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 二件の貸本の回収が無事に済むと、余助は圓満寺への道を急いだ。
 息を切らして寺の敷地内に入ると、蝉の声が一際大きくなった。
 右手に芝居の掛小屋が見えた。
 それは、堂々として、余助は威圧感に近いものを感じる。
 小屋の入口は参道を向いていた。
 入り口には畳表が暖簾のように掛けてあって、中は見えない。
 小屋の左には、大きな銀杏の木がある。
 木を回り込むように、余助は小屋の周りを歩いた。
 小屋の奥は、舞台になっていて、出番待ちの役者の控えもあるため、幅が広くなっている。
 もちろん、なぜそういう形になっているのかを余助は知らない。
 不思議な形をしている、と余助は思った。
 ここで、歌舞伎なるものが上演される。
 どうすれば、観られるのか。
 城下では、芝居の定小屋(じょうごや)を開くことを禁じていた。
 風俗を乱す、という理由だった。
 しかし、城下には活気も必要である。町の活気は、すなわち、為政者の力そのものだからだ。
 時の新庄藩主は、二代目、戸沢正誠(まさのぶ)であった。
 この年、城内では、血なまぐさい騒動があった。
 正誠が権力を強化するために、家老の片岡理兵衛一族を殺害した、と言う。
 これは単なるお家騒動ではなかった。
 そこには、正誠の藩政改革への決意が現れていた。
 これを皮切りに、正誠は事実、藩の改革を断行した。
 検知の実施、税制の改革、銅山開発、寺社建立と、多くの偉業を成し遂げていったのである。
 その一つとして、城下町の建設にも力を入れた。
 正誠の治世は、六十年の長きに渡った。
 藩は安定し、新庄藩は大いに栄えた。藩の最盛期と言われる所以である。
 そういう時勢を背景に、高橋藤次郎は城下における興行関係の監視役を任されていた。
 当然の成り行きで、旅の興行が来れば、請け元となり、小屋を準備し、役者たちの宿を手配した。
 その藤次郎から歌舞伎の話を聞いてからというもの、余助は毎日のように芝居小屋を見に行っていた。
 上演が始まれば、外からでも何かを見聴きできると思っていた。
 まさか、入場して観劇することなど、考えてもいない余助だったが、そこに芝居小屋が現に在って、中の様子を想像するだけで、胸躍るものがあった。
 そんな余助の思いが通じたのか、朗報が舞い込んできた。
 芝居の稽古らしき音が聞こるようになって数日後のこと、木戸と余助は在方の百姓家に農機具の仕入れに行った帰りに、藤次郎の家に立ち寄った。
 百姓家から、西瓜を貰ったので、届けたのだった。
「こんな大きい西瓜は、食べきれませんので」
「おお、おっきいやづだなあ」
 大家は、早速、井戸に西瓜を冷やした。
「夕方、余助坊と来い」
 日暮れ時、木戸と余助は大家の家に行った。
 藤次郎の妻、文(ふみ)が明るく迎えてくれた。
「余助坊、ご飯食べていげなわあ」
「いつもかたじけない」
 そう行って、はっと木戸は口に手を当てた。
 武士の言葉が抜け切れず、時々こうやって出る。
 藤次郎は、それを見て笑う。
「気にすっこどないちゃ、上がれあがれ」
 裏の戸が開け放たれ、指首野川からの川風が抜けてくる。
 木戸は、自然に落ち着いた気持ちになった。
 余助は、大家の家に来ると、壁に掛けてあるものや、棚に置いてあるものなどに目が行き、そわそわする。
「ほうえば、余助坊、芝居小屋出来だな、見だが」
「うん、見だ」
「大っきがったべ」
「うん」
 木戸には、何のことか分からない。
「あ、三郎兵衛どのには話してながったが」
 文が大根のお付け(味噌汁)を運んできた。
「圓満寺塔頭のとごろさ、芝居小屋が建った」
「ほう」
「俺が、請け元になっていてな、いろいろ面倒を見ている」
 木戸にも漸く話が見えてきた。
「それがな、この一座の主、太夫元が、前は侍でな」
 藤次郎は、ここで話を切った。
 皆まで言う必要は無かった。
 同じ境遇、ということだけで十分。
 飯が運ばれてきた。
 それとアユ。
 焼いたアユに、山椒味噌がたっぷり塗られている。
 漬物は茄子の塩漬けだ。
「アユですか」
 木戸は舌鼓を打った。
「さあ、食べて」
 木戸は手を合わせて、まず、茄子に箸を伸ばす。
「これこれ、これが良い」
