🌟真理の扉

鏡子 (きょうこ)

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第40章 ダ・ヴィンチとフェルメールからのメッセージ

ダ・ヴィンチの哲学的な思想

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第22章でも触れた内容ではあるが
ドイツの哲学者カール・ヤスパース氏の
言葉を踏まえて 、
口説いようだが、もう一度記述してみたい。

 
私は、第22章に
ほとんど霊感で書いた内容ですと前置きし、下記のような文章を書いている。




レオナルドは、偉大な自然のなかに、神が宿っていることを感じ

大いなる宇宙にある、神秘の力に思いを馳せていた。


無限なる宇宙に、神々の存在を感じると共に、ちっぽけな一人の人間である自分自身も、小宇宙であり


我々もまた、一人一人が、神のような存在だと感じた。 



当時の人々は、生まれながらに培われた信仰心の根源がキリスト教にあり、
当たり前のように崇めなければならなかったのは、キリスト教だった。


しかし、レオナルドは違っていた。



レオナルドにとってキリスト教は、大いなる存在達(神々)の 
一部でしかなかった。



「キリスト教は
全てのなかの一部分」 


レオナルドが生きていた当時、そんな事を口にしたら、死刑になりかねないだろう。 


それくらい、ローマ教皇及び、当時の聖職者は、威圧的な政治を行っていたのだ。 



レオナルドの世界観や、宗教観は、


遠い遠い未来の人類に受け入れられるであろう


極めて躍進的な思想だった! 




全ては一つであり 



我々は、全てのなかの一つなのだ。 



レオナルドがキリスト教に逆らうような絵を描いたとして、

だからといっても


レオナルドは
反キリスト精神を持っていたと考えるべきではない。 


レオナルドは、キリスト教に敬意を祓いつつも、 それを飛び越えた宗教理念を持っていたと考えるべきだ。 


レオナルドは、
全宇宙の、
多次元的世界のなかに存在する神々に想いを巡らせていた。



全宇宙のなかで、神々の存在を感じつつも 



「我の身体にも、また神は宿る」と悟った。 



レオナルドは、モナ・リザに何を描きたかったのだろう? 



※  以上、第22章にて記述した内容


ドイツの哲学者、カール氏は
著『リオナルド・ダ・ヴィンチ』での

ダ・ヴィンチは、「超キリスト教的な視線を持っており、彼の中には超ヨーロッパ的なものがある」
という記載と、相通じるものがある。






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