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四十七 婚約と按摩修行

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こんやくとあんましゅぎょう


 明治二十八年の正月は、戦勝ムードとともに明けた。
 ムードとは、熱のようなもので、その熱は言わば今日まで続いていると言って良い。
 新聞は熱を煽り、燃え上がらせた結果、必要以上に中国蔑視が進み、「脱亜入欧」の旗印のもと、あたかも日本は西欧の一員として生まれ変わったかのような、熱病にかかったのである。その病気は、戦争の度に変異し、日米同盟という持病に帰結する。
 ほんの数年前、日清戦争の前は、中国を崇めてきた日本国民である。それは古代、朝貢を進めてきて以来の長きに渡る歴史で、それを日清戦争が変貌させた、と言っていいのだ。
 それは大いなる変貌であり、ときの明治天皇ですら、抵抗があったと云う。
 歴史は否定されて良かったためしが無い。なぜなら、「否定」と言いながら、その実は「忘却」に他ならないからで、権力は往々にして、国民の「忘却」癖に漬け込んでプロパガンダを実行するからだ。
 その結果、忘れてはいけないことも合わせて、人々はすべてを忘れ去る。
 その忘却の年が明けたのだ。
 熱狂冷めやらぬ一方で、貧しい農民の暮らしは変わることはなかった。むしろ、格差を浮き立たせる。そこに近代化が加担するのである。
 前年の十二月一日に、弘前・青森間の鉄道が開通した。つまり、弘前から上野までが鉄道で繋がったわけで、それは物流・人流が大転換することを意味する。もちろんそれは、経済や産業には良いことだ。しかし、その一方で、「身売り」という終身雇用に拍車を掛けたのである。
 その悪弊は、「貧しさからの脱却」としての選択肢であり、鉄道の発達がもたらした活路であるが、これまた「脱却」という名の忘却であろう。
 他方、忘れるどころか、昨年の函館・小樽巡業での忘れられない体験を胸に、更に高みを目指さなければ、と心を引き締めるタキゾウであった。
 生母トヨが生きていなたら、そんなタキゾウの背中を力強く押してくれたはずだった。
(盲も、わりぐはねびょん)
 しかし。
 しかし、であった。
 北海道から十三に戻った翌日、ハマはタキゾウに、タケと世帯を持て、と言ってきた。
(まさが、わー世帯だど)
 当のタキゾウが、それはありえない、と大いに動揺したのだった。そして、思わず、そのまま口に出てしまった。
「まさが・・・」
 確かに、タケと夫婦になれば、いろいろな問題が解決する。
 手引役、唄い手、それに・・・。
(もしかしたら、わーさ子がでぎる)
 これまでの人生の中で、いくら盲も捨てたもんではない、と思いつつも、まさか盲の自分に子ができるとは想像すらしたことがないタキゾウであった。
 ところが、夫婦になるということは、そういうこともありうるということにほかならない。
 だから、まさか、であったのだ。
「まさか、て。おめ、タケが好きでねえのか」
 ハマは問いただした。
「いや、そったごどはねばって、おタケぢゃんは・・・」
「タケなんて、見ていれば分かる。おらはタケのかっちゃだ。なあ、タケ。」
 そう改めて訊ねられたら、さすがのタケも照れくさいから何も言わない。それでも、ハマにも、タキゾウにも、言葉にしない同意を感じる。
「ほらな。まあ、大事なのはトヨのとっちゃとかっちゃだ。まず、話してみなせ」
 そういうことで、タキゾウは実家に帰ると、父母にタケとの縁談話をしてみた。そうしたら、タキゾウ以上に、特に父、清五郎が、全く信じなかった。そして、明日にでもハマに直接会いに行くと言い出したのであった。
「お師匠様、タキの奴、馬鹿なごどしゃべっちゅばって、おタケぢゃんどの縁談の話は本当のごどだがっす」
 清五郎は、そうハマに詰め寄ったが、ハマはあっさり、そうだと答える。
「そうだどすても、こいづはまなぐも見えねす、稼ぎもまどもでねはんで、ちゃんとかへで・・・(食べさせて)いげるがどうが分がらね」
 要は、タキゾウでは、タケを養って行けない、と訴えるのであった。
「目は見えんでも大丈夫。おらも所帯持ったし、こうして暮らしてます」
「それは、お師匠様だはんでの話。タキの奴は・・・」
 そこまで言って、清五郎は言葉に窮した。
 そこで、他ならぬハマが助け舟を出した。
「おとちゃ様、勝太郎は一人前の芸子。ちゃんと食うて行かれる。それでも心配だ、てことであれば、按摩でも習うたらいい」
 これまた、ハマらしい発案だった。
 これを真に受けた真面目な清五郎は、方方訊いて回った。しかし、なかなか、この人だという按摩は見つからない。いや、見つけられないというか、しばらく経って、それは灯台下暗しだったことが判明する。
 結局、十三の町家に居ることを、佐渡屋の利兵衛が教えてくれた。
又玄ゆうげんさんの隣さ、おか亦一またいちさんという、大すた按摩居ますよ」