 余助も木戸に習い、お付けの椀を大事そうに両手で持ち、すすった。
 藤次郎は、いきなりアユへ。
 文は、皆が食べる様子をしばらく見てから、自分の箸を進める。
「それでな」
 ひとしきり食べてから、藤次郎は話を再開した。
「この二十四日に、その芝居の初演なのだが、招待されておる」
 請け元としては、当然の成り行きだろう。
「家内と二人で行くつもりなんだが、三郎兵衛殿もどうだ、余助坊と」
 余助は、一瞬箸を止め、飯から目を離し、藤次郎を見上げた。
「いやいや、そんなお気遣いは」
「なあに、遠慮するな、余助坊も行きたいだろ」
 木戸は、余助を見た。
「なあ、余助坊」
 余助も、木戸の顔色を伺っている。
「招待だがら、金の心配はいらねぞ」
「では」
 木戸は、箸を置き、頭を下げる。
「そんな、堅苦しくするなあ」
 文が吹き出して、藤次郎が笑った。
「おかわりは」
 文が余助に尋ねた。
 余助は、茶碗を渡す。
「三郎兵衛どのも遠慮すねで、たんと食べろ」
 余助は、嬉しくて仕方なかった。
 これまで生きてきて、これほどまでに、何かを心待ちにするような事があったろうか。
 水無月の暑い盛りだった。
 初演までは、その日から十日あったが、余助には、その十日が一月ほどにも感じられた。
 そして、やっと、その日は来た。

 暗く、囲まれているせいか、外から見るよりも、狭いように感じられた。
 藤次郎が小屋について、あれこれ説明をする。
 舞台の壁や天井は、大小幾つもの明かり取りが開いていて、それが照明代わりとなる。
 それらは、この小屋の舞台装置としては、最も大事なものと言える。
 客席は板敷きで、筵が敷いてあり、舞台よりも一段下がっている。
 壁の最下が一尺ばかり開いている。
 風窓だ。
 虫が入らぬよう、蚊帳が張ってある。
 立ち見はいなかったが、観客席に隙間はない。
 百人くらいは入っているだろう。
 余助は、小屋の内部の設え、舞台の構造に興味が尽きない。
 これらは、藤次郎と太夫元の田村富久猿(ふくえん)が試行錯誤の上、やっと造り上げたものだ。
 この芝居小屋は、掛小屋とは言え、初雪が降る頃まで使われる予定だったから、しっかりしたものにする必要があった。
 せっかくだから何でも言ってくれと、藤次郎は富久猿の望みを全て聞き、職人たちが形にしていった。
 富久猿は、以前一度、新庄城下を訪れたことがあった。
 五年ほど前だったか。
 その時一座は、三人だけだった。
 それが今では、裏方も入れて、二十六人の大所帯。
 諸国でも、一定の人気を博していた。
 富久猿が、もともと武士だったこともあり、時代物の芝居を得意とする一座だった。
 今回、新庄城下での初めての長期興行だが、どれだけの入りとなるか、未知だった。
 演目も客筋に合わせる必要があった。
 藤次郎と富久猿との間で検討がなされ、ひとまず一日で、時代物と舞踊の二演目をやることにしていた。
 夏の暑さもあるので、午前の部のみ。
 開演は、四つ(午前十時ころ)。
 初日は、富久猿の口上がある。
 
 待ちきれない客達のざわめきが一入となった。
 そこへ、突然、大太鼓。
「ドドン」
 拍子木の音が鳴り、明かり取り窓が一斉に開くと、横並びに勢揃いの役者に光が当たる。
 拍子木の音が止み、太夫元が顔をあげる。
「これにありまするは、田村富久猿と申しまする。諸国を周り、芸を生業とする者。この度は、新庄藩のご温情を賜りまして、およそ四月に渡る興行の運びとなりました。ここに厚く御礼を申し上げ奉りまする」
 裃姿の一同が礼をした。
 観客は静まり返る。
「これに並びまするは、当座の役者の面々。合わせまして、ご贔屓のほど、よろしくお願い申し上げ奉りまする」
 再びの礼。
 拍子木。
 小屋内に、唸り声とも、どよめきとも思える音が低く響いた。
 再び、舞台が暗転した。
 しかしここからは、さほど待たなかった。
 まず、最初の書割(かきわり=舞台の背景の絵)が運ばれ、そこに一筋の光が当たった。
 海原のようだ。
 島影も描かれている。
「親方さま、親方さま、船が取り囲まれてござりまする」
「おのれ、源氏め、陸であらば、向こう三里までも近づかせぬものを」
 三味線が静かに鳴り始めた。
 それは海風のように、また、追い詰められた武将の心情のように響く。
 下手を睨みながら、景清が続ける。
