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三十九 二人の襲名
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ふたりのしゅうめい
利兵衛は、ほとんど二つ返事で「襲名の座」について快諾をした。
それもそのはずで、あの祭りの座以来、またああいう催し物は無いのか、という声が寄り合いで出るほどの人気であるし、これをきっかけに周辺の農村の富農たちの評判になれば、それに伴い来客も増え、町家全体の盛り上がりに繋がることも期待できるからだ。
「春がら縁起がいごどだ」
日取りは、正月十三日(明治二十六年、一八九三年)、金曜日に決まった。
これは忙しくなる、とにわかに気合いが入るハマであった。
あと三ヶ月と少ししかない。それに加えてサエに贈る「正月ゴザ」を織る予定だったし、出荷用に佐渡屋から依頼されている海産物用の筵もある。
しかし、どれもすべてハマには喜びであった。
娘と、縁あって引き受けた弟子、二人の大事な門出の祝いなのだから。
「演目は、おっしょうさんにお任せすます」
タケもタキゾウの意見に異存はなかった。
そもそも、襲名の儀式をどうするのかを知らない二人だ。
もっとも、流儀にこだわる必要もなく、ハマが決めれば良いだけなのだが。
「分かった。任せてもらうよ」
それも、師匠冥利に尽きる、というものである。
「あと、タキゾウ。新しい着物、用意できるか」
「ああ、そいだば、母っちゃがもう準備はずめでら」
「ほう、タキゾウのおかっちゃらしいな」
豊川家の人々もまた、沸き立っていた。
目が見えない息子のただの道楽、と、どちらかと言えば後ろ向きだったタキゾウの三味線が、由緒正しい本職となるとは、タキゾウの親兄弟、親戚にしてみれば、予想もしていないことであり、まさに瓢箪から駒であった。
「タケの着物は、私が名替えの時に着たもの仕立て直せばいいすけ。縫子さんのこと、今度、本館に行った時に女将さんに聞いてみるかね」
それは、赤地で、白黃の花輪模様、そして大ぶりの笹を金糸で駒繍した着物であった。笹模様は「立身出世」の願いを込めた柄だ。
これで、当日までの準備の段取りが一つ一つ決まっていった。
そして最後に、一番大事な事がハマに残された。
名付けである。
しかし、目の見えないハマにとって、これが一番難しい。あれこれ字を探すことが出来ないからだ。
それでも、焦ることはなかった。時が許す限り、考えれば良い。それに、こういうものは自然に思い浮かぶものかもしれない。そう思うハマであった。
このような忙しさの中、津軽の秋は駆け足で過ぎていき、初雪の降る十一月となった。
佐渡屋別館では、一番早起きはタケで、まだ真っ暗なうちに起きて、竈の火を熾す。利兵衛とハマは、だいたい同じような時間に起きるのだが、それは、朝御飯が出来上がる時分である。
利兵衛は神棚をやり。玄関、表を掃き掃除。隣近所、朝の往来の人々と挨拶を交わす。
ハマは、神棚に挨拶をして、その後、自分たちの寝間兼居間にある簡易の仏壇でお経をあげる。
その後、揃って朝餉である。
それが済むと、利兵衛は本館へ。ハマは機小屋へ行き、仕事の準備にかかる。
タケは台所の後片付け、掃除、洗濯である。
いつもと変わらない生活である。
しかし、そんな中でも、ハマの心のどこかに、常に弟子二人の名前のことが付いて回る。
(どんげな名が良いだろうか)
それは、考えるというよりは問いかけだった。
神様に、仏様に、それと機や織りかけの筵に。
そのうちに、答えてくれるだろう、と。
こうして朝の一刻は過ぎて、そのうちにタキゾウがやってくる。
襲名を控え、稽古には一層熱が入るタキゾウであった。
「おはよごす」
よく通る声で、玄関を入るから、機小屋のハマにもその声が届く。
「おはようござんす」
タケが出迎え、自らも稽古の準備に入る。
ハマは、機織りの区切りを付けに入る。
