裸の王様社会🌟

鏡子 (きょうこ)

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田中角栄氏は、新潟県出身だった。

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何気に、「新潟、C I A」をキーワードにして、google検索をかけた。 


新潟は、田中角栄氏の、出身地だった。
あまり、政治に詳しくなかったので知らなかったです。



朝日新聞、CIAも見誤った「田中角栄」という政治家 “vs.エスタブリッシュメント”の確執 | デイリー新潮

https://www.dailyshincho.jp/article/2018/12290556/


朝日新聞、CIAも見誤った「田中角栄」という政治家 “vs.エスタブリッシュメント”の確執

政治週刊新潮 2018年9月13日号掲載
田中角栄生誕100年 「エスタブリッシュメントvs.成り上がり」の死闘――徳本栄一郎(2/2)

 今も人気が高い田中角栄を米英はどう見たか。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が読み解く機密文書から見えてきたものは、新潟の田舎から上京してきた小学校卒の「成り上がり」と、戦後日本に君臨した“保守本流エスタブリッシュメント”との確執である。...

今も人気が高い田中角栄を米英はどう見たか。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が読み解く機密文書から見えてきたものは、新潟の田舎から上京してきた小学校卒の「成り上がり」と、戦後日本に君臨した“保守本流エスタブリッシュメント”との確執である。


拙著『田中角栄の悲劇』(光文社)で触れたが、総理に就任した田中は自分もエスタブリッシュメントに仲間入りしたと思い込んでいた節がある。「私は吉田学校の優等生」が口癖だったことからもそれが窺えるが、佐藤前総理たち保守本流は明らかにそうは思っていなかった。そして後に田中が金権体質やロッキード疑獄を追及された際も、救いの手はどこからも差し伸べられなかった。
 米国もその微妙な立ち位置を察知していたようで、内閣発足直後の1972年8月、駐日大使館がワシントンに送った報告書がある。

「日本における田中の人気の高さは、時代の申し子という彼がもたらすイメージに由来している。同時に彼の性格の中の自惚(うぬぼ)れの強さと横柄さは西洋人にはすぐに見抜けるが、(日本人がそう感じにくいのは)彼の成金的経歴による所が大きい」
「問題解決の際に田中が見せる厚かましさや率直さ、利用できるものは何でも利用しようとする部分は、日本社会の伝統に反している」
「彼のやり方は颯爽として大きな成果を手にする可能性がある一方、その政権に予期せぬような結末をもたらしかねない」
 だが、それとは正反対に、田中に対して限りない感謝と思慕の気持ちを抱く人間がいたのも事実だった。それは軽井沢や都会ではなく、高度成長から取り残された地方の人々で、それをひしひしと感じたのは西山町の生家近くの田中角榮記念館を訪れた時である。

「イナカモンに天下とられたのが悔しくて…」

 ここには生前の多くの写真や遺品、遺墨が展示されているが、その一角の壁際にずらりと感謝決議状が並んでいた。額に入れられてかなり古く、一部は黄色く変色してしまっている。田中が地元にもたらした鉄道や道路の建設、これらへの住民の感謝の証で、その一つに国鉄(現JR東日本)只見線があった。
 只見線は福島県会津若松市と新潟県魚沼市の間を結ぶ路線で、有数の豪雪地帯の中を走るので知られる。全線開通は地元の長年の悲願で、その目途がついた1962年5月、沿線の町長ら約15名が連名で感謝決議を行っていた。
「田中角栄先生が打出された卓越せる新しい国造りの構想が伝統の国鉄新線建設方式を大きく転換せしめた功績によるもの」という。
 この他、新潟県内の国道昇格や架橋への感謝決議も市町村長の署名が並び、いずれも田中が自民党の幹事長や政務調査会長だった頃で、その政治力と剛腕ぶりがはっきりと伝わった。
 後に田中は民間航空機トライスターの売り込みでロッキード社の賄賂を受け取った容疑で逮捕され、刑事被告人となったが、その直後の1976年12月に行われた総選挙で、何と約17万票という大量得票でトップ当選を果たす。これには田中の金権ぶりを批判してきた朝日新聞も驚きを隠せず、「日本で最低の政治意識暴露」などと識者のコメントを紹介した。
 角榮記念館のガラスの陳列ケースに、この時の選挙の模様を紹介した本が置かれているが、古ぼけたページに支持者の男性の肉声が残っていた。

「ロッキードから5億円もらったとかどうとか、わしゃわからん。越後の米つきバッタとかいって馬鹿にしてたイナカモンに天下とられたのが悔しくて、インテリと共産党がよってたかって引きずりおろそうってんでないがね。そうはさせんよ。角のアニが帰ってきたんだすけ、助けてやらねば」

 この選挙では山間の辺鄙(へんぴ)な村ほど田中支持が強く、真冬にも拘わらず、立ち会い演説に「角さんが来なっしゃる」と1時間も山道を歩いてきた86歳の老人もいた。

 まだ囲炉裏のある茅葺(かやぶき)の家々は年に数カ月は雪に閉じ込められ、男たちは都会に出稼ぎに出ざるをえない。そうした過疎で死にかけた村に救いの手を差し伸べたのが田中で、村人は恩義を決して忘れず、それに報いたのだった。

農民自体なんだな

 当時のCIAや国務省の文書を読むと、彼らは日本の政界や財界中枢からの情報を基に、田中の政治生命を危ぶんでいたようだ。ところが予想に反して、その後も彼は派閥を膨らませ、脳梗塞で倒れるまで政界のキングメーカーとして君臨した。なぜ、朝日新聞同様、見通しを誤ったのか。
 この問いには、かつて田中総理と交流があった右翼の黒幕で国際的フィクサーの田中清玄が答えてくれるような気がする。

「東京タイガー」の異名で中東や欧州の有力者と太いパイプを持ち、石油権益獲得など田中の資源外交を支援した清玄は、あるインタビューで角栄人気をこう評していた。
「あの人は、あらゆる意味で農民自体なんだな。おれはあれだけデモス(民衆)の世界に入り切れない。おれなんか少しエリートすぎる、誇りが高すぎるんだ。これは悪い点だな」
「都会の感覚で農民、農村を見ようとするから間違うのよ。ニューヨークの感覚でイランを見ると、それじゃイランの問題の本質がわからん。もしくはモスクワの感覚でアフガンを見るからロシアは負けるのよ。東京の感覚で農民を見ても、農民がなんで田中さんをサポートするかわからんよ」(「月刊プレイボーイ」1981年3月号)
「今太閤」と称賛された人気の裏では田中への蔑みと尊敬、嫌悪感と思慕、こうした対立する剥き出しの感情が渦巻いていた。彼を“成り上がり”と見下した保守本流と、炎天下で汗も拭わずに墓前に手を合わせる老人たち、それはそのまま戦後の日本人の姿でもあった。
 田中が亡くなってから今年で25年、西山町に眠る彼の元には今も多くの人々が足を運んでいる。
(文中敬称略)





※ 転載終わり


 153.254.170.6  と、上記の情報が、関係あるのか?ないのか?さっぱり分からず。

とりあえず、参考までに、転載だけしとこうと思った。
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