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五十二 別れ、逝く
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わかれ、ゆく
ついに、その年、タキゾウとタケは、一度も人前で演奏をすることがなく、新しい年が明けた。
明けた、がまだ喪中であるわけで、正月を祝わずに、源蔵の一周忌が過ぎたのであった。
いつになく根雪が早く、雪が多い冬になりそうだった。
前年の暮から、急にびっこを引くようになったハマは、訊けば膝が痛いと言った。長年酷使したせいもあるが、やはり歳のためだろう。
正月の冷え込みが厳しく、ハマの膝には良くない。ここはタキゾウの出番で、按摩に鍼と、何度か試したが今のところ、あまり効果が無いようだった。
タキゾウは、おっしょうさん、いや義母を慰める。
「何度もやって、はずめで効いでくるもんだはんで」
「歳には勝てねえもんだな」
ため息交じりに、珍しく弱音をはいたハマを、タケは見逃さなかった。
(まだ四十を過ぎたばかりなのに・・・)
その言葉の先は、例え心の中であっても言いたくないタケであった。
まるで、老婆になったようだ、とは。
「おかっちゃ、何言うてるんだ。まだ、五十前だ」
「ほんとだよ」
タキゾウは叱咤する。
本来、瞽女は足腰が丈夫なわけで、目が不自由でも、足があるから、どこへでも行けるのに。
その言葉は重い、とタケは瞬時に悟ったのである。そして、実際、その一つのつぶやきはハマ自身が自分に対して発した予言であったのだ。
歳には勝てない。
しかし、足が不自由である、ということが目の見ないハマにとって、どれほどの痛手であるか、本当のところは誰にも解らなかった。瞽女の足は、目そのもの。
そのこととは関係なく、もう一つの予言を、ハマは冬の間にした。
「今年は豊作になる。雪が多いすけ」
それは的中した。
春になると、豊富な雪解け水が野山を駆け下り、田んぼを湛えた。加えて、晴れた日が多く、春から暑い夏が来ることが容易に想像できた。心配は、岩木川の洪水だけだったが、それも幸い無かったのである。
ハマは、マサを伴って、できるだけ歩くように心がけ、日に日に膝も良くなった。
ところが、一旦良くなりかけた膝も、入梅の長雨とは相性が悪く、再び痛むようになる。
「トヨや、今年は川倉の地蔵さんで、久しぶりに演りたいね」
「んだの」
タキゾウの按摩を受けながら、気丈さを見せるハマだったが、なぜかそのどこかに気弱さが隠れているようである。
(やはり・・・)
タキゾウには、判っていた。その弱さの正体が。なぜなら、自分の中にも未だに巣食っている、悲しみがあるからだ。
時の移ろい、季節の流れは、確実に源蔵の不在を和らげてきているが、やはり、一年やその程度では消え去るはずもなかった。
そして、タキゾウにも理解し得ないことではあるが、ハマには、それ以前に大きな喪失を経験しているのである。その喪失感から逃れたわけでは決してないが、その不運を断ち切り、新天地に賭けたハマであった。そして、その結果、運にも恵まれ、平穏な暮らしが続いてきたのであった。
そのハマに、再び大きな苦難が訪れたのであった。
初孫の死。それは、ハマにとって、人生最大の苦痛であったろう。
それに、ハマは口に出しはしなかったが、その責は自らにある、と断じていた。
(私の信心が足りねかったのだ)
当たり前のことを、ただ当たり前だと慢心し、信仰を怠ったからだと。
心と体、体と心は一体である。どちらが崩れても成り立たない。人は、そういう意味では儚い存在なのである。
ハマの弱さを思い知り、逆にタキゾウは己を駆り立てた。だから、少しして、言葉をやり直したのだった。
「んだの、おっしょうさん。今年ごそは、川倉の地蔵さんで演りましょう。演る唄決めるべねっす」
言ってみて、タキゾウは自分が長い間、ハマを「おっしょうさん」と呼んでいなかったことに気付いた。
「稽古をしんばね」
ハマは、自分を奮い立たせるように、言った。
タケも入れて、演目が検討されたが、どういうわけか、ハマはあえて自分は瞽女唄ばかりを演ることに決めたのだった。
本人はその訳について、初心に帰る、と語ったが、後から思い返せば、自身の集大成と考えたのであり、むしろ原点回帰だったのかもしれない。
