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二
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「こんもり娘は 楽なようで
難儀なもんだな
よその軒端に 立ち寄れば
やがますいがら そっちゃ行げど
ごしゃがれる
ねんねこせー ねんこせー」
余助は、木の匙(さじ)を止めて、バンバを見上げた。
ようやく匙を持つことができるようになった。
結局はバンバが与えなければ、一口も食べられなかったが、とにかく匙を持ちたがった。
垢が干からびて、カサカサになった頬に、丸くて大きい、はっきりした黒目だけが、ひときわ精彩を放っていた。
余助がバンバのところに来て、二年の月日が経った。
山神(ヤマガミ)のバンバは、黒く四角い顔で微笑んで返した。
余助は、子守唄が好きらしい。
粥は無くなってしまったようだ。
「もう、ねぐなった(無くなった)があ」
バンバの炊くオンナ粥は、その材料の割には食べやすかった。
百姓は、雑穀を食べることを恥じる。
だから、「男は食べない」という意味で、米以外の飯を、「オンナ飯」と蔑称した。
「オンナ飯」の粥だから、「オンナ粥」。
誰が言い始めたのか解らない。
バンバのオンナ粥は、野草などで、雑穀の臭さを上手く消しているのだ。
亡き権四郎が、その作り方を尋ね、妻に覚えさせた。
権四郎とは、余助の実の父親のことだ。
権四郎は変わり者だった。
普通なら、勝手に自分の土地に住み着いた、何処から来たとも知れない老婆をそのままにしておくだろうか。
権四郎は、追い出すどころか、裏山で放棄していた小さな畑を使わせてやった。
「ぶ投げて置ぐより、いいべちゃ」
そういうわけで、畑の横に朽ちかけていた小屋に、バンバは住み始めた。
権四郎は、それを見逃し、そのまま住まわせたのだ。
バンバは何処とも知れずに流れてきて、最初、東長沢(山形県最上郡舟形町長沢)にある、山の神の祠近くに、勝手に居着いた。
時に、恐ろしい飢饉だった。
これが、国の西から東まで、例外がなく覆い尽くした。
長雨、冷夏、日照りによる旱魃と、そこかしこで休むこともなく、これでもかと続く天災。
そのため農作物はまったく育たなくなっていった。
寛永の大飢饉である。
一説には、寛永十九年(一六四二年)に起きた飢饉が、その後十年もの間続いたと言われている。
「会津のほうなあ、みな土地ば投げて、逃げでってんなあどお」
東長沢でも、噂は駆け巡った。
それがすぐに、噂で済まなくなった。
東長沢にも例外なく、旱魃が襲い掛かったのである。
異常気象が、止まらない。
当然だが、貧しい者から犠牲になった。
河原乞食が増える。
小国川(おぐにがわ)の下流の方に、屍が積み上がる。
捨て子、人売りの横行。
こうなると、不思議と男のほうが早く死ぬ。
権四郎には、当初、三男二女が居た。
最初に、長男が高熱で逝った。
ほぼ同時に権四郎の母が亡くなった。
栄養状態が最悪になっていたから、免疫が低下していたのだろう。
流行病が、村人を次々と死に至らしめた。
四男の余助が産まれたのは、諸国の飢饉が下火になったころだっだ。
下火になったとは言え、長く続いた飢饉の爪痕は深く、立て直しに相当の年月を要するのは必至だった。
流行病もくすぶり続け、人の命を確実に奪っていった。
授かるはずのない命だった。
権四郎が病臥する、ほんのすこし前に、気まぐれに妻のトモを抱いた。
口減らしが必要なときに、と、トモは自分を責めるしか無かった。
恥ずかしい、と。
ついでに授かったような子。
余りの子。
だから、余助。
そのうちに、川に流すしかないだろう、とトモは思いつめた。
小国川の水は少なく、正常な時なら水が流れている辺りに、腐った水たまりがいくつもできていた。
その河原では、乞食たちが何かに群がっている。
夏の日差しが、乞食たちが眺めているものを温め、その悪臭が、川風に乗ってやってくる。
もっと下流の広い河原には、屍がいくつも転がっていた。
地獄絵図。
「捨てれば、この子も喰われる」
トモは、そう思った。
どのみち死ぬしかない命だとしても、目の前でそうなるのを、見たくはない。
トモは途方に暮れて、家に帰って来た。
川から家まで歩くだけでも、ゼイゼイと息が荒くなった。
体力に、まったく余力がないのだ。
重い木戸を開けると、上框に山神のバンバが座っていた。
トモは、追い払うように、右手で空を払った。
