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四十一 鰺ヶ沢巡業

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あじがさわじゅんぎょう


 佐渡屋での名替え披露(明治二十六年正月)は、大変な評判となった。
 それは、「十三の佐渡屋には母子の芸姑、居る」であったし、また「勝太郎の三味線は、筋金入りだ」であった。
 もちろん、この巷での噂では、その当の「勝太郎」は芸妓であることが前提であった。
「勝太郎っていうのはね。やっぱりおんなが」
「おめ、馬鹿なごどしゃべるな。勝太郎は男だ。すかも盲で、蒔田の百姓の息子だど」
「なに。さっぱどおべねがった。そりゃ、女さ変わったってごどが」
 こんな具合に、勝太郎が何者か、実際に宴会芸を観たものでなければ解らず終いなのであった。
 そんな事はさて置き、タキゾウの元へ嬉しい依頼が舞い込んだ。
「鰺ヶ沢で座を持たないか」というもので、十三の能登屋の主が、鰺ヶ沢の能登屋に話した事がきっかけで、タキゾウ、いや勝太郎に鰺ヶ沢に来て宴会芸を持ってほしいというのだった。
「鰺ヶ沢の能登屋さんは、とにかく宴会の場持ってくれる芸姑さんがほしいてことらしい。私は筵のこともあるし、行くとなるとタケに連れて行ってもらわんばいけねえすけ。トヨ、行ってくれねえかね」
「ばって、ほんとうは、おっしょうさんの芸欲すいのでねだがっす」
「そんなんねえ。はじめから、おめとタケの名替え披露のこと聞いて、頼んでこられた話だーすけ。おめのほうが良いんだ」
「そうだが。そいだば行ぎます」
「いちおう、まず、おとっちゃに相談してみてくれ」
 タキゾウの父母が、そのことに異を唱えるはずはなかった。
 こうして、にわかにタキゾウの鰺ヶ沢巡業が決まっていくのだった。
 落ち目の十三湊に比して、鰺ヶ沢湊は活気があった。西廻り航路は依然堅調であり、多量の物資が日々行き交う。それだけ、人の流れも多いということだ。特に北に向けて。
 この時代、北海道へ行く者たちの目的はニシン漁であった。
 俗に言う「ヤン衆」、ニシンの出稼ぎ漁師となるべく、春の漁期に向けて、正月過ぎから北行の旅人が急増する。
 資料によると、明治二十年当時で、道外からの出稼ぎ漁師は約十万人。その内訳は東北からがほんとんどであるが、特に青森出身が最も多かった。もちろん、その全てが鰺ヶ沢経由というわけではないにしても、相当の人がこの湊に立ち寄り、そして出ていったのである。
 その中に、彼の仁太坊の二人の息子もいた。
 冷害続きの津軽に比べれば、ニシン漁で賑わう北海道は、まさに別天地のように映っただろう。老若問わず、とにかく北を目指した時代だった。
 そして、また、この出稼ぎ漁師と、民謡の発達は切っても切れない関係にあるのだ。
 タキゾウ、勝太郎が十三を出たのは、三月に入ったある日で、能登屋が仕立てた船で、積み荷の中には、ハマの筵もあった。
 三月はまだ、海は荒れる。だから、海の様子と相談した船出だった。
 出航を待つ二月ふたつきの間も、タキゾウはせっせと師匠ハマの元に通ってきた。民謡だけでなく、端唄や長唄をできるだけ多く習いたい一心だった。まあ、それだけが目的ではなかったのだが。
「おタケぢゃんも、一緒さ来ぃばいばって」
 少し、心細くなったのか、タキゾウは冗談ぽく誘った。内心は、本気もあったのだが。
「私も行ってみてえども、佐渡屋の仕事もあるすけ」
 行ってみたい気は、決して嘘ではなかった。それは、ハマにしても同様で、活気のある鰺ヶ沢湊のほうが、多くの人たちに芸を観てもらえ、それが修行になるのだ。
 船出が決まった前日、タキゾウは佐渡屋別館に泊まった。出航が早朝になる可能性があるからだ。
 そしていよいよその当日、タキゾウはタケに手を引いてもらい、湊に向かった。早朝は五時過ぎであった。
「楽しみだね、トヨ兄さん」
 いよいよ、緊張で言葉の少ないタキゾウの気持ちを察して、タケが声を掛ける。
「本当さ、おいの唄鰺ヶ沢にふとたぢは聴いでくれるびょんか」
