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第95章 先駆者となれ
アルファロメオ
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2018年12月9日
今日の今日まで知らなかった。
スフォルツァ家の紋章と、アルファロメオのロゴマークが同じだなんて。
アルファロメオ
※ wikipediaより転載
栄光の発端
1910年6月24日、「ロンバルダ自動車製造株式会社」(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili 、A.L.F.A.)[注釈 1][注釈 2]が、経営危機に喘ぐフランス・ダラック[注釈 3]のイタリア工場、「ダラック・イタリアーナ」を18万リラで買い取り創業したのを発祥とする。
今に続くミラノ市章の赤十字とかつてミラノを支配したヴィスコンティ家の家紋に由来する人を飲み込む大蛇を組み合わせた同社のエンブレムには、当初「ALFA MILANO」の文字が刻まれていた。記念すべき最初の生産車は高性能な「24HP」で、A.L.F.A. はこれを武器に創業1年にして早くもレースを走り始め、その後も「30HP」「40-60HP」の活躍によってスポーツカーメーカーとしての地歩を固めていった。
1918年にナポリ出身の実業家ニコラ・ロメオのニコラ・ロメオ技師有限会社と吸収合併し、会社名がニコラ・ロメオ技師株式会社となった。そして1920年、1921M/YのAlfa Romeo 20/30 E.Sport のエンブレムに、旧ブランドの"ALFA"と新会社のロゴ“ROMEO”を結んだ新ブランド名“ALFA-ROMEO”(-:ハイフン)が誕生する。ニコラ・ロメオは、レースが販売促進でも技術力向上でも有益であることを理解していたので、ジュゼッペ・メロージをはじめとするアルファロメオの技術スタッフは更なる高性能スポーツカー開発に没頭。初期の傑作「RL」シリーズがデビューする。「RL」はあらゆるレースで大活躍し、アルファロメオの名声を一気に高めた。
これに勢いを得た同社は、A.L.F.A. 創業時からの設計者ジュゼッペ・メロージによる「Alfa Romeo P1」で念願のグランプリレースに挑戦する。しかし、このマシンは前年のグランプリチャンピオンマシン「FIAT Tipo 804」のデッド・コピーとも言われ、重い車重で全く競争力がなかった。そのマシンで無理したためか、デビュー戦である1923年イタリアグランプリのプラクティスにおいて、エースドライバーであり同年のタルガフローリオでクアドリフォリオを着け優勝したウーゴ・シヴォッチを事故で失い、チームは撤収してしまった。このままではグランプリレースから撤退の憂き目にあいかねないと、エンツォ・フェラーリやルイジ・バルツィが、当時の最強チームのひとつフィアット・グランプリ・チームの技術者だったヴィットリオ・ヤーノをフィアット内部のゴタゴタに乗じて獲得する。
ヤーノはグランプリマシンの傑作「P2」「P3」のほか、レーシングスポーツカーの「8C」シリーズ、高級実用車「6C」シリーズなどを設計し、アルファロメオの主要設計者として活躍した。この過程で、1930年代には市販型乗用車にまでもレースモデル同様に高度な設計のDOHCエンジンを搭載する、というアルファロメオ独特の伝統が根付いた。同時期には、前輪にフェルディナント・ポルシェ特許のトレーリングアーム式、後輪にスイング・アクスル式をそれぞれ用いた全輪独立懸架化で、世界の潮流に先んじた。
かの自動車王ヘンリー・フォードは「私はアルファロメオが通るたびに脱帽(Hat Off)する」と言ったといわれるが、これはアルファロメオに対する賞賛であると同時に、生産効率に左右されることなく、少数生産、超高価格販売政策のもとで理想の車づくりに邁進できた同社への皮肉めいた羨望であったかもしれない。
スフォルツァ家の紋章について…
1450年にスフォルツァ家がミラノ公へ即位した時のミラノ公国国旗。
この人を飲み込む竜はミラノの昔話からきており、ヴィスコンティ家の紋章でもあった。現在はミラノのシンボルとして定着しており、アルファロメオのロゴの元にもなっている。
※ 画像200枚超えなので、入れることが出来ずに、残念です。
呟き
そう言えば、何月何日か忘れたけど、
「天高く昇る龍」ってメッセージを頂いた。
あの龍って、スフォルツァ家の紋章の龍だったんだ!!