二人の弟子の準備が整った頃に、師匠のハマがやってくる。
糸を調弦しながら、ハマが今日の稽古の進め方の話をする。
「名替えの最後の演目は、三人で演ろうて思う。やはり、ここは、『十三の砂山』だて思うども、どうかね」
「はい、おっしょうさん。いど思います」
「はい、私も良いて思います」
これで、トリの演目が決まった。
「そうだね、代わる代わるに唄うのも、調子が違うし、形も良ねえすけ、唄はタケ一人。私とトヨが三味線が良いかね」
「はい」
「そしたらタケ、おめの調子くれんかね」
まずは、タケの唄を聴いて、調子を合わせるところからだった。
「はい」
十三の砂山ナーヤーエ
米ならよかろナー
西の弁財衆にゃエー
ただ積ましょ ただ積ましょ ただ積ましょ
(ほんと、タケの声は、おかっちゃの声に似てる)
ハマは改めて、そう思いなから、糸を調弦する。
タキゾウはというと、またハマとは違った意味で感心する。
(やっぱり、おタケぢゃんの唄で組みで)
やはり、組で演りたいのは、タケであるのだ。そう願うほどに、タキゾウはタケの声、唄に惚れ込んでいるのだった。
普段から、この三人で稽古を積んできただけに、「十三の砂山」はすぐに形となっていった。
そして、十一月も半ばになり、ハマはそれぞれの名替えの演目を決めていった。
「やはり、トヨは、ジョンガラだね」
「はい、分がったっす」
「うん、最初の口上の文句は、何か名替えにふさわしいもの考えてみて。それと前弾きもな」
「はい」
自然に返事に力が入る。
ここが最大の肝である。タキゾウは勢い身の引き締まる思いだった。
「タケのほうは、何が良いか、済まねえども、思いつかねえ。何が良いかね」
基本的なものは、だいたい教えてきたハマだったが、考えれば考えるほど、これだ、というもの無いのが、正直なところだ。
(この際、本人に訊いてみるか)
それも、修行の一つであろう、とハマは敢えてタケに考えさせたのである。
タケは予想外な反応を見せた。
「おとっちゃが好きだった唄。それを演りたい、と思います」
「お前・・・」
(ずっと、そんなん思うたったのか)
「それは、おかっちゃ、おっしょうさんしか知らねえすけ」
「それはな、なんだろう・・・」
ハマは、言いよどんだ。それは、春治が好きだった唄に想いをはせていたわけではなく、タケが言ったことに驚いて、言葉を失ったせいだった。
「おとっちゃは、唄聴くのが好きだった、という話は、昔聞いたことがあるども、何が好きだったか、聞いたことがねえすけ」
ハマの動揺をよそに、タケは更に訊き返した。
「どうだったかね」
ハマは、今度は、気を取り戻して、記憶を辿った。
しかし、いざ、想い起こそうとすると、分からなかった。というより、春治はどういう唄でも好きだったというのが正確だった。
「何でも、好きだったすけね」
ここで、意外にも、タキゾウが口を挟んだ。
「そったごどは無ぇ。好ぎな唄はあったはずだっす」
その声のお陰で、ハマの頭に、ある唄が思い浮かんだ。
「うん・・・汐汲、かね」
「しおくみ」
タケが訊き返す。
(この唄、良い唄だなあ)
そう確かに言った、春治の声が急に脳裏に浮かんだのであった。
それが答えだ。
「でも、あれは・・・」
(タケの技量では、まだ無理だ)
そんなハマの逡巡にタケは構わず、言い放った。
「汐汲、演ります」
本人が決めたことに、ハマが今更、やっぱり自分が決める、とは言い直せなかった。
しかも、時が無いのである。
ところが、結局、タケはこれを習得してのけるのである。
通常の覚え方では時間的に無理であった。そのため、タケは覚え方も自ら考案する。
最初、ハマの唄をタケが聴き、石盤にろう石で書き取る。書き取ったところまでを、何度も練習する。そして、次を聞き取り、石盤に書いて、何度も練習する。稽古でないときも、家事の合間に石盤を見返す。そうすれば、稽古の時間以外も活用できるわけだ。
こういうことも、タケが小学校に通ったからできることなのであった。