 それが逆効果で、かえって不安になるタキゾウだった。
「そんげな心配は要らねえよ」
「そうがね」
「そうに決まってるって」
 誰も見ている者は居なかったが、この二人のやり取りは、微笑ましい光景だった。
 そして、この頃から、タキゾウとタケはお互いを想い合う間柄になるのであった。タキゾウはタケに励まされ歩き出したのである。そして、タキゾウにとって、実際タケは守り神であった。なぜなら、タケが「上手くいく」ということは、大概そのとおりなるからであった。
 その証拠に、この初めての鰺ヶ沢巡業からして、それは総じて大盛況だったのである。
 それでも、最初に鰺ヶ沢の湊に降りたタキゾウは、まずその賑わいぶりに圧倒され、不安が募るばかりだった。
 座を持つことになる能登屋は、湊の中心である大間口から向かって左、旧町奉行所の北側から続く本町二丁目の入り口にあった。周辺には、名だたる商家が立ち並ぶ。能登屋の他に、堺屋、秋田屋、菊屋、嶋屋、三国屋などで、その中でも能登屋の店が一番多く、四たなある。
 タキゾウが逗留するのは、この通りを更に北に行った七ツ石二丁目の、さめど川橋の手前で、十三から進出した佐渡屋の近くだった。
 鰺ヶ沢到着の翌朝、タキゾウは佐渡屋に挨拶に立ち寄って、ユキをびっくりさせた。
「おユキぢゃん、おタケぢゃんからふみ預がってぎだ」
「あれ、タキゾウさん。なすて、鰺ヶ沢さ」
 自分を知っている人に会えて、タキゾウはほっとするのだった。
 毎日、その逗留先から、本町二丁目の能登屋まで通う、初め馴れなかった道行きも、そのうちに、堂々と歩くようになっていくタキゾウであった。
 逗留先を出ると、まず、店仕舞いに掛かっているユキに行き会うことが多かった。
「あ、タキゾウさん、こらからだが。いってらっしゃい」
 進むにつれて、行き交う人の足音や話し声が徐々に多くなり、七ツ石一丁目から本町二丁目に入った途端に、人の数は格段に増える。
 能登屋の前では、丁稚が待っていて、タキゾウを迎えた。
 まずは、タキゾウは主人、清兵衛の元に挨拶に行き、控えの間に通される。
 しばらくすると女中が夕餉の膳を運んで来る。ゆっくりと夕餉を頂き、出番を待つ。
 最初は落ち着かなかった、そういう成り行きに、そのうち少しずつ馴れ、板についた頃に、タキゾウの初めての鰺ヶ沢巡業が終わるのだった。
 その一月間は、あっという間であった。
 終わってみて気がついたことがタキゾウにはいくつかあった。
 その中でも、十三村での宴会や座と、鰺ヶ沢湊のそれらとは、決定的な違いが一つ。
 それは、旅の途中の出稼ぎ労働者の中には、唄好きが多く、自分から唄いたがる者が相当数居た。
「悪いんだけんど、おらが唄うがら、三味線だけ弾いでもらえねべが」
 こんな具合に注文が来る。
 そして、どんな唄か訊くと、タキゾウが知らない唄も結構あるのだ。それでも、わからないからできないとは、本職のタキゾウとしては言えない。
「あれ、その唄い初めはどうだったがね」
 こんなやり取りがあり、何とか、客に合わせて弾く。それが結構何とかなるもので、終わると客に感謝をされ、相当に祝儀をはずんでくれるのだった。
 これは、タキゾウ自身が後に気づくことなのだが、この経験は重要な修行となったばかりでなく、タキゾウの演奏の在り方に重大な影響を与えていくことになった。
 四月に入って一旦帰郷したタキゾウだったが、ありがたいことに六月に二回目の鰺ヶ沢巡業が決まった上でのことだった。能登屋清兵衛からの直接の依頼だった。
 帰るときは、しっかりユキからタケへの返信の文をタキゾウは預かったのだった。
 帰れば、土産話もそこそこに、翌日からは再び稽古で、時々、近隣の百姓家に呼ばれて演奏したり、時には十三の能登屋や佐渡屋で座を持ったりして、これまたすぐに六月になったのである。
 二回目ともなれば、タキゾウもいろいろな意味で慣れたものだった。
 そして、この二回目の鰺ヶ沢巡業で、タキゾウはある人物と出会う。
 函館から来た男だった。
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