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五十五 子連れ巡業

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こずれじゅんぎょう


 明治三十八年、岩木山(神社)の秋の例大祭での唄会は、予想を上回る大盛況だったと云う。
 ところが、興行師、松村長一郎の触覚は、唄会には反応しないようだった。早い話が、金にならないものには興味がないのであった。
 その松村が、初めて聴くタケの唄に一目惚れしたようだった。
 川倉地蔵祭りの夜、タキゾウは松村を自分の家に泊まるように説得した。マサに頼んで酒を買ってこさせ、クジラ汁をつまみに再会を祝したのだった。
「青森湊と、函館に定期船が通るらしい。そうなると鉄道と繋がって、青森と函館がもっと賑わうことになる」
 再会の嬉しさと、酒が入ったのとで饒舌になった松村は、商売の話に拍車がかかった。
「それに弘前と青森の鉄道通ったから、旅回りの行き方も変わる」
 松村の話には希望が溢れていて、タケやマサは興味津々だった。
「長一郎さん、お代わり注ぐべが」
 囲炉裏に掛けた鉄鍋の蓋を取ると、クジラと味噌が合わさった、独特の香ばしい匂いが立ち上った。
 クジラの塩漬けと、夏野菜(ナス、ササゲ豆)の味噌仕立ての鍋だった。
 お代わりに気を取られ、口が止まったすきにタキゾウが喋った。
「もう少す、こいづが大ぎぐなったっきゃ、まだ函館さ行ぎでけどね」
「なあに、そこまで待つことはない。俺は決めた。勝さん、この秋、弘前・青森巡業に入ってくれ。もちろん、タケさん、いや小春さんも一緒に来てくださいよ」
 話は、すぐにまとまった。
 結局、マサも子守兼、補佐役ということで、巡業に同伴することになった。この事は、最初タケが推薦したのだが、そうするまでもなく、松村はマサの料理やもてなしに感激しており、認めるどころか、逆に大歓迎だった。
 こうして、秋の津軽巡業の編成が決まった。
 翌朝、松村は鰺ヶ沢に向けて立った。そこで、彼は手配することがあったし、河村正福一座、大川蝶五郎(手妻師)、そして江差兄弟と落ち合うことになっていたのである。
「久すぶりに、ジャワめぐなあ」
 そんなことを言いながら、按摩の仕事と三味線の稽古に精が出るタキゾウ。しかし、心躍るのはタキゾウだけではなかった。
 タケ、マサも同じで、その巡業の楽しみがあるから、機織り、豊川の野良仕事への張りが出るのだった。
 そして稲刈りが終わり、長一郎の一行が、高瀬舟を二艘立てで、蒔田湊に入って来たのは、九月の二十三日は、午前九時過ぎ頃のことであった。
 長一郎が金で手回しし、舟場近くの木賃宿「やっこ」に一行を休ませた上、木賃宿の丁稚に小遣いを握らせ、タキゾウ宅に使いに走らせた。
 一方のタキゾウは、「二十日過ぎ」という長一郎の文を月初めにもらっていたため、荷物の準備などは済んでいる状態だった。そして、その朝は、早くから地主に呼ばれて按摩に行き、使いが家に着く、まさにその時に、タキゾウは帰宅したのだった。
 そんなわけで、タキゾウたち使いの丁稚とともに、「やっこ」へ向かい、十一時前には舟場に到着したのだった。木賃宿の主が、細長く切って干した、「干し馬鈴薯」をいっぱい一行に持たせてくれた。
「おお、勝さん、久しぶりだね。元気で」
 駆け寄って、タキゾウの手を握ったのは、あの正福だった。一緒に江差兄弟もやってきた。
「喜作です。覚えてるか、勝さん。仁助も来てるよ」
「みんな来だが。あやあや、嬉すいねえ。まだ会えだ。数えだばって、十一年ぶりだ。早ぇもんだな」
 長一郎が乗船を急かした。
「さあさ、挨拶は後だ。先に乗ってしまってください」
 先の一艘目には、長一郎と河村正福一座が乗り込んだ。
 二艘目にタキゾウたちが乗る。
「勝太郎さん、大川です。またご一緒できましたね。こちらは」
 相変わらず腰が低い、大物手妻師の大川蝶五郎だった。
「ああ、蝶五郎さん。懐がすいなあ。まだ、よろすくお願いすます。こっちは、嫁のタケ、娘のハマ子、そえで、もうひとりが妹のマサ」
「タケです。よろしくお願いします」
「マサです」
 ちょうど、タケの斜向いに座っていた、喜作が両手を差し出した。
「あら、勝さんの娘子、ほれ、抱かせてみろ」
 秋晴れの穏やかな日だった。船は、風に乗り、ゆっくりと岩木川を遡って、走る。
「このタケも、唄うはんで。出世名は、小春だ」
「そうだってね。楽しみだ」
 そう言う喜作に、仁助がかぶせた。
「娘も唄うか」
「もう少す後だな、それは」
 船は笑いに包まれた。
 賑やかな、幸せに包まれた再会であった。
「トヨさん、大川、ここまで来るの初めてだよ、私」
 顔に川風を受けながら、気持ちよさそうに、タケが言った。
「あれ、そうだったが。わりぇごどすた。すまね、すまね」
「だめだろ、勝さんよお」
 喜作が追い打ちをかけると、再び笑いが起きた。
 距離や時間を超えて、こうやって気安く話し合えるのは、土地柄、人柄のせいだが、そればかりではない。
 同じ釜の飯を食べた、というのはこういうところに現れるのだろう。それが例え数回であっても、逆に離れている時を経てこそ、人知れずに熟成している。そういうことは、実はよくあることなのだ。
 このことは、当然だが、舞台の出来に直結する。そういう下地がすでに、この出発の船の中で出来てしまった事を意味した。
 弘前、柾木座の初日は、九月二十八日であった。
 呼び込みに使えた実質の日数は、たった三日だった。それにも関わらず、初日から大入りの大盛況だったのである。
 これは、民衆に、こういう劇や唄の舞台を受け入れやすいマインドがあった、という時代背景であったことも多分に寄与していた。
 それに松村長一郎一座は、在野の「素人芸」ではなく、本職のみで構成された「職人芸」の一座なのである。
 