すべてが、この時のために続いてきた。ハマにはそう思えてならなかった。
そして今、タケは、亡き父、春治のために、日々、何時も欠かさず唄を習得している。
まるで、春治にそれを聴かせるためであるかのように。
その稽古の日々の中で、ハマの脳裏に、自然にタケの芸名が浮かんだ。
これしか無い、と決心するのだった。
十二月、サエへの「正月ゴザ」は、都合五枚完成し、タケが文を付けて、船便で送られた。
そして、襲名披露への準備は大詰めを迎える。
利兵衛は、ほとんど二つ返事で「襲名の座」について快諾をした。
それもそのはずで、あの祭りの座以来、またああいう催し物は無いのか、という声が寄り合いで出るほどの人気であるし、これをきっかけに周辺の農村の富農たちの評判になれば、それに伴い来客も増え、町家全体の盛り上がりに繋がることも期待できるからだ。
「春がら縁起がいごどだ」
日取りは、正月十三日(明治二十六年、一八九三年)、金曜日に決まった。
これは忙しくなる、とにわかに気合いが入るハマであった。
あと三ヶ月と少ししかない。それに加えてサエに贈る「正月ゴザ」を織る予定だったし、出荷用に佐渡屋から依頼されている海産物用の筵もある。
しかし、どれもすべてハマには喜びであった。
娘と、縁あって引き受けた弟子、二人の大事な門出の祝いなのだから。
「演目は、おっしょうさんにお任せすます」
タケもタキゾウの意見に異存はなかった。
そもそも、襲名の儀式をどうするのかを知らない二人だ。
もっとも、流儀にこだわる必要もなく、ハマが決めれば良いだけなのだが。
「分かった。任せてもらうよ」
それも、師匠冥利に尽きる、というものである。
「あと、タキゾウ。新しい着物、用意できるか」
「ああ、そいだば、母っちゃがもう準備はずめでら」
「ほう、タキゾウのおかっちゃらしいな」
豊川家の人々もまた、沸き立っていた。
目が見えない息子のただの道楽、と、どちらかと言えば後ろ向きだったタキゾウの三味線が、由緒正しい本職となるとは、タキゾウの親兄弟、親戚にしてみれば、予想もしていないことであり、まさに瓢箪から駒であった。
「タケの着物は、私が名替えの時に着たもの仕立て直せばいいすけ。縫子さんのこと、今度、本館に行った時に女将さんに聞いてみるかね」
それは、赤地で、白黃の花輪模様、そして大ぶりの笹を金糸で駒繍した着物であった。笹模様は「立身出世」の願いを込めた柄だ。
これで、当日までの準備の段取りが一つ一つ決まっていった。
そして最後に、一番大事な事がハマに残された。
名付けである。
しかし、目の見えないハマにとって、これが一番難しい。あれこれ字を探すことが出来ないからだ。
それでも、焦ることはなかった。時が許す限り、考えれば良い。それに、こういうものは自然に思い浮かぶものかもしれない。そう思うハマであった。
このような忙しさの中、津軽の秋は駆け足で過ぎていき、初雪の降る十一月となった。
佐渡屋別館では、一番早起きはタケで、まだ真っ暗なうちに起きて、竈の火を熾す。利兵衛とハマは、だいたい同じような時間に起きるのだが、それは、朝御飯が出来上がる時分である。
利兵衛は神棚をやり。玄関、表を掃き掃除。隣近所、朝の往来の人々と挨拶を交わす。
ハマは、神棚に挨拶をして、その後、自分たちの寝間兼居間にある簡易の仏壇でお経をあげる。
その後、揃って朝餉である。
それが済むと、利兵衛は本館へ。ハマは機小屋へ行き、仕事の準備にかかる。
タケは台所の後片付け、掃除、洗濯である。
いつもと変わらない生活である。
しかし、そんな中でも、ハマの心のどこかに、常に弟子二人の名前のことが付いて回る。
(どんげな名が良いだろうか)
それは、考えるというよりは問いかけだった。
神様に、仏様に、それと機や織りかけの筵に。
そのうちに、答えてくれるだろう、と。
こうして朝の一刻は過ぎて、そのうちにタキゾウがやってくる。
襲名を控え、稽古には一層熱が入るタキゾウであった。
「おはよごす」
よく通る声で、玄関を入るから、機小屋のハマにもその声が届く。
「おはようござんす」
タケが出迎え、自らも稽古の準備に入る。
ハマは、機織りの区切りを付けに入る。
二人の弟子の準備が整った頃に、師匠のハマがやってくる。
糸を調弦しながら、ハマが今日の稽古の進め方の話をする。
「名替えの最後の演目は、三人で演ろうて思う。やはり、ここは、『十三の砂山』だて思うども、どうかね」
「はい、おっしょうさん。いど思います」
「はい、私も良いて思います」
これで、トリの演目が決まった。
「そうだね、代わる代わるに唄うのも、調子が違うし、形も良ねえすけ、唄はタケ一人。私とトヨが三味線が良いかね」
「はい」
「そしたらタケ、おめの調子くれんかね」
まずは、タケの唄を聴いて、調子を合わせるところからだった。
「はい」
十三の砂山ナーヤーエ
米ならよかろナー
西の弁財衆にゃエー
ただ積ましょ ただ積ましょ ただ積ましょ
(ほんと、タケの声は、おかっちゃの声に似てる)
ハマは改めて、そう思いなから、糸を調弦する。
タキゾウはというと、またハマとは違った意味で感心する。
(やっぱり、おタケぢゃんの唄で組みで)
やはり、組で演りたいのは、タケであるのだ。そう願うほどに、タキゾウはタケの声、唄に惚れ込んでいるのだった。
普段から、この三人で稽古を積んできただけに、「十三の砂山」はすぐに形となっていった。
そして、十一月も半ばになり、ハマはそれぞれの名替えの演目を決めていった。
「やはり、トヨは、ジョンガラだね」
「はい、分がったっす」
「うん、最初の口上の文句は、何か名替えにふさわしいもの考えてみて。それと前弾きもな」
「はい」
自然に返事に力が入る。
ここが最大の肝である。タキゾウは勢い身の引き締まる思いだった。
「タケのほうは、何が良いか、済まねえども、思いつかねえ。何が良いかね」
基本的なものは、だいたい教えてきたハマだったが、考えれば考えるほど、これだ、というもの無いのが、正直なところだ。
(この際、本人に訊いてみるか)
それも、修行の一つであろう、とハマは敢えてタケに考えさせたのである。
タケは予想外な反応を見せた。
「おとっちゃが好きだった唄。それを演りたい、と思います」
「お前・・・」
(ずっと、そんなん思うたったのか)
「それは、おかっちゃ、おっしょうさんしか知らねえすけ」
「それはな、なんだろう・・・」
ハマは、言いよどんだ。それは、春治が好きだった唄に想いをはせていたわけではなく、タケが言ったことに驚いて、言葉を失ったせいだった。
「おとっちゃは、唄聴くのが好きだった、という話は、昔聞いたことがあるども、何が好きだったか、聞いたことがねえすけ」
ハマの動揺をよそに、タケは更に訊き返した。
「どうだったかね」
ハマは、今度は、気を取り戻して、記憶を辿った。
しかし、いざ、想い起こそうとすると、分からなかった。というより、春治はどういう唄でも好きだったというのが正確だった。
「何でも、好きだったすけね」
ここで、意外にも、タキゾウが口を挟んだ。
「そったごどは無ぇ。好ぎな唄はあったはずだっす」
その声のお陰で、ハマの頭に、ある唄が思い浮かんだ。
「うん・・・汐汲、かね」
「しおくみ」
タケが訊き返す。
(この唄、良い唄だなあ)
そう確かに言った、春治の声が急に脳裏に浮かんだのであった。
それが答えだ。
「でも、あれは・・・」
(タケの技量では、まだ無理だ)
そんなハマの逡巡にタケは構わず、言い放った。
「汐汲、演ります」
本人が決めたことに、ハマが今更、やっぱり自分が決める、とは言い直せなかった。
しかも、時が無いのである。
ところが、結局、タケはこれを習得してのけるのである。
通常の覚え方では時間的に無理であった。そのため、タケは覚え方も自ら考案する。
最初、ハマの唄をタケが聴き、石盤にろう石で書き取る。書き取ったところまでを、何度も練習