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10年前を振り返ってみたくなった。※2019年に記載した話
10年前の6月22日を振り返り、メール転載 ②
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6/22 10:10
I先生へ
その後の情報です。私は、図書館にて フランク・ツォルナーのレオナルド・ダ・ヴィンチ全絵画作品・素画集を借り、重要な文章を発見しました。
アンギァーリの戦い、レオナルドの壁画の模写(タヴォラ・ドリア)1504‐1506年という作品が個人蔵として現存しています。歴史的な事実が書かれていました。以下、記述します。
画集レオナルドにとって、フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオの大評議会広間(サーラ・デル・グラン・コンシーリョ)のための壁画《アンギァーリの戦い》の制作を依頼されたことは、最も名誉なことであった。1440年のアンギァーリの戦いの場面を取り上げたこの壁画制作に、レオナルドは、3年足らずの間打ち込んだが、1506年の春に未完のまま放棄し、この壁画は16世紀中葉に破壊された…とありました。
最も名誉な依頼を取り組んでいた、しかしその作品を放棄し、未完とした。
ダ・ヴィンチが『自分探しの旅』に出たのは、1506年の春ではないでしょうか?『モナ・リザ』に着手した、1年後でもあります。
そして私は、最も信頼性の高いとされていたヴァザーリの記述の重大な誤りを知る事となりました。『5年以上の歳月をかけて未完成に終わったジョコンダに依頼された彼の妻(モンナ・リーザ)の肖像画は、フランス王室のフランソワ1世が所蔵することとなる。』後世の美術研究家達は、この文を信用しました。しかし、私は真実を知る事となりました。上記の文章を私の文章に変えてみます。
『レオナルドは、最も大切なパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァが失脚した後、まずマントヴァへ行った。そこでは、イザベラ・デステが、寛大な芸術のパトロンとして名声を確立していた。ダ・ヴィンチは、彼女から依頼を受けていた描いていた肖像画を未完成に終わらせた。しかし、ダ・ヴィンチは、その作品とは別のある大作を完成させていた。その作品は、肖像画ではなく人類初の『イメージ画像として捉えた人物画』である。題名は、残念な事にダ・ヴィンチによりその全貌が明かされていないので、分からない。その作品は、フランスのフランソワ1世が所蔵することとなる。』
ダ・ヴィンチは、晩年、亡くなる前の数年間フランスに滞在し、フランソワ1 世から、住まいを与えられていたそうです。しかし、ダ・ヴィンチは、いつかは裏切られる事を予言していました。
1513~1516年頃、『洗礼者聖ヨハネ』の大作を描きました。ヨハネは、首を切られる事を覚悟で王族に批判しました。神の前に忠実であった洗礼者聖ヨハネを描いたのです。
ダ・ヴィンチは、ヨハネに救いを求めていました。
I先生へ
その後の情報です。私は、図書館にて フランク・ツォルナーのレオナルド・ダ・ヴィンチ全絵画作品・素画集を借り、重要な文章を発見しました。
アンギァーリの戦い、レオナルドの壁画の模写(タヴォラ・ドリア)1504‐1506年という作品が個人蔵として現存しています。歴史的な事実が書かれていました。以下、記述します。
画集レオナルドにとって、フィレンツェのパラッツォ・ヴェッキオの大評議会広間(サーラ・デル・グラン・コンシーリョ)のための壁画《アンギァーリの戦い》の制作を依頼されたことは、最も名誉なことであった。1440年のアンギァーリの戦いの場面を取り上げたこの壁画制作に、レオナルドは、3年足らずの間打ち込んだが、1506年の春に未完のまま放棄し、この壁画は16世紀中葉に破壊された…とありました。
最も名誉な依頼を取り組んでいた、しかしその作品を放棄し、未完とした。
ダ・ヴィンチが『自分探しの旅』に出たのは、1506年の春ではないでしょうか?『モナ・リザ』に着手した、1年後でもあります。
そして私は、最も信頼性の高いとされていたヴァザーリの記述の重大な誤りを知る事となりました。『5年以上の歳月をかけて未完成に終わったジョコンダに依頼された彼の妻(モンナ・リーザ)の肖像画は、フランス王室のフランソワ1世が所蔵することとなる。』後世の美術研究家達は、この文を信用しました。しかし、私は真実を知る事となりました。上記の文章を私の文章に変えてみます。
『レオナルドは、最も大切なパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァが失脚した後、まずマントヴァへ行った。そこでは、イザベラ・デステが、寛大な芸術のパトロンとして名声を確立していた。ダ・ヴィンチは、彼女から依頼を受けていた描いていた肖像画を未完成に終わらせた。しかし、ダ・ヴィンチは、その作品とは別のある大作を完成させていた。その作品は、肖像画ではなく人類初の『イメージ画像として捉えた人物画』である。題名は、残念な事にダ・ヴィンチによりその全貌が明かされていないので、分からない。その作品は、フランスのフランソワ1世が所蔵することとなる。』
ダ・ヴィンチは、晩年、亡くなる前の数年間フランスに滞在し、フランソワ1 世から、住まいを与えられていたそうです。しかし、ダ・ヴィンチは、いつかは裏切られる事を予言していました。
1513~1516年頃、『洗礼者聖ヨハネ』の大作を描きました。ヨハネは、首を切られる事を覚悟で王族に批判しました。神の前に忠実であった洗礼者聖ヨハネを描いたのです。
ダ・ヴィンチは、ヨハネに救いを求めていました。
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