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二十一(終話)

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「ごめんください」
 猿羽根(さばね)山の峠を越え、暫く道を下り、四半時も歩くと、一軒の茶屋があった。
 茶屋と言っても、粗末な小屋で、店先に座るための台があったから、ようやく茶屋と分かって、訪いを入れたのである。
 無精髭の小柄な老男が出てきた。
「あれ、こんにざっす」
「甘酒と、お団子を」
 筵が敷かれた台に座りながら、つるは言った。
 台の側に板が立てかけてあり、「あまざけ」「だんご」と書いてある。
 つるは、この年、数えの十九である。
 ぶんの一人娘、そうあの、つるである。
 台の横に、柿の木が一本あり、ちょうどいい日陰を作っている。
 つるは、笠を取った。
 白い額には、汗が光っている。
 肌の色は母親譲りだった。
 そこからは、山里が一望できた。
 五月雨が育てたあおが目に眩しかった。
 つるは、ふうっと息を吐いた。
 すぐに甘酒と団子が運ばれてくる。
「旅の人、一人でがあ」
「そうです、ひとり」
「なんだて、難儀だなあ、どごがら」
「常陸の国です」
「おやおや、たまげだ。ほげな遠くがら、一人で」
「このお団子は、珍しい」
「ずんだ団子だ」
「ずんだ」
 つるは聞き返した。
「んだ、枝豆ばあ、すりこ木で潰して、麦芽糖ばへっで(入れて)」
「美味しい」
 一口食べて、つるは声を上げた。
 甘酒は、よく冷えていて、一口飲んだだけで、汗が引いていくのが分かった。
 ここから東長沢までは、一里ぐらいだった。
 老男に礼を言って、つるは再び歩き始めた。
 間もなく、北羽前街道の入り口に差し掛かった。
 いよいよであった。
 幼い余助は、この道をどういう思いを胸に歩いたことだろう。
 川の音が聞こえた。
 ギチギチ、ギチギチ。
 鳥のさえずりに、しばし、つるは足を止める。
 額の汗を手ぬぐいで拭く。

 昼八つ頃、つるは東長沢に着いた。
 余助の生家では、知らない娘が一人現れ、余助の名前を出したから、大騒ぎとなった。
 余助の従姉妹が老齢ながらまだ健在で、余助のことを覚えていた。
「余助の娘があ、なんだて」
 老女は、目を細めて静かに驚きを表した。
「あの、市川團十郎さ成ったて」
 生家の跡取りの喜三郎が大きな声で説明している。
 初代團十郎は、生前、ぶんに遺言を残した。
 遺言には、團十郎の頭髪が添えられていた。
 もし、出来ることならば、東長沢のバンバの墓に埋めてくれ、駄目でも、それは形見だ、と遺言には書かれていた。
 流石のぶんも、長旅は無理だった。
 しかし、病に倒れて、そのことをつるに話した。
 それだけが心残りだ、と泣きながら。
 バンバの墓は、余助の生家の墓の横にあった。
 墓と言っても、長丸い小さな墓石が置いてあるだけだった。
 苔むしている。
 その石は、余助が小国川の河原から運んだ石だった。
 つるはしゃがんで、途中で積んできた、薄紫の紫陽花を墓石の前に供えた。
 そして、曾祖母の墓と思って、手を合わせた。
 やっと叶った思いだった。
 記憶に朧げな、父の笑顔が脳裏に浮かんだ。
 母の声も聞こえたような気がした。
「ごげなどごまで、今晩は泊まっていがっしゃい」
「いいえ、せっかくですが、新庄のご城下に行こうか、と思っております」
「ないだずう、ほんて、若いのに、一人でえ、荒いごどなあ」
 そう喜三郎が言うのへ、
「私が、團十郎の子の中で、父に似て、いちばん気性が荒いのですよ」
 そう、笑いながら言ったとか、言わぬ、とか。
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