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四十二 じょんがら、海を渡る
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じょんがら、うみをわたる
ニシンの出稼ぎ漁師の帰郷が落ち着き始める六月。その二十二日のことであった。
夏至を過ぎ、少し汗ばむほどの陽気で、夜になっても熱が残り、それでも山から降りてくる、春の名残の風が心地よく、旅籠の裏庭を通ってくる。
清兵衛は、裏庭に面した縁側での演奏をタキゾウに提案したのだった。
魚油の行灯が二つ掛けられ、ほどよい灯りの明暗が縁側と、庭の木々に落ちていた。
初めは、どこからともなく聞こえてくる三味線を聞きながら夕餉の膳に箸を運んでいた泊り客らも、そのうちに戸を開け放ち、夕涼みに縁側に出てきた。それで初めて、一人の坊様芸子が、観客のない座を開いている事を知る。
師匠から習った端唄も、間違いなく、タキゾウの芸として身についている。
それが、なかなかどうして、艶のある調べであった。
調子は、三下り。
声はすれども
すがたは見えぬ
木のまがくれの
ほととぎす
声聞きヤ
お顔が見たくなる
一人、また一人と、縁側に人が出来てきては、ひとしきり聴き、また部屋に戻る。
そのうちに、近くまで来て、座って聴く者があった。
「いいなあ、兄さん。明日の晩は、一つ、私の部屋にきてくれないか」
男の声だった。訛りの少ないきれいな日本語。そう言って、彼はお札をタキゾウの襟元に差し込んだ。
「ああ、すまね。どうもっす。お客さんは」
「松村と言ってもらえれば。女将に話しておくから」
タキゾウが再び頭を下げるのも待たずに、男は部屋に戻ったようだった。
はたして、その次の夜。
「勝太郎さんは、持ち唄も多いし、何でも演れるから、凄いねえ」
「いえいえ、まだまだ修行の身ですて」
「そういう、うぬぼれが無いところがまた良いね。さあ、もう一杯やってください」
男が、盃に酒を注いで、タキゾウの手に持たせる。
「は、すまねっす」
「勝太郎さん、そのお、その修業ついでと言ってはなんですが、函館に来ないかい」
男は本題に入る。
男はあらためて、松村長一郎と名乗った。
出稼ぎ漁師の、請負師を生業にしていた。しかし、この頃では、それだけに飽き足らず、また別の儲け口を考えていた。
ニシン漁は三月から五月が盛りで、それが過ぎてしまえば、松村の仕事は落ち着く。
ところが、ニシン漁で儲けた漁師たちは、漁期が過ぎても羽振りが良かった。
手っ取り早い使いみちは、もちろん酒と女なのだが、そうじゃない者も多い。彼らは時に、最近ちらほらと出来始めた芝居小屋に足を運ぶ。好きな者たちは、出し物が演っていれば、毎晩のように通う。
松村もそっちの方が嫌いではなく、最初は観客として通ったものだったが、ふと思いついた事があった。
芝居なら大概は、一座で活動する。しかし、一人芸も居て、彼らは八人芸や唄をピンで演る。一人だから、どうしたって幕間にちょっと、箸休め的な芸になるわけで、小屋では脇役的な存在だ。
(彼らを束ねて一座にし、巡業したら金になる)
松村はそう考えた。
考えていた矢先に、タキゾウの芸に出会ったというわけである。まさに「渡りに船」を地で行くような巡り合わせであった。
けれども、タキゾウにしてみれば、急に函館に、と言われてもどうしたものやらであった。
「それは、どったわげだがっす」
「函館の芝居小屋で演ってみないか。勝太郎さんの芸をさ」
「芝居小屋どいうのは」
理解に戸惑っているタキゾウに、男は一気に話し出した。
「芝居の一座代わる代わる出て、芝居をやってみせる場だけど、客、そうだな、五十人から詰め込めば百人ぐらいは入る。一人から木戸銭を、だいたい四銭とるから、一回あたり二円以上の売上だ。そこで、どう演るかは工夫必要だが、前座として演っても一月も演れば、まとまった金になる。それに、勝太郎さんも知ってるべけど、北は今、民謡流行りで、唄自慢も多くいる。その人らと勝太郎さんを組み合わせて、一人一銭から二銭にしても、それなりの売上になる」
まくし立てられ、タキゾウには金の計算はよく分からないが、それでも、大勢の客の前で、唄自慢と自分が演る、と想像するだけで、ゾクゾクと、心が久々にジャワメくのを感じた。
「それは・・・」
「まあ、急に言われても良く分からないべから、少し考えてみてくれねえか。ところで、勝太郎さんの家は」
