られるまでの変化
●蚕の発育と繭づくりに紫外線が与える影響
●稲の雑種の生成
●フナと金魚双方の特徴を備えた「鉄魚」の雑種性の確認
などです。とはいえ、基本的には分類学を主としており、生理学は行いませんでした。その理由を、分類学を勧めた服部広太郎がこう語っています。
《生理学というものは一つのテーマについて仕事を始めたら手があけられない。朝だろうが夜中だろうが、かまわずに観察して行かなければならない。陛下は御身分の関係からそれができない。生理学はいやだからなさらんというわけではありません。
仮にいまタケノコの生長の速度を計るとしましょう。タケノコは夜半に速く日中は遅いものです。夜半に起きていて夜通し観察していなければわかりません。そんなことは仕事の多い陛下にはできませんよ》(『科学朝日』昭和23年8月号)
「裕仁」と書かれた標本
1929年(昭和4年)6月1日、昭和天皇は、御召艦「長門」で、初めて和歌山県の沿岸部に出かけます。生物が多様なことから、一番楽しみにしていた場所でした。
午前中、京都帝大の附属臨海研究所に到着し、南紀の地質、動物、貝、海藻などについて講義を受けます。この日の午後の様子は、『昭和天皇実録』から引用しておきます。
《午後、駒井所長等と共に研究所の和船に御乗船になる。
四双島・塔島付近において地元潜水夫が海中より採集したウミトサカ・テヅルモヅルほかを御観察になり、海藻に付着したヒドロゾアを御手ずから切り取られる。
ついで神島に御上陸になり、南方熊楠より神島についての説明を御聴取の後、繁茂する樹陰に入られ、粘菌の採集を試みられるも成果なし。
ついで畠島に向かわれ、御上陸になる。磯にてドラベラ・ウミウシ・珊瑚等を御採集になり、続いて石川講師より漣岩等についての説明をお聴きになる。
午後5時45分、御召艦に御帰艦になる。艦内において南方熊桶より約30分にわたり粘菌・地衣類・海蜘蛛・ヤドカリ等に関する講話をお聴きになり、日本産粘菌類の献上を受けられる》
これだけでも、ずいぶん楽しんだことがうかがえますね。
余談ながら、南方熊楠は献上した粘菌類をキャラメルの箱に入れていました。のちに昭和天皇は渋沢敬三に「普通は桐の箱かなんか、立派な箱に入れてくるのだが」と、とても驚いたと語っています。
この話には後日談があります。1962年5月23日、33年ぶりにこの地を再訪した昭和天皇は、南方熊楠と散策した神島を望んでこう詠みました。
《雨にけぶる神島を見て紀伊(き)の国の生みし南方熊楠をおもふ》
奇人と呼ばれた南方熊楠との出会いも、生涯のいい思い出になったのです。
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