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第144章 新しい価値観、新しい世界観
昨夜は、神道入門を読みながら、寝落ちしてしまった。
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神道入門―そのカミ観念・思想・歴史 - 一人ひとりが声をあげて平和を創る メールマガジン「オルタ広場」
http://www.alter-magazine.jp/index.php?神道入門―そのカミ観念・思想・歴史 より
この会は「仏教に親しむ会」で、仏教を知的に愉しもうと、これまでさまざまな視点から論じてきていますが、仏教理解のための比較の一対象として、神道についてもいささか知っておくのがよかろうと思います。そこで今回は神道について、その大筋をお話させていただきます。
◆ はじめに
「神道」というのは何かといいますと、なかなか難しいのですが、一言でいうと、「日本固有の民族宗教」ですね。日本人の信仰や思想に大きな影響を与えた仏教や儒教などに対して、それらが伝えられる以前からあった土着のカミ観念に基づく宗教実践とそれを支えている生活習慣を、まとめて「神道」と呼んでいます。
その特徴としては、創始者がおらず、確定的な教典もなく、森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する、そして、古代から豪族層による政治体制とも関連しながら徐々に発展してきて、近代には日本国家の形成にも大きな影響を与えた宗教です。
今日はその神道についてお話するわけですが、本論に入る前に、一つお断りしておきたいことがあります。
江戸時代の中期に、本居宣長という有名な国学者がいました。「国学」というのは、ご存知のように、儒教や仏教など外来文化の影響を受ける以前の「日本民族固有の精神に立ち返ろう」という主張を基本とする思想・学問でして、ですから、神道に一番近い、いわば神道の立場を代弁する学問ですが、その国学の代表者といってもいい本居宣長が、日本古来の神=神道の神について、こう定義しているのですね。神とは、「何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)きものなり」。なんであろうと、普通でない勝れた徳や力があって、畏れ多いもの、それが神だというのですね。これが神道の神です。
「何にまれ」ですから、なんでもよい。バラバラです。統一的な原理や体系はありません。なんでも神になる。なんでも神でありうる。これが、まず押さえておきたい神道の特徴です。
他の宗教と比べてみますと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は一神教ですね。ヤハウェ、デウス、アッラーなどと呼び名は変わっても、一つの絶対的な神があって、この神しかあってはならない、他の神の存在は許さない。その意味で完成された排他的一神教です。
では、仏教はどうかといいますと、仏教では多くの如来・菩薩・明王・天と、さまざまおりまして、一見、多神教のようですが、「釈迦が説いた悟りの境地を目差す」という仏教全体の確固とした大目標があって、その目標に向けての統一的世界の中でそれぞれの如来・菩薩・明王・天が位置づけられ、役割を担っているわけです。それに対して神道の神々は、ほとんど互いの脈絡なく、バラバラに存在するのですね。「多元的」といってもいい。これが神道の、まず第一の大きな特徴です。
ですから、これから私がお話しますことも、論理的な脈絡がつけにくく矛盾するところも多いのですが、それはこの「神道という世界自体がもつ多元性にある」とご理解いただきたいと思います。
◆ 神道のカミと祀り
さてそれでは、「日本の神とは何か」、という話から入りましょう。これにはいろいろなタイプがあります。まずは、森羅万象を霊的存在と見るタイプ。古来、日本人は、人間の力を越えたもの対し畏れかしこむ心を抱き、そうした心情を起こさせるものをカミと呼んできました。山、川、海。生い茂った樹木や巨大な岩。狼や烏や蛇。芽生えや実り。生物・無生物を問わずあらゆるものを、霊魂や精霊を宿す生命体と見たり、人間と同じように意志や感情を持つものと考え、それらのモノや働きをカミとしました。いわゆるアニミズムの世界観ですね。それが一つ。