話せば、この後何日か掛けて、長一郎は津軽の村々を回って、出稼ぎの若者らを探して歩くということであった。もちろん、十三村、金木村など、岩木川沿いの村にも行くと言う。ちょうどタキゾウも、もうすぐ巡業を終え、実家に戻る。
それならば、と、二人は七月の中頃、十三で落ち合うことにしたのだった。
これで、考える時は出来たと思うタキゾウだったが、逆にそうなったことで迷う心も多くなった。
タキゾウの家では、母は少しの心配を見せたが父親は賛成であった。
師匠のハマは賛成、タケは反対であった。
「トヨ兄さん、せっかく鰺ヶ沢で演れるようになったんだーすけ、何もそんげな遠うまで行かんでもいいのでねえか」
「それも、そうなんだよな」
ハマは、それでも推す。
「まあ、命取られることはねえすけ」
最後は、蒔田のイタコに見てもらうが、イタコの口寄せも、命は大丈夫、金に気をつけろ、という結果だった。
この占いを境に、タケも賛成に傾いたのだった。
そういうわけで、タキゾウは函館行きを決心するのであった。
函館巡業。
これはタキゾウにとって、様々な思いをひっくるめて、ゾクゾクと心が騒ぐ。
海を越えた北の地で、大勢の見知らぬ客の前で演奏するのである。しかも演る場所は、屋外ではない。劇場の舞台なのである。
芝居小屋に行ったこともないタキゾウだったが、想像するだけでジャワメく。
稽古に力が入る。
やがて、約束どおり、松村長一郎からの繋ぎが佐渡屋利兵衛を通して、タキゾウに届いた。長一郎は能登屋に逗留している、と云う。
それで、トントン拍子に話は決まり、タキゾウは、長一郎の帰りの船に同乗して北海道に渡ることになったのであった。
特に、契約などを交わしたわけではなかった。目処は二月。上手く行かなければ戻ってくればいい。その程度の取り決めである。
そこはタキゾウも頓着しない。儲けではなく、経験、修行だと考えていた。仮に想い通りに行かなくても、それは世の常なのである。
七月の二十九日、タキゾウは松村長一郎と共に再び鰺ヶ沢に向かって十三湊を出た。そしてついに、八月一日、タキゾウは、北前船に乗り込んだ。
タキゾウは初めて海を渡った。
それはつまるところ、「津軽じょんがら節」が海を渡ったということを意味する。
奇しくも、その日は、日本政府が清に宣戦布告した日であった。
明治二十七年(一八九四年)のことである。
ニシンの出稼ぎ漁師の帰郷が落ち着き始める六月。その二十二日のことであった。
夏至を過ぎ、少し汗ばむほどの陽気で、夜になっても熱が残り、それでも山から降りてくる、春の名残の風が心地よく、旅籠の裏庭を通ってくる。
清兵衛は、裏庭に面した縁側での演奏をタキゾウに提案したのだった。
魚油の行灯が二つ掛けられ、ほどよい灯りの明暗が縁側と、庭の木々に落ちていた。
初めは、どこからともなく聞こえてくる三味線を聞きながら夕餉の膳に箸を運んでいた泊り客らも、そのうちに戸を開け放ち、夕涼みに縁側に出てきた。それで初めて、一人の坊様芸子が、観客のない座を開いている事を知る。
師匠から習った端唄も、間違いなく、タキゾウの芸として身についている。
それが、なかなかどうして、艶のある調べであった。
調子は、三下り。
声はすれども
すがたは見えぬ
木のまがくれの
ほととぎす
声聞きヤ
お顔が見たくなる
一人、また一人と、縁側に人が出来てきては、ひとしきり聴き、また部屋に戻る。
そのうちに、近くまで来て、座って聴く者があった。
「いいなあ、兄さん。明日の晩は、一つ、私の部屋にきてくれないか」
男の声だった。訛りの少ないきれいな日本語。そう言って、彼はお札をタキゾウの襟元に差し込んだ。
「ああ、すまね。どうもっす。お客さんは」
「松村と言ってもらえれば。女将に話しておくから」
タキゾウが再び頭を下げるのも待たずに、男は部屋に戻ったようだった。
はたして、その次の夜。
「勝太郎さんは、持ち唄も多いし、何でも演れるから、凄いねえ」
「いえいえ、まだまだ修行の身ですて」
「そういう、うぬぼれが無いところがまた良いね。さあ、もう一杯やってください」
男が、盃に酒を注いで、タキゾウの手に持たせる。
「は、すまねっす」
「勝太郎さん、そのお、その修業ついでと言ってはなんですが、函館に来ないかい」
男は本題に入る。
男はあらためて、松村長一郎と名乗った。
出稼ぎ漁師の、請負師を生業にしていた。しかし、この頃では、それだけに飽き足らず、また別の儲け口を考えていた。
ニシン漁は三月から五月が盛りで、それが過ぎてしまえば、松村の仕事は落ち着く。