 考えてみれば、この十三の町家に按摩が一人も居ないわけがない。
 又玄は医者で、その隣に、八戸藩の「森の一坊」という高名な按摩の弟子で、「岡の亦一」という按摩が居ると言うのだった。
 それで、早速、清五郎とタキゾウは弟子入りを願い出て、すんなりそれが叶ったのであった。
「案ずるより産むが易し、てね、トヨ。おめ、ここから通いで習うたら良い」
 ハマは自分の思い通りにすべてが進み、ひとり得意気なのであった。師匠冥利に尽きる、とはこのことであった。
 清五郎はというと、改めてハマに礼を言うとともに、一つだけ清五郎らしい頑固なことを願い出た。
「夫婦になるのは、按摩の修行終わってがらにすてけ。ちゃんと一人前の按摩になったっきゃ、タキゾウがら正式にお願いさせるはんで、それだげはお願いすます」
 これは父親として曲げられない、ということであった。
 こうして、タキゾウの三年間の按摩弟子入りが決まった夜、布団に入ってから、ハマは改めてタケの気持ちを訊いてみた。
「タケ、これで良かったかね」
 タケは、少し考えたが、こう答えた。
「おかっちゃは、何でも分かってるね」
「あはは、そりゃ分かってるさ。おめのかっちゃだーすけね」
 無論、タケが分かっている、と言ったのは、タケのタキゾウへの好意のことである。
 清五郎は、盲人の父親として、晴眼者のタケとの夫婦契りに恐縮しきりだが、タケにしてみれば、幼い頃より兄妹のような間柄であり、兄弟子でもあるタキゾウを尊敬はしても、蔑むような気持ちなど露ほどもない。
 それに、タキゾウ本人には思いも寄らないかもしれないが、タケはタキゾウの容姿についても好みなのであった。
 背丈は五尺一寸ほどで並。骨太ではないが、がっしりと筋肉質である。顔は細面で色が白く、鼻筋もしっかり通っていた。まあ、早い話が、それなりに美男であるのだ。
 タケは、小学校を卒業する頃に、ようやく異性を意識するようになったが、同年代は子供っぽく、ただ男子というだけで、惹かれるようなことはなかった。だからこそ、身近にいつも居るタキゾウには自然に親しみを感じ、それが一昨年くらいから、急に好意に変わったようだった。それはちょうど、タキゾウが十三を不在にすることが多くなった年であり、更に北海道に行って長期不在になったことで、さらに想いを募らせたのだろう。
 そういうタケをいつもハマは母親として身近に感じていたわけであり、お見通しであるとしても不思議ではない。だから、痺れを切らし、二人の背中を押したのだった。
 思い返せば、彼らに比べれば自分はませて・・・いた、とハマは振り返った。
(春さん、タケももうすぐ嫁に行く歳になりましたよ)
 ハマは、手を合わせて、亡き夫、春治に報告した。そうすると、改めて幸運な巡り合わせに、有り難いと実感するのであった。
 また、了解を取るまでもなく、佐渡屋利兵衛はタキゾウの居候を歓迎した。
「こぃで、勝さんの三味線聴ぐ機会も増えるどいうもの。それに、わーば按摩の練習台にすてくれるだば、一石二鳥だよ」
 そう言って、家賃を取らないどころか、タキゾウが利兵衛を練習台に時々按摩をしてくれるなら、治療代を払う、とまで言うのであった。
 もっとも、そう言われても、律儀な清五郎やその妻キヨも来る頻度も多くなり、その度に農作物などの付け届けを持ってくる。
 人が集まれば、福の神も寄ってくる。
 佐渡屋界隈は、何かと賑やかに、まるで災いを寄せ付けない安泰な三年の月日が過ぎていったのである。
 もちろん、岩木川は相変わらず氾濫を起こし、毎回何かしらの被害をもたらし、明治三十年には再び凶作もあった。
 それでも助け合いながら、佐渡屋の人々はそれを乗り切った。
 その中で、もう一つの支えは、やはり唄であった。
 能登屋や佐渡屋では、時よりハマ、タキゾウに座の声がかかる。
 かかれば、今度はタケも一緒に座に出て評判を得た。
 それに、周辺の祭りも、気兼ねなくタキゾウとタケの二人で巡ることができるようになった。それも利兵衛の理解があってこそだった。それはタキゾウの長年の念願であった。

 勝太郎と小春

 その名は、またたく間に、西津軽に轟いた。
 近隣だけでなく、北や南の割と遠方から、勝太郎と小春の演奏を聴きにくる者が増えていった。
 そうなると、競合たちも自然に力が入る。そうやって、切磋琢磨することで、「津軽の唄」は全体の質を向上していったのである。
 その強豪の中には、仁太坊や、長作坊など、ものも含まれたが、当然次から次へと新兵が現れた。
 そして、彼らがひしめき合い、競争が激化した津軽民謡界の芽吹きを目の当たりにした若者の中に、まだ十にもならない、かの坂本スワが在った。のちの初代、津軽家すわ子である。
 明治三十年と言えば、弘前で第八師団の軍施設の建設が始まった年である。
 それで、津軽に土木景気が訪れるのであった。
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