次に、死者の霊魂が昇華されてカミになるとも考えます。人は亡くなると死者の霊魂である「タマ」は、はじめはアラタマ(二通りの意味と字があります。新魂・荒魂。亡くなったばかりの「新しい魂」としてアラタマですが同時に「荒らぶる魂」のアラタマです)で、そのアラタマは周りの人たちに危害を及ぼす危険な要素を持っていますけれど、丁重に祀られるにつれてしだいにその荒々しさが薄れ、やがてニギタマ(和魂)として穏やかな性格へと変化していき、そして数十年もすると、タマの段階ではまだ持っていた個性・個別性を失って、祖先神と融合して一体になる。祖先神という目に見えない一つの集合体に同化してしまうのですね。
この、その地域の全ての死者の霊が一体となった目に見えない祖先神の塊は、通常、人里離れた山の中や海の彼方に住み、定期的に、ときには臨時に、故郷を訪れ、村人の暮らしを見守り、手助けもするのですね。
たとえば農村なら、山にいる祖先神が、春、山を下って里に降りてきて、「田の神」として村人の稲作を助け、秋に収穫が無事終わったのを見届けたら、山に戻って「山の神」になる、という具合です。季節ごとに、「山の神」「田の神」を繰り返すのですね。この祖先神が里にいるときの住まいが鎮守の祠や社です。
神は物質でなく、姿・形を持たないものですから、降りてきた神は一時的に宿るものが必要になります。これが「依代(よりしろ)」と呼ばれるもので、樹木や岩などがそうですし、鏡や剣もそうですね。また、人に神が降りてくる場合もあります。人の場合は「憑坐」(よりまし)といわれて、いわゆる「神がかり」ですね。
神に対する人々の考え方・観念を、具体的に表しているのが「祭り」です。
神々を畏れかしこむ人々は、暮らしの節目ごとに神々を迎えてもてなし、畏敬の念を示し、願い事をし、加護に感謝しました。その祭りの一般的な進め方を具体的に見ますと、まず、神々を迎えるための場所を清浄に整え、神々を祀る人々も心身を浄めることから始まります。
準備が整うと、聖なる時間である深夜に、あらかじめ用意された依代もしくは憑坐に神を降ろして、御饌(みけ=神に供える食物)や神酒(みき=神に供える酒)を供え、神をもてなす歌や舞いを奉納します。
人々は神に対する願いを祝詞や歌で伝え、神は神意を託宣(神のお告げですね。巫女さんを通じて告げたり)、卜占(占い)で示します。
それがすむと、神々と人々が共に供えた酒を飲み供えた食べ物をたべる直会(なおらい)によって、神と人との絆を強め、確かめ、神が祭りの場を去ると、禁忌が解かれて祭りは終わります。
祭りの多くは農耕儀礼と結びついていまして、年頭に豊作を祈願する祭り、春の農耕開始に当たっての祭り、夏の病害虫駆除のための祭り、秋の収穫を感謝する祭り、の四つの祭りが最も重要な基本となる祭りでした。
人々は、竈の神や井戸の神など、それぞれの生活で必要なさまざまな神も祀りましたが、稲作社会では、一定の所にずっと住む定住性のうえに、農作業などを協働で行うための結束の強い共同体を造りだしていましたから、そこで祀られる最も重要な神は「共同体の祖先神」であり、それはその土地の守り神と考えられ、共同で祀ることが多かったのですね。
ですから、神道は基本的に集団の信仰であり、後に個人の救済が求められるようになると、それは仏教に求められることになって、そこに宗教の棲み分け・役割分担が出てくるのです。この役割分担は現在まで続いていますね。
ちょっと長く横道にそれましたが、
「神道の神」に戻りましょう。
日本古来の神は、今お話した、自然の神・森羅万象に宿る神、と、共同体の祖先神(先祖代々の霊で、山の神・田の神ともなって地域の人々の生活や生産を守る神)が最も基本的ですが、他にもいろいろあります。
まずは、天照大神や素戔嗚尊など、『古事記』や『日本書紀』、『風土記』などの諸々の神話に出てくる神々です。次に「人物神」といいますか、皇族や貴族・豪族出身の人物や、戦国大名・武将から明治維新の志士・元勲・軍人まで、さまざまな人物が神として祀られています。
それから、興味深いのは「御霊(ごりょう)信仰」ですね。政争で失脚したり戦乱で敗れた者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊は、怨霊となって、敵や仇に災いをもたらすだけでなく、社会全体にも災い(天変地異や疫病の流行など)をもたらします。しかし、こうした霊を名誉回復したりして鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」となって平穏や恵みをもたらす、という考え方が、平安時代に起こりました。これが御霊信仰です。