バンバは、薄気味悪い笑みを浮かべている。
トモは、気にせず家に上がった。
すれ違いざまに、バンバが言った。
「こんもり(子守)してけっか」
トモは振り返った。
最早、考える力も残っていない。
自然に、背負帯に手が掛かった。
バンバは、赤子を受け取ると、器用にひょいと背負い、帯を結び直して、家を出て行った。
それは、木戸三郎兵衛がバンバの家に現れた、ほんの数日後の事だった。
あれから二年。
その間、余助は大した病気一つしなかった。
バンバも同じだ。
人と交わらずに、山小屋で暮らしていたことが幸いしたのだろうか。
あるいは、オンナ粥のお陰か。
バンバにしても、余助が生きながらえるだろうとは、思っていなかった。
少女の頃から子守りをしてきたから、バンバは子守りの名人だ。
それに、子供が好きだった。
貧農の家に生まれて、余助と同じように、両親を病で失った。
兄弟は散り散りになった。
容姿の良い、妹は売られていった。
自分は、農家を渡り歩き、手伝いをして、その日の食べるものを得た。
そうして生きてきた。生きながらえてきたのだ。
子守りは、バンバの唯一の楽しみだ。
自分の子がほしいなどとは、考えたこともなかった。
赤子は無垢だ。
当たり前だが、別け隔てがない。
お腹が空けば泣くだけだ。
余助もよく泣く。
それも、元気な証拠だ。
その母親は、為す術もなく、余助を泣くに任せておいた。
少なくとも、バンバには、余助を泣きやませることができる。
そうすれば、母親も楽になるだろう。
バンバがそう考えるのは自然のこと。
だから、余助を連れてきた。
しかし、泣き止んだ余助をおぶって、トモのところに行っても、トモは余助を引き取ろうとしなかった。
臥せっていた床で、ようやく起きあがり、力なく微笑んだだけだった。
そして、大きく咳き込んで、痰を切った。
この家に返したら、余助はすぐに死んでしまうだろう。
遅かれ早かれ亡くなる命なら、自分のところに居たほうが、まだましだと、バンバは直感的に思った。
バンバのお陰か。
本当に、余助が強かったからか。
それから余助は、すくすくと育った。
いろいろな子供を見てきたバンバだった。
そのバンバが太鼓判を押した。
この子は強い、何か違う、と。
そしていつしか、こう余助に語りかけることが、バンバの口癖になった。
「ヨスケ坊は、荒い(強い)ごどなあ」
難儀なもんだな
よその軒端に 立ち寄れば
やがますいがら そっちゃ行げど
ごしゃがれる
ねんねこせー ねんこせー」
余助は、木の匙(さじ)を止めて、バンバを見上げた。
ようやく匙を持つことができるようになった。
結局はバンバが与えなければ、一口も食べられなかったが、とにかく匙を持ちたがった。
垢が干からびて、カサカサになった頬に、丸くて大きい、はっきりした黒目だけが、ひときわ精彩を放っていた。
余助がバンバのところに来て、二年の月日が経った。
山神(ヤマガミ)のバンバは、黒く四角い顔で微笑んで返した。
余助は、子守唄が好きらしい。
粥は無くなってしまったようだ。
「もう、ねぐなった(無くなった)があ」
バンバの炊くオンナ粥は、その材料の割には食べやすかった。
百姓は、雑穀を食べることを恥じる。
だから、「男は食べない」という意味で、米以外の飯を、「オンナ飯」と蔑称した。
「オンナ飯」の粥だから、「オンナ粥」。
誰が言い始めたのか解らない。
バンバのオンナ粥は、野草などで、雑穀の臭さを上手く消しているのだ。
亡き権四郎が、その作り方を尋ね、妻に覚えさせた。
権四郎とは、余助の実の父親のことだ。
権四郎は変わり者だった。
普通なら、勝手に自分の土地に住み着いた、何処から来たとも知れない老婆をそのままにしておくだろうか。
権四郎は、追い出すどころか、裏山で放棄していた小さな畑を使わせてやった。
「ぶ投げて置ぐより、いいべちゃ」
そういうわけで、畑の横に朽ちかけていた小屋に、バンバは住み始めた。
権四郎は、それを見逃し、そのまま住まわせたのだ。
バンバは何処とも知れずに流れてきて、最初、東長沢(山形県最上郡舟形町長沢)にある、山の神の祠近くに、勝手に居着いた。
時に、恐ろしい飢饉だった。
これが、国の西から東まで、例外がなく覆い尽くした。
長雨、冷夏、日照りによる旱魃と、そこかしこで休むこともなく、これでもかと続く天災。
そのため農作物はまったく育たなくなっていった。
寛永の大飢饉である。
一説には、寛永十九年(一六四二年)に起きた飢饉が、その後十年もの間続いたと言われている。