演目は、全体として、他の演者とかぶらないものが選ばれた。
「こうといな」瞽女門付唄:勝帆(ハマ)
「赤猫くどき」瞽女口説:勝帆(ハマ)
「江差追分」民謡:唄は小春(タケ)、三味線は勝太郎(タキゾウ)
「業平」長唄:小春
「越後節」瞽女口説:勝帆、勝太郎
「津軽じょんがら節」民謡:小春、勝太郎
このような取り合わせだった。
巡業先は、ハマの足のことも考慮された。
金木村の八幡宮(七月十七日)
金木村蒔田の金刀比羅宮(七月二十五日)
金木村の愛宕神社(八月八日)
金木村川倉の賽の河原地蔵尊(八月八日、九日)
金木村不動林の不動宮(八月十二日)
金木村川倉の三柱(みはしら)神社(八月二十四日)
十三村の湊神社(八月三十一日)
十三村の神明宮(九月三日)
心配は取り越し苦労と思えるほど、回を重ねるごとにハマの足は良くなり、唄も調子を取り戻していった。
「これも、神様仏様のご利益かね」
ハマ自身、そんなこともこぼしていたし、誰もが、勝帆健在を喜んだ。
取りである十三では、凱旋公演とでも言うかのような盛り上がりぶりで、佐渡屋の新女将ユキは、打ち上げの宴を用意してくれ、座の後は長い時を過ごし、昔話に花を咲かせた。
「陽が傾く前に、おユキちゃん、お墓に連れて行ってくれるかね」
ハマは帰る前に、利兵衛の墓参がしたいと願ったのだった。
利兵衛が亡くなってまだ一年と経っていないのが、皆信じられない。
墓石を前に、ハマは語りかけるように言った。
「旦那さん、おかげさんで今日はちゃんと唄えました。また来ます」
飾りの無いその言葉は、なぜか殊更寂しく聞こえた。まるで、最後の別れのように。
そしてそれは、本当の別れとなった。
その後、ハマが十三を再び訪れることは無かった。
この翌朝(一九〇一年、明治三十四年九月四日)、静かに帰らぬ人となったのである。
享年四十三は、早すぎる。
タケは泣き続け、タキゾウは何日も、ほとんど言葉を忘れてしまったようだった。
マサが最も早く気を取り直し、泊りがけでタケとタキゾウの面倒をみた。清五郎も毎日足繁く通ってきては、家の周りのことなどをやった。
それでも時は容赦なく過ぎて行き、癒える間もない心痛に追い打ちをかけるように、津軽にまた厳しい冬が来た。
例年と変わらない寒さだが、雪の極端に少ない冬であった。
ついに、その年、タキゾウとタケは、一度も人前で演奏をすることがなく、新しい年が明けた。
明けた、がまだ喪中であるわけで、正月を祝わずに、源蔵の一周忌が過ぎたのであった。
いつになく根雪が早く、雪が多い冬になりそうだった。
前年の暮から、急にびっこを引くようになったハマは、訊けば膝が痛いと言った。長年酷使したせいもあるが、やはり歳のためだろう。
正月の冷え込みが厳しく、ハマの膝には良くない。ここはタキゾウの出番で、按摩に鍼と、何度か試したが今のところ、あまり効果が無いようだった。
タキゾウは、おっしょうさん、いや義母を慰める。
「何度もやって、はずめで効いでくるもんだはんで」
「歳には勝てねえもんだな」
ため息交じりに、珍しく弱音をはいたハマを、タケは見逃さなかった。
(まだ四十を過ぎたばかりなのに・・・)
その言葉の先は、例え心の中であっても言いたくないタケであった。
まるで、老婆になったようだ、とは。
「おかっちゃ、何言うてるんだ。まだ、五十前だ」
「ほんとだよ」
タキゾウは叱咤する。
本来、瞽女は足腰が丈夫なわけで、目が不自由でも、足があるから、どこへでも行けるのに。
その言葉は重い、とタケは瞬時に悟ったのである。そして、実際、その一つのつぶやきはハマ自身が自分に対して発した予言であったのだ。
歳には勝てない。
しかし、足が不自由である、ということが目の見ないハマにとって、どれほどの痛手であるか、本当のところは誰にも解らなかった。瞽女の足は、目そのもの。
そのこととは関係なく、もう一つの予言を、ハマは冬の間にした。
「今年は豊作になる。雪が多いすけ」
それは的中した。
春になると、豊富な雪解け水が野山を駆け下り、田んぼを湛えた。加えて、晴れた日が多く、春から暑い夏が来ることが容易に想像できた。心配は、岩木川の洪水だけだったが、それも幸い無かったのである。
ハマは、マサを伴って、できるだけ歩くように心がけ、日に日に膝も良くなった。
ところが、一旦良くなりかけた膝も、入梅の長雨とは相性が悪く、再び痛むようになる。
