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第106章 繋がっていく 8 八 蜂 ハチ
ジョン・レノンの死
しおりを挟む偶然見つけた、ジミー・ヘンドリクスの謎の死の記事に、ジョン・レノンのことも書かれていたなぁと思い、再び読んでみることにした。
《情報入手先》
麻薬を社会に蔓延させてきたのは米英の支配層であり、麻薬漬けになるスターの背後には情報機関 - 楽天ブログ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201602160000/
※ ジョン・レノンの死について書かれている部分を抜粋
1975年から80年にかけてレノンは育児を理由にして活動を休止するが、80年10月にシングル曲「スターティング・オーバー」を発表して表舞台に復帰する。
それと同時に政治活動も再開しようとしていた。殺されなければ、人種による賃金差別に抗議する日系アメリカ人のストライキに参加、集会で歌っていたはずだ。
1979年12月にNATO理事会は83年にパーシング2ミサイルを配備することを決定、核戦争を懸念する声が世界的に高まり、反戦/反核運動が盛り上がった。
そうした動きにレノンが参加する可能性は高かった。本ブログでは何度も書いたことだが、1980年代にはアメリカ憲法の機能を停止させるCOGプロジェクトが始まる。
好戦派にとってレノンが目障りだったことは間違いない。
ジョン・レノンも不可解な形で麻薬の洗礼を受けている。
1965年2月、ジョージ・ハリソンの歯医者がハリソンとレノンを自宅に招待、ハリソンの恋人とレノンの妻と一緒に食事をしたのだが、その際、歯医者のジョン・ライリーは4人に内緒でコーヒーへLSDを入れて飲ませたのだ。
その時、ハリソンはLSD自体のことを知らなかったという。身の危険を感じたのか、4人は歯医者の引き留めを振り切って帰宅している。なぜ歯医者が自分のキャリアを犠牲にしてそのようなことをしたのか、疑問に感じる人は多いだろう。
※ 転載終わり
《好戦派にとってレノンが目障りだったことは間違いない。》
ポイントは、やっぱりここか。
ところで、ジョン・レノンも不可解な形で麻薬の洗礼を受けたという。
1965年2月、ジョージ・ハリソンの歯医者がハリソンとレノンを自宅に招待…
歯医者が入れたコーヒーに、LSDが入っていた。
ジミー・ヘンドリクスの時みたいに、強引なやり方に驚きを隠せない。
ところで、LSDって何?
また、Wikipediaに頼る。
LSD (薬物)とは?
リゼルグ酸ジエチルアミド(リゼルグ酸ジエチルアミド、リゼルギン酸ジエチルアミド、英: lysergic acid diethylamide)は、非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤である。
ドイツ語「Lysergsäurediethylamid」の略称であるLSD(エルエスディー)として広く知られている。
非常に強烈な作用を有する半合成の幻覚剤…
こんなもの、強引に飲まされたらたまったもんじゃない。
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