「会津のほうなあ、みな土地ば投げて、逃げでってんなあどお」
東長沢でも、噂は駆け巡った。
それがすぐに、噂で済まなくなった。
東長沢にも例外なく、旱魃が襲い掛かったのである。
異常気象が、止まらない。
当然だが、貧しい者から犠牲になった。
河原乞食が増える。
小国川(おぐにがわ)の下流の方に、屍が積み上がる。
捨て子、人売りの横行。
こうなると、不思議と男のほうが早く死ぬ。
権四郎には、当初、三男二女が居た。
最初に、長男が高熱で逝った。
ほぼ同時に権四郎の母が亡くなった。
栄養状態が最悪になっていたから、免疫が低下していたのだろう。
流行病が、村人を次々と死に至らしめた。
四男の余助が産まれたのは、諸国の飢饉が下火になったころだっだ。
下火になったとは言え、長く続いた飢饉の爪痕は深く、立て直しに相当の年月を要するのは必至だった。
流行病もくすぶり続け、人の命を確実に奪っていった。
授かるはずのない命だった。
権四郎が病臥する、ほんのすこし前に、気まぐれに妻のトモを抱いた。
口減らしが必要なときに、と、トモは自分を責めるしか無かった。
恥ずかしい、と。
ついでに授かったような子。
余りの子。
だから、余助。
そのうちに、川に流すしかないだろう、とトモは思いつめた。
小国川の水は少なく、正常な時なら水が流れている辺りに、腐った水たまりがいくつもできていた。
その河原では、乞食たちが何かに群がっている。
夏の日差しが、乞食たちが眺めているものを温め、その悪臭が、川風に乗ってやってくる。
もっと下流の広い河原には、屍がいくつも転がっていた。
地獄絵図。
「捨てれば、この子も喰われる」
トモは、そう思った。
どのみち死ぬしかない命だとしても、目の前でそうなるのを、見たくはない。
トモは途方に暮れて、家に帰って来た。
川から家まで歩くだけでも、ゼイゼイと息が荒くなった。
体力に、まったく余力がないのだ。
重い木戸を開けると、上框に山神のバンバが座っていた。
トモは、追い払うように、右手で空を払った。
バンバは、薄気味悪い笑みを浮かべている。
トモは、気にせず家に上がった。
すれ違いざまに、バンバが言った。
「こんもり(子守)してけっか」
トモは振り返った。
最早、考える力も残っていない。
自然に、背負帯に手が掛かった。
バンバは、赤子を受け取ると、器用にひょいと背負い、帯を結び直して、家を出て行った。
それは、木戸三郎兵衛がバンバの家に現れた、ほんの数日後の事だった。
あれから二年。
その間、余助は大した病気一つしなかった。
バンバも同じだ。
人と交わらずに、山小屋で暮らしていたことが幸いしたのだろうか。
あるいは、オンナ粥のお陰か。
バンバにしても、余助が生きながらえるだろうとは、思っていなかった。
少女の頃から子守りをしてきたから、バンバは子守りの名人だ。
それに、子供が好きだった。
貧農の家に生まれて、余助と同じように、両親を病で失った。
兄弟は散り散りになった。
容姿の良い、妹は売られていった。
自分は、農家を渡り歩き、手伝いをして、その日の食べるものを得た。
そうして生きてきた。生きながらえてきたのだ。
子守りは、バンバの唯一の楽しみだ。
自分の子がほしいなどとは、考えたこともなかった。
赤子は無垢だ。
当たり前だが、別け隔てがない。
お腹が空けば泣くだけだ。
余助もよく泣く。
それも、元気な証拠だ。
その母親は、為す術もなく、余助を泣くに任せておいた。
少なくとも、バンバには、余助を泣きやませることができる。
そうすれば、母親も楽になるだろう。
バンバがそう考えるのは自然のこと。
だから、余助を連れてきた。
しかし、泣き止んだ余助をおぶって、トモのところに行っても、トモは余助を引き取ろうとしなかった。
臥せっていた床で、ようやく起きあがり、力なく微笑んだだけだった。
そして、大きく咳き込んで、痰を切った。
この家に返したら、余助はすぐに死んでしまうだろう。
遅かれ早かれ亡くなる命なら、自分のところに居たほうが、まだましだと、バンバは直感的に思った。
バンバのお陰か。
本当に、余助が強かったからか。
それから余助は、すくすくと育った。
いろいろな子供を見てきたバンバだった。
そのバンバが太鼓判を押した。
この子は強い、何か違う、と。
そしていつしか、こう余助に語りかけることが、バンバの口癖になった。
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