「トヨや、今年は川倉の地蔵さんで、久しぶりに演りたいね」
「んだの」
タキゾウの按摩を受けながら、気丈さを見せるハマだったが、なぜかそのどこかに気弱さが隠れているようである。
(やはり・・・)
タキゾウには、判っていた。その弱さの正体が。なぜなら、自分の中にも未だに巣食っている、悲しみがあるからだ。
時の移ろい、季節の流れは、確実に源蔵の不在を和らげてきているが、やはり、一年やその程度では消え去るはずもなかった。
そして、タキゾウにも理解し得ないことではあるが、ハマには、それ以前に大きな喪失を経験しているのである。その喪失感から逃れたわけでは決してないが、その不運を断ち切り、新天地に賭けたハマであった。そして、その結果、運にも恵まれ、平穏な暮らしが続いてきたのであった。
そのハマに、再び大きな苦難が訪れたのであった。
初孫の死。それは、ハマにとって、人生最大の苦痛であったろう。
それに、ハマは口に出しはしなかったが、その責は自らにある、と断じていた。
(私の信心が足りねかったのだ)
当たり前のことを、ただ当たり前だと慢心し、信仰を怠ったからだと。
心と体、体と心は一体である。どちらが崩れても成り立たない。人は、そういう意味では儚い存在なのである。
ハマの弱さを思い知り、逆にタキゾウは己を駆り立てた。だから、少しして、言葉をやり直したのだった。
「んだの、おっしょうさん。今年ごそは、川倉の地蔵さんで演りましょう。演る唄決めるべねっす」
言ってみて、タキゾウは自分が長い間、ハマを「おっしょうさん」と呼んでいなかったことに気付いた。
「稽古をしんばね」
ハマは、自分を奮い立たせるように、言った。
タケも入れて、演目が検討されたが、どういうわけか、ハマはあえて自分は瞽女唄ばかりを演ることに決めたのだった。
本人はその訳について、初心に帰る、と語ったが、後から思い返せば、自身の集大成と考えたのであり、むしろ原点回帰だったのかもしれない。
演目は、全体として、他の演者とかぶらないものが選ばれた。
「こうといな」瞽女門付唄:勝帆(ハマ)
「赤猫くどき」瞽女口説:勝帆(ハマ)
「江差追分」民謡:唄は小春(タケ)、三味線は勝太郎(タキゾウ)
「業平」長唄:小春
「越後節」瞽女口説:勝帆、勝太郎
「津軽じょんがら節」民謡:小春、勝太郎
このような取り合わせだった。
巡業先は、ハマの足のことも考慮された。
金木村の八幡宮(七月十七日)
金木村蒔田の金刀比羅宮(七月二十五日)
金木村の愛宕神社(八月八日)
金木村川倉の賽の河原地蔵尊(八月八日、九日)
金木村不動林の不動宮(八月十二日)
金木村川倉の三柱(みはしら)神社(八月二十四日)
十三村の湊神社(八月三十一日)
十三村の神明宮(九月三日)
心配は取り越し苦労と思えるほど、回を重ねるごとにハマの足は良くなり、唄も調子を取り戻していった。
「これも、神様仏様のご利益かね」
ハマ自身、そんなこともこぼしていたし、誰もが、勝帆健在を喜んだ。
取りである十三では、凱旋公演とでも言うかのような盛り上がりぶりで、佐渡屋の新女将ユキは、打ち上げの宴を用意してくれ、座の後は長い時を過ごし、昔話に花を咲かせた。
「陽が傾く前に、おユキちゃん、お墓に連れて行ってくれるかね」
ハマは帰る前に、利兵衛の墓参がしたいと願ったのだった。
利兵衛が亡くなってまだ一年と経っていないのが、皆信じられない。
墓石を前に、ハマは語りかけるように言った。
「旦那さん、おかげさんで今日はちゃんと唄えました。また来ます」
飾りの無いその言葉は、なぜか殊更寂しく聞こえた。まるで、最後の別れのように。
そしてそれは、本当の別れとなった。
その後、ハマが十三を再び訪れることは無かった。
この翌朝(一九〇一年、明治三十四年九月四日)、静かに帰らぬ人となったのである。
享年四十三は、早すぎる。
タケは泣き続け、タキゾウは何日も、ほとんど言葉を忘れてしまったようだった。
マサが最も早く気を取り直し、泊りがけでタケとタキゾウの面倒をみた。清五郎も毎日足繁く通ってきては、家の周りのことなどをやった。
それでも時は容赦なく過ぎて行き、癒える間もない心痛に追い打ちをかけるように、津軽にまた厳しい冬が来た。
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