ところが、ニシン漁で儲けた漁師たちは、漁期が過ぎても羽振りが良かった。
手っ取り早い使いみちは、もちろん酒と女なのだが、そうじゃない者も多い。彼らは時に、最近ちらほらと出来始めた芝居小屋に足を運ぶ。好きな者たちは、出し物が演っていれば、毎晩のように通う。
松村もそっちの方が嫌いではなく、最初は観客として通ったものだったが、ふと思いついた事があった。
芝居なら大概は、一座で活動する。しかし、一人芸も居て、彼らは八人芸や唄をピンで演る。一人だから、どうしたって幕間にちょっと、箸休め的な芸になるわけで、小屋では脇役的な存在だ。
(彼らを束ねて一座にし、巡業したら金になる)
松村はそう考えた。
考えていた矢先に、タキゾウの芸に出会ったというわけである。まさに「渡りに船」を地で行くような巡り合わせであった。
けれども、タキゾウにしてみれば、急に函館に、と言われてもどうしたものやらであった。
「それは、どったわげだがっす」
「函館の芝居小屋で演ってみないか。勝太郎さんの芸をさ」
「芝居小屋どいうのは」
理解に戸惑っているタキゾウに、男は一気に話し出した。
「芝居の一座代わる代わる出て、芝居をやってみせる場だけど、客、そうだな、五十人から詰め込めば百人ぐらいは入る。一人から木戸銭を、だいたい四銭とるから、一回あたり二円以上の売上だ。そこで、どう演るかは工夫必要だが、前座として演っても一月も演れば、まとまった金になる。それに、勝太郎さんも知ってるべけど、北は今、民謡流行りで、唄自慢も多くいる。その人らと勝太郎さんを組み合わせて、一人一銭から二銭にしても、それなりの売上になる」
まくし立てられ、タキゾウには金の計算はよく分からないが、それでも、大勢の客の前で、唄自慢と自分が演る、と想像するだけで、ゾクゾクと、心が久々にジャワメくのを感じた。
「それは・・・」
「まあ、急に言われても良く分からないべから、少し考えてみてくれねえか。ところで、勝太郎さんの家は」
話せば、この後何日か掛けて、長一郎は津軽の村々を回って、出稼ぎの若者らを探して歩くということであった。もちろん、十三村、金木村など、岩木川沿いの村にも行くと言う。ちょうどタキゾウも、もうすぐ巡業を終え、実家に戻る。
それならば、と、二人は七月の中頃、十三で落ち合うことにしたのだった。
これで、考える時は出来たと思うタキゾウだったが、逆にそうなったことで迷う心も多くなった。
タキゾウの家では、母は少しの心配を見せたが父親は賛成であった。
師匠のハマは賛成、タケは反対であった。
「トヨ兄さん、せっかく鰺ヶ沢で演れるようになったんだーすけ、何もそんげな遠うまで行かんでもいいのでねえか」
「それも、そうなんだよな」
ハマは、それでも推す。
「まあ、命取られることはねえすけ」
最後は、蒔田のイタコに見てもらうが、イタコの口寄せも、命は大丈夫、金に気をつけろ、という結果だった。
この占いを境に、タケも賛成に傾いたのだった。
そういうわけで、タキゾウは函館行きを決心するのであった。
函館巡業。
これはタキゾウにとって、様々な思いをひっくるめて、ゾクゾクと心が騒ぐ。
海を越えた北の地で、大勢の見知らぬ客の前で演奏するのである。しかも演る場所は、屋外ではない。劇場の舞台なのである。
芝居小屋に行ったこともないタキゾウだったが、想像するだけでジャワメく。
稽古に力が入る。
やがて、約束どおり、松村長一郎からの繋ぎが佐渡屋利兵衛を通して、タキゾウに届いた。長一郎は能登屋に逗留している、と云う。
それで、トントン拍子に話は決まり、タキゾウは、長一郎の帰りの船に同乗して北海道に渡ることになったのであった。
特に、契約などを交わしたわけではなかった。目処は二月。上手く行かなければ戻ってくればいい。その程度の取り決めである。
そこはタキゾウも頓着しない。儲けではなく、経験、修行だと考えていた。仮に想い通りに行かなくても、それは世の常なのである。
七月の二十九日、タキゾウは松村長一郎と共に再び鰺ヶ沢に向かって十三湊を出た。そしてついに、八月一日、タキゾウは、北前船に乗り込んだ。
タキゾウは初めて海を渡った。
それはつまるところ、「津軽じょんがら節」が海を渡ったということを意味する。
奇しくも、その日は、日本政府が清に宣戦布告した日であった。
明治二十七年(一八九四年)のことである。
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