「想えば、大将、清盛の死から始まったのじゃ。その後の嫡子、重盛の死。平勢の足元さえ、盤石であらば、このような顛末にはならなかったものを。無念である、無念である」
 そう言いながら、左足を大きく一歩踏み出す。
 肩を落とす。
 しかし、次の瞬間、再び肩を怒らせて、右足を外から回すように体を観客に向ける。
「おのれ、こうならば、最後は戦い果てるまでのこと」
 黒子が面明かり(つらあかり=役者の顔をよく見せるために差し出す、柄の付いた燭台)を差し出し、景清の顔を照らした。
 鎧兜からは、太い鬢(びん)が溢れるようにせり出す。
 白塗りの上、左右の頬には血潮を表す紅が炎にように描かれ、景清の豪傑さを演出している。
 目は大きく見開かれた。
 間もなく、黒子が下がり、一気に舞台は明転。
「親方、源氏の兵に乗り移られました」
 わあっと。
 ここで、舞うような、大立ち回り。
 太鼓と、摺鉦(すりがね)が鳴らされる。
 時は平安末期。元暦二年。
 長門国、赤間関、壇ノ浦。
 源平、最後の戦いである。
 余助は、身震いした。
 開演からすぐに、肝に衝撃が走っていた。
 まるで実際に目の前で起こっている事件を、まさに目撃している。
 そういう心持ちだったろう。
 劇が進むにつれて、それは最早、自分の心ではなくなっていくようであった。
 舞台は再び暗転。
 書割が変えられた。
 音はなく、岩肌がぼんやりと浮かび上がった。
 薄汚れた、着流し姿の男が座っている。
 牢屋だった。
 剃髪され、変わり果てた景清であった。
 頬は痩せこけ、血気がない。
 実際には、この短時間での化粧直しは不可能である。
 富久猿に代わり、別の役者が演じる。
「壇ノ浦で死ぬことも叶わず、囚われの身。そののち、頼朝暗殺の企みも儚く散ったことよ。この屈辱に何とか耐え忍ぼうとも、源氏の栄えることを目の当たりにすることは、最早ここまでにしたい。この目さえなければいいのだ。この目を取ってしまえば。えっ」
 景清は、木っ端で両目をえぐり取り、空へ投げつける。
 そして、ああ、と叫び、その場に伏せる。
 暗転し、しばらく三味線の音だけが静かに鳴った。
 三味線が下げて、一人の娘が現れ、舞台上手側を彷徨う。
 そのうち、下手の明かり窓が明けられ、庵の一室が浮かび上がる。
 そこに景清がぽつねんと座っていた。
 この娘は、幼き時に、鎌倉の長者に預けた、景清の娘、人丸(ひとまる)である。
 庵に辿り着いた人丸は、訪いを入れる。
「このあたりに、一人、僧が住まわれていると聞き及びまして、探し歩いておりまする。ご承知ありませぬか。私はその娘にござります」
 景清は顔をそむけ、また三味線の音曲がひとしきり流れた。
 音が止み、景清。
「はて、聞いたこともござりませぬ。よそで聞いてくだされ」
 娘は失意のもとにその場を去り、景清は泣き崩れる。
 余助には、話の半分も分からなかった。
 分からなかったが、完全に劇に入り込んでいる。
 その初演以降、余助は、時間さえあれば芝居小屋横の銀杏の根下に座り、目をつむって耳を澄ました。
 時々、劇の音が漏れ聞こえてくる。
 夏が終わり、銀杏の葉が黄色に色づく、紅葉芳しい秋の夕暮れだった。
「芝居は好きか」
 声を掛けたのは、富久猿その人だった。
 歳のころは五十前。
 背丈は大きくはないが、恰幅が良く、藍の着流しがよく似合っていた。
 余助は答えに窮する。
 一度しか観たことがないものを、好きだとは言えない。言いがたい。
 その時、枯れ葉の匂いに混じって、甘い、なんとも言えない良い匂いがした。
 もちろん、それが鬢付け油の匂いとは、余助は知らない。
 その匂いで、この人は役者だろう、と直感した余助は、一転肯定してみせた。
「はい」
 余助の目が輝いた。
「そうか」
 富久猿は、余助に微笑みかける。
「毎日、ただで観られる方法があるぞ」
 余助は身を乗り出す。
「下足番をやるのさ。さもなくば」
 余助は次の言葉を待った。
「自分が役者になることだ」
 富久猿はそう言って笑った。
 余助も、それに釣られて笑う。
 何でもない、立ち話だった。
 しかし、それは、ただの立ち話では無かった。
 後から考えてみれば、の話だが。
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