その代表的な例が菅原道真ですね。文筆に勝れ、忠臣として誉れ高く、官僚トップの右大臣にまで昇り詰めたのですが、左大臣に讒訴され、大宰府へ左遷されて、恨みを呑んで現地で亡くなりました。すると、死後、京に異変が頻発するようになったのです。まず讒訴した政敵が病死する。次いで讒訴を受け入れた醍醐天皇の息子や孫が次々病死。ついには天皇の住まいである清涼殿に雷が落ちて朝廷の要人の多くを殺傷し、それを目撃した醍醐天皇も、体調を崩して3ヶ月後に崩御した。これらを道真の霊の祟りと恐れた朝廷は、道真の名誉回復をするとともに、京都に北野天満宮を建てて天神として祀った。これが全国各地にある天満宮=天神様の始まりですね。
このような祟りを恐れて祀った神社は結構いろいろあるのです。たとえば、関東の豪族の武将ですが朝敵として討たれた平将門を祀ったのが、東京の神田明神、築土神社、岐阜県大垣市の御首(みくび)神社、茨城県坂東市の国王神社などですし、佐倉藩の苛斂誅求を直訴して磔になった名主の佐倉惣五郎を祀った宗吾霊堂もそうですね。
同じようなことで言えば、祇園祭で知られる京都の八坂神社は、素戔嗚尊を祀っているといいますが、もともとは、疫病神の牛頭天王(ごづてんのう)を鎮めるための、仏教や陰陽道とも習合した神社だったのです。
ちょっと付け足しますと、祟りをもたらす霊を鎮めるためには、強い呪術の力が必要とされ、呪力の強い仏教が大きな力を果たすことが期待され、それが神仏習合を進展させることになったともいわれています。
さて、神道の神ですが、このように幾つかのタイプの神がありますが、それらがいろいろ混ざり合い習合しているのですね。そして、たとえば一番先にお話した自然の万物に宿る霊的なもの、たとえば稲に宿る精霊である「稲魂」も、人格化されて、保食神(うけもちのかみ)とか登由宇気神(とゆうけのかみ)とか大気津比売神(おおげつひめのかみ)と呼ばれる人格的存在とされていて、しかも、一つの神に沢山の別称がある、というようなことで、神々の世界は複雑極まりないのです。ですが、いずれもそれらは、人知を超えた恐るべき存在で、捧げ物をして丁重に祀れば人々に恩恵を与えるけれど、そうしないとひどい災厄をもたらすと、考えられていました。これが古来の日本の神、神道の神の特徴ですね。
※ 転載終わり
《神道》
自然の神・森羅万象に宿る神、と、
共同体の祖先神(先祖代々の霊で、山の神・田の神ともなって地域の人々の生活や生産を守る神)が最も基本的。
他にもいろいろな神様がいらっしゃる。
確かに、それで、
神道には、八百万(やおよろず)の神という、認識がある。
http://www.alter-magazine.jp/index.php?神道入門―そのカミ観念・思想・歴史 より
この会は「仏教に親しむ会」で、仏教を知的に愉しもうと、これまでさまざまな視点から論じてきていますが、仏教理解のための比較の一対象として、神道についてもいささか知っておくのがよかろうと思います。そこで今回は神道について、その大筋をお話させていただきます。
◆ はじめに
「神道」というのは何かといいますと、なかなか難しいのですが、一言でいうと、「日本固有の民族宗教」ですね。日本人の信仰や思想に大きな影響を与えた仏教や儒教などに対して、それらが伝えられる以前からあった土着のカミ観念に基づく宗教実践とそれを支えている生活習慣を、まとめて「神道」と呼んでいます。
その特徴としては、創始者がおらず、確定的な教典もなく、森羅万象に神が宿ると考え、天津神・国津神や祖霊をまつり、祭祀を重視する、そして、古代から豪族層による政治体制とも関連しながら徐々に発展してきて、近代には日本国家の形成にも大きな影響を与えた宗教です。
今日はその神道についてお話するわけですが、本論に入る前に、一つお断りしておきたいことがあります。
江戸時代の中期に、本居宣長という有名な国学者がいました。「国学」というのは、ご存知のように、儒教や仏教など外来文化の影響を受ける以前の「日本民族固有の精神に立ち返ろう」という主張を基本とする思想・学問でして、ですから、神道に一番近い、いわば神道の立場を代弁する学問ですが、その国学の代表者といってもいい本居宣長が、日本古来の神=神道の神について、こう定義しているのですね。神とは、「何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)きものなり」。なんであろうと、普通でない勝れた徳や力があって、畏れ多いもの、それが神だというのですね。これが神道の神です。
