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「こんもり娘は 楽なようで
 難儀なもんだな
 よその軒端に 立ち寄れば
 やがますいがら そっちゃ行げど
 ごしゃがれる
 ねんねこせー ねんこせー」

 余助は、木の匙(さじ)を止めて、バンバを見上げた。
 ようやく匙を持つことができるようになった。
 結局はバンバが与えなければ、一口も食べられなかったが、とにかく匙を持ちたがった。
 垢が干からびて、カサカサになった頬に、丸くて大きい、はっきりした黒目だけが、ひときわ精彩を放っていた。
 余助がバンバのところに来て、二年の月日が経った。
 山神(ヤマガミ)のバンバは、黒く四角い顔で微笑んで返した。
 余助は、子守唄が好きらしい。
 粥は無くなってしまったようだ。
「もう、ねぐなった(無くなった)があ」
 バンバの炊くオンナ粥は、その材料の割には食べやすかった。
 百姓は、雑穀を食べることを恥じる。
 だから、「男は食べない」という意味で、米以外の飯を、「オンナ飯」と蔑称した。
「オンナ飯」の粥だから、「オンナ粥」。
 誰が言い始めたのか解らない。
 バンバのオンナ粥は、野草などで、雑穀の臭さを上手く消しているのだ。
 亡き権四郎が、その作り方を尋ね、妻に覚えさせた。
 権四郎とは、余助の実の父親のことだ。
 権四郎は変わり者だった。
 普通なら、勝手に自分の土地に住み着いた、何処から来たとも知れない老婆をそのままにしておくだろうか。
 権四郎は、追い出すどころか、裏山で放棄していた小さな畑を使わせてやった。
「ぶ投げて置ぐより、いいべちゃ」
 そういうわけで、畑の横に朽ちかけていた小屋に、バンバは住み始めた。
 権四郎は、それを見逃し、そのまま住まわせたのだ。
 バンバは何処とも知れずに流れてきて、最初、東長沢(山形県最上郡舟形町長沢)にある、山の神の祠近くに、勝手に居着いた。
 時に、恐ろしい飢饉だった。
 これが、国の西から東まで、例外がなく覆い尽くした。
 長雨、冷夏、日照りによる旱魃と、そこかしこで休むこともなく、これでもかと続く天災。
 そのため農作物はまったく育たなくなっていった。
 寛永の大飢饉である。
 一説には、寛永十九年(一六四二年)に起きた飢饉が、その後十年もの間続いたと言われている。
「会津のほうなあ、みな土地ば投げて、逃げでってんなあどお」
 東長沢でも、噂は駆け巡った。
 それがすぐに、噂で済まなくなった。
 東長沢にも例外なく、旱魃が襲い掛かったのである。
 異常気象が、止まらない。
 当然だが、貧しい者から犠牲になった。
 河原乞食が増える。
 小国川(おぐにがわ)の下流の方に、屍が積み上がる。
 捨て子、人売りの横行。
 こうなると、不思議と男のほうが早く死ぬ。
 権四郎には、当初、三男二女が居た。
 最初に、長男が高熱で逝った。
 ほぼ同時に権四郎の母が亡くなった。
 栄養状態が最悪になっていたから、免疫が低下していたのだろう。
 流行病が、村人を次々と死に至らしめた。
 四男の余助が産まれたのは、諸国の飢饉が下火になったころだっだ。
 下火になったとは言え、長く続いた飢饉の爪痕は深く、立て直しに相当の年月を要するのは必至だった。
 流行病もくすぶり続け、人の命を確実に奪っていった。
 授かるはずのない命だった。
 権四郎が病臥する、ほんのすこし前に、気まぐれに妻のトモを抱いた。
 口減らしが必要なときに、と、トモは自分を責めるしか無かった。
 恥ずかしい、と。
 ついでに授かったような子。
 余りの子。
 だから、余助。
 そのうちに、川に流すしかないだろう、とトモは思いつめた。
 小国川の水は少なく、正常な時なら水が流れている辺りに、腐った水たまりがいくつもできていた。
 その河原では、乞食たちが何かに群がっている。
 夏の日差しが、乞食たちが眺めているものを温め、その悪臭が、川風に乗ってやってくる。
 もっと下流の広い河原には、屍がいくつも転がっていた。
 地獄絵図。
「捨てれば、この子も喰われる」
 トモは、そう思った。
 どのみち死ぬしかない命だとしても、目の前でそうなるのを、見たくはない。
 トモは途方に暮れて、家に帰って来た。
 川から家まで歩くだけでも、ゼイゼイと息が荒くなった。
 体力に、まったく余力がないのだ。
 重い木戸を開けると、上框に山神のバンバが座っていた。
 トモは、追い払うように、右手で空を払った。
 バンバは、薄気味悪い笑みを浮かべている。
 トモは、気にせず家に上がった。
 すれ違いざまに、バンバが言った。
「こんもり(子守)してけっか」
 トモは振り返った。
 最早、考える力も残っていない。
 自然に、背負帯に手が掛かった。
 バンバは、赤子を受け取ると、器用にひょいと背負い、帯を結び直して、家を出て行った。
 それは、木戸三郎兵衛がバンバの家に現れた、ほんの数日後の事だった。
 あれから二年。
 その間、余助は大した病気一つしなかった。
 バンバも同じだ。
 人と交わらずに、山小屋で暮らしていたことが幸いしたのだろうか。
 あるいは、オンナ粥のお陰か。
 バンバにしても、余助が生きながらえるだろうとは、思っていなかった。
 少女の頃から子守りをしてきたから、バンバは子守りの名人だ。
 それに、子供が好きだった。
 貧農の家に生まれて、余助と同じように、両親を病で失った。
 兄弟は散り散りになった。
 容姿の良い、妹は売られていった。
 自分は、農家を渡り歩き、手伝いをして、その日の食べるものを得た。
 そうして生きてきた。生きながらえてきたのだ。
 子守りは、バンバの唯一の楽しみだ。
 自分の子がほしいなどとは、考えたこともなかった。
 赤子は無垢だ。
 当たり前だが、別け隔てがない。
 お腹が空けば泣くだけだ。
 余助もよく泣く。
 それも、元気な証拠だ。
 その母親は、為す術もなく、余助を泣くに任せておいた。
 少なくとも、バンバには、余助を泣きやませることができる。
 そうすれば、母親も楽になるだろう。
 バンバがそう考えるのは自然のこと。
 だから、余助を連れてきた。
 しかし、泣き止んだ余助をおぶって、トモのところに行っても、トモは余助を引き取ろうとしなかった。
 臥せっていた床で、ようやく起きあがり、力なく微笑んだだけだった。
 そして、大きく咳き込んで、痰を切った。
 この家に返したら、余助はすぐに死んでしまうだろう。
 遅かれ早かれ亡くなる命なら、自分のところに居たほうが、まだましだと、バンバは直感的に思った。
 バンバのお陰か。
 本当に、余助が強かったからか。
 それから余助は、すくすくと育った。
 いろいろな子供を見てきたバンバだった。
 そのバンバが太鼓判を押した。
 この子は強い、何か違う、と。
 そしていつしか、こう余助に語りかけることが、バンバの口癖になった。
「ヨスケ坊は、荒い(強い)ごどなあ」
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