今日の今日まで知らなかった。
スフォルツァ家の紋章と、アルファロメオのロゴマークが同じだなんて。
アルファロメオ
※ wikipediaより転載
栄光の発端
1910年6月24日、「ロンバルダ自動車製造株式会社」(Anonima Lombarda Fabbrica Automobili 、A.L.F.A.)[注釈 1][注釈 2]が、経営危機に喘ぐフランス・ダラック[注釈 3]のイタリア工場、「ダラック・イタリアーナ」を18万リラで買い取り創業したのを発祥とする。
今に続くミラノ市章の赤十字とかつてミラノを支配したヴィスコンティ家の家紋に由来する人を飲み込む大蛇を組み合わせた同社のエンブレムには、当初「ALFA MILANO」の文字が刻まれていた。記念すべき最初の生産車は高性能な「24HP」で、A.L.F.A. はこれを武器に創業1年にして早くもレースを走り始め、その後も「30HP」「40-60HP」の活躍によってスポーツカーメーカーとしての地歩を固めていった。
1918年にナポリ出身の実業家ニコラ・ロメオのニコラ・ロメオ技師有限会社と吸収合併し、会社名がニコラ・ロメオ技師株式会社となった。そして1920年、1921M/YのAlfa Romeo 20/30 E.Sport のエンブレムに、旧ブランドの"ALFA"と新会社のロゴ“ROMEO”を結んだ新ブランド名“ALFA-ROMEO”(-:ハイフン)が誕生する。ニコラ・ロメオは、レースが販売促進でも技術力向上でも有益であることを理解していたので、ジュゼッペ・メロージをはじめとするアルファロメオの技術スタッフは更なる高性能スポーツカー開発に没頭。初期の傑作「RL」シリーズがデビューする。「RL」はあらゆるレースで大活躍し、アルファロメオの名声を一気に高めた。
これに勢いを得た同社は、A.L.F.A. 創業時からの設計者ジュゼッペ・メロージによる「Alfa Romeo P1」で念願のグランプリレースに挑戦する。しかし、このマシンは前年のグランプリチャンピオンマシン「FIAT Tipo 804」のデッド・コピーとも言われ、重い車重で全く競争力がなかった。そのマシンで無理したためか、デビュー戦である1923年イタリアグランプリのプラクティスにおいて、エースドライバーであり同年のタルガフローリオでクアドリフォリオを着け優勝したウーゴ・シヴォッチを事故で失い、チームは撤収してしまった。このままではグランプリレースから撤退の憂き目にあいかねないと、エンツォ・フェラーリやルイジ・バルツィが、当時の最強チームのひとつフィアット・グランプリ・チームの技術者だったヴィットリオ・ヤーノをフィアット内部のゴタゴタに乗じて獲得する。
ヤーノはグランプリマシンの傑作「P2」「P3」のほか、レーシングスポーツカーの「8C」シリーズ、高級実用車「6C」シリーズなどを設計し、アルファロメオの主要設計者として活躍した。この過程で、1930年代には市販型乗用車にまでもレースモデル同様に高度な設計のDOHCエンジンを搭載する、というアルファロメオ独特の伝統が根付いた。同時期には、前輪にフェルディナント・ポルシェ特許のトレーリングアーム式、後輪にスイング・アクスル式をそれぞれ用いた全輪独立懸架化で、世界の潮流に先んじた。
かの自動車王ヘンリー・フォードは「私はアルファロメオが通るたびに脱帽(Hat Off)する」と言ったといわれるが、これはアルファロメオに対する賞賛であると同時に、生産効率に左右されることなく、少数生産、超高価格販売政策のもとで理想の車づくりに邁進できた同社への皮肉めいた羨望であったかもしれない。
スフォルツァ家の紋章について…
1450年にスフォルツァ家がミラノ公へ即位した時のミラノ公国国旗。
この人を飲み込む竜はミラノの昔話からきており、ヴィスコンティ家の紋章でもあった。現在はミラノのシンボルとして定着しており、アルファロメオのロゴの元にもなっている。
※ 画像200枚超えなので、入れることが出来ずに、残念です。
呟き
そう言えば、何月何日か忘れたけど、
「天高く昇る龍」ってメッセージを頂いた。
あの龍って、スフォルツァ家の紋章の龍だったんだ!!
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