「何にまれ」ですから、なんでもよい。バラバラです。統一的な原理や体系はありません。なんでも神になる。なんでも神でありうる。これが、まず押さえておきたい神道の特徴です。
他の宗教と比べてみますと、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は一神教ですね。ヤハウェ、デウス、アッラーなどと呼び名は変わっても、一つの絶対的な神があって、この神しかあってはならない、他の神の存在は許さない。その意味で完成された排他的一神教です。
では、仏教はどうかといいますと、仏教では多くの如来・菩薩・明王・天と、さまざまおりまして、一見、多神教のようですが、「釈迦が説いた悟りの境地を目差す」という仏教全体の確固とした大目標があって、その目標に向けての統一的世界の中でそれぞれの如来・菩薩・明王・天が位置づけられ、役割を担っているわけです。それに対して神道の神々は、ほとんど互いの脈絡なく、バラバラに存在するのですね。「多元的」といってもいい。これが神道の、まず第一の大きな特徴です。
ですから、これから私がお話しますことも、論理的な脈絡がつけにくく矛盾するところも多いのですが、それはこの「神道という世界自体がもつ多元性にある」とご理解いただきたいと思います。
◆ 神道のカミと祀り
さてそれでは、「日本の神とは何か」、という話から入りましょう。これにはいろいろなタイプがあります。まずは、森羅万象を霊的存在と見るタイプ。古来、日本人は、人間の力を越えたもの対し畏れかしこむ心を抱き、そうした心情を起こさせるものをカミと呼んできました。山、川、海。生い茂った樹木や巨大な岩。狼や烏や蛇。芽生えや実り。生物・無生物を問わずあらゆるものを、霊魂や精霊を宿す生命体と見たり、人間と同じように意志や感情を持つものと考え、それらのモノや働きをカミとしました。いわゆるアニミズムの世界観ですね。それが一つ。
次に、死者の霊魂が昇華されてカミになるとも考えます。人は亡くなると死者の霊魂である「タマ」は、はじめはアラタマ(二通りの意味と字があります。新魂・荒魂。亡くなったばかりの「新しい魂」としてアラタマですが同時に「荒らぶる魂」のアラタマです)で、そのアラタマは周りの人たちに危害を及ぼす危険な要素を持っていますけれど、丁重に祀られるにつれてしだいにその荒々しさが薄れ、やがてニギタマ(和魂)として穏やかな性格へと変化していき、そして数十年もすると、タマの段階ではまだ持っていた個性・個別性を失って、祖先神と融合して一体になる。祖先神という目に見えない一つの集合体に同化してしまうのですね。
この、その地域の全ての死者の霊が一体となった目に見えない祖先神の塊は、通常、人里離れた山の中や海の彼方に住み、定期的に、ときには臨時に、故郷を訪れ、村人の暮らしを見守り、手助けもするのですね。
たとえば農村なら、山にいる祖先神が、春、山を下って里に降りてきて、「田の神」として村人の稲作を助け、秋に収穫が無事終わったのを見届けたら、山に戻って「山の神」になる、という具合です。季節ごとに、「山の神」「田の神」を繰り返すのですね。この祖先神が里にいるときの住まいが鎮守の祠や社です。
神は物質でなく、姿・形を持たないものですから、降りてきた神は一時的に宿るものが必要になります。これが「依代(よりしろ)」と呼ばれるもので、樹木や岩などがそうですし、鏡や剣もそうですね。また、人に神が降りてくる場合もあります。人の場合は「憑坐」(よりまし)といわれて、いわゆる「神がかり」ですね。
神に対する人々の考え方・観念を、具体的に表しているのが「祭り」です。
神々を畏れかしこむ人々は、暮らしの節目ごとに神々を迎えてもてなし、畏敬の念を示し、願い事をし、加護に感謝しました。その祭りの一般的な進め方を具体的に見ますと、まず、神々を迎えるための場所を清浄に整え、神々を祀る人々も心身を浄めることから始まります。
準備が整うと、聖なる時間である深夜に、あらかじめ用意された依代もしくは憑坐に神を降ろして、御饌(みけ=神に供える食物)や神酒(みき=神に供える酒)を供え、神をもてなす歌や舞いを奉納します。
人々は神に対する願いを祝詞や歌で伝え、神は神意を託宣(神のお告げですね。巫女さんを通じて告げたり)、卜占(占い)で示します。
それがすむと、神々と人々が共に供えた酒を飲み供えた食べ物をたべる直会(なおらい)によって、神と人との絆を強め、確かめ、神が祭りの場を去ると、禁忌が解かれて祭りは終わります。
祭りの多くは農耕儀礼と結びついていまして、年頭に豊作を祈願する祭り、春の農耕開始に当たっての祭り、夏の病害虫駆除のための祭り、秋の収穫を感謝する祭り、の四つの祭りが最も重要な基本となる祭りでした。
人々は、竈の神や井戸の神など、それぞれの生活で必要なさまざまな神も祀りましたが、稲作社会では、一定の所にずっと住む定住性のうえに、農作業などを協働で行うための結束の強い共同体を造りだしていましたから、そこで祀られる最も重要な神は「共同体の祖先神」であり、それはその土地の守り神と考えられ、共同で祀ることが多かったのですね。
ですから、神道は基本的に集団の信仰であり、後に個人の救済が求められるようになると、それは仏教に求められることになって、そこに宗教の棲み分け・役割分担が出てくるのです。この役割分担は現在まで続いていますね。
ちょっと長く横道にそれましたが、
「神道の神」に戻りましょう。
日本古来の神は、今お話した、自然の神・森羅万象に宿る神、と、共同体の祖先神(先祖代々の霊で、山の神・田の神ともなって地域の人々の生活や生産を守る神)が最も基本的ですが、他にもいろいろあります。
まずは、天照大神や素戔嗚尊など、『古事記』や『日本書紀』、『風土記』などの諸々の神話に出てくる神々です。次に「人物神」といいますか、皇族や貴族・豪族出身の人物や、戦国大名・武将から明治維新の志士・元勲・軍人まで、さまざまな人物が神として祀られています。
それから、興味深いのは「御霊(ごりょう)信仰」ですね。政争で失脚したり戦乱で敗れた者の霊、つまり恨みを残して非業の死をとげた者の霊は、怨霊となって、敵や仇に災いをもたらすだけでなく、社会全体にも災い(天変地異や疫病の流行など)をもたらします。しかし、こうした霊を名誉回復したりして鎮め、神として祀れば、かえって「御霊」となって平穏や恵みをもたらす、という考え方が、平安時代に起こりました。これが御霊信仰です。
その代表的な例が菅原道真ですね。文筆に勝れ、忠臣として誉れ高く、官僚トップの右大臣にまで昇り詰めたのですが、左大臣に讒訴され、大宰府へ左遷されて、恨みを呑んで現地で亡くなりました。すると、死後、京に異変が頻発するようになったのです。まず讒訴した政敵が病死する。次いで讒訴を受け入れた醍醐天皇の息子や孫が次々病死。ついには天皇の住まいである清涼殿に雷が落ちて朝廷の要人の多くを殺傷し、それを目撃した醍醐天皇も、体調を崩して3ヶ月後に崩御した。これらを道真の霊の祟りと恐れた朝廷は、道真の名誉回復をするとともに、京都に北野天満宮を建てて天神として祀った。これが全国各地にある天満宮=天神様の始まりですね。
このような祟りを恐れて祀った神社は結構いろいろあるのです。たとえば、関東の豪族の武将ですが朝敵として討たれた平将門を祀ったのが、東京の神田明神、築土神社、岐阜県大垣市の御首(みくび)神社、茨城県坂東市の国王神社などですし、佐倉藩の苛斂誅求を直訴して磔になった名主の佐倉惣五郎を祀った宗吾霊堂もそうですね。
同じようなことで言えば、祇園祭で知られる京都の八坂神社は、素戔嗚尊を祀っているといいますが、もともとは、疫病神の牛頭天王(ごづてんのう)を鎮めるための、仏教や陰陽道とも習合した神社だったのです。
ちょっと付け足しますと、祟りをもたらす霊を鎮めるためには、強い呪術の力が必要とされ、呪力の強い仏教が大きな力を果たすことが期待され、それが神仏習合を進展させることになったともいわれています。
さて、神道の神ですが、このように幾つかのタイプの神がありますが、それらがいろいろ混ざり合い習合しているのですね。そして、たとえば一番先にお話した自然の万物に宿る霊的なもの、たとえば稲に宿る精霊である「稲魂」も、人格化されて、保食神(うけもちのかみ)とか登由宇気神(とゆうけのかみ)とか大気津比売神(おおげつひめのかみ)と呼ばれる人格的存在とされていて、しかも、一つの神に沢山の別称がある、というようなことで、神々の世界は複雑極まりないのです。ですが、いずれもそれらは、人知を超えた恐るべき存在で、捧げ物をして丁重に祀れば人々に恩恵を与えるけれど、そうしないとひどい災厄をもたらすと、考えられていました。これが古来の日本の神、神道の神の特徴ですね。
※ 転載終わり
《神道》
自然の神・森羅万象に宿る神、と、
共同体の祖先神(先祖代々の霊で、山の神・田の神ともなって地域の人々の生活や生産を守る神)が最も基本的。
他にもいろいろな神様がいらっしゃる。
確かに、それで、
神道には、八百万(やおよろず)の神という、認識がある。
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