 一、 北の俚謡:江差兄弟
 二、 東西手妻:大川蝶五郎
 三、 津軽の俚謡:勝太郎と小春
 四、 歌舞伎:河村正福一座

 舞台は、喜作の口上から始まった。
「皆様、大勢のお運び、有難うございます。江差兄弟の兄の喜作と申します。お初のお目通りとなります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。横に居ますのが弟の仁助です。尺八をやります。そして、正福一座から鳴り物で特別に入ってもらいます。カズ姉さん、です。重ねまして、よろしくお願い申します」
 観客から声援が飛ぶ。
「まずは、追分から行きます」
 江差追分だ。
 この一曲だけで、観客を十分に掴む。
 二曲目は、薩摩から伝わった俚謡「おはら節」だった。
 この南方独特の明るい唄によって、場内を一気に盛り上がる。

 花は霧島 煙草は国分こくぶ
 燃えて上がるは オハラハー 桜島
 (ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
 雨は降らんのに 草牟田川そむたがわ濁る
 伊敷原良いしきはららの オハラハー 化粧けしょの水
 (ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
 見えた見えたよ 松原ごしに
 丸にじゅの字の オハラハー 帆が見えた
 (ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)

 会場には、自然と手拍子が起きる。
 観客もさることながら、この唄に最も感動したのは、タケかもしれなかった。この唄に着想を得たことが、タケ初めての創作につながるのだ。
 続く蝶五郎の「胡蝶の舞」と日替わりの西欧手妻は、やはり歓声の渦。
 そして、勝太郎と小春の唄と三味線は、繊細と迫力の共演だった。しかも、唯一、地元津軽の唄い手と、昔馴染みの座頭の三味線なのだ。どうしたって、観客は贔屓目に見るものだ。
 もちろん、芸は本職。師匠、勝帆仕込みである。
 一曲目は、津軽じょんがら節
 二曲目は、十三の砂山
 三曲目は、よされ節
 特に、小春の高い通る声と、節回しは、聴くものを惚れ惚れとさせるのだった。
 取りは、歌舞伎である。
 演目は、「鎌倉三代記 三浦別れの段」だった。
 血は争えず、マサは歌舞伎に大いに興味を示し、特別に長一郎の許可を得て、観客として観せてもらうほどだった。
 都合、弘前での公演は五日。その後、一行は鉄道で青森市に移動。
 十月四日、中村座での初日。柾木座の成功を立元(座元)の中村氏が宣伝したため、初日からの大入りであった。
 千秋楽まで大盛況で続き、座元より、来年の興行についても約束された松村であった。
 この秋の弘前・青森巡業は、この後、青森大火(明治四十三年)の前年まで、五年続いた。
 つまり、ハマ子(後の立浪春子)は、乳飲み子の二歳から六歳まで、この秋巡業に同行したのである。そのことから、一座の内輪では、この秋巡業のことを「子連れ巡業」と呼んだものだった。
 その「子連れ巡業」の最後の年、明治四十二年、ハマ子は金木第一尋常小学校に入学した。それと同時に、ハマ子の唄修行が始まった。修行一年目で、プロの一座に同行したことは、その後のハマ子の人生にとって、掛け替えのない経験となった。
 明治四十一年には、待望の青函連絡船が運行開始となった。この航路が出来たことで、北海道への巡業ルートが作りやすくなるわけだが、青森の復興が先であり、旅回りの芸人たちが恩恵にあずかれるようになるのは、中村座の跡地に「歌舞伎座」が再建される大正二年(一九一三年)以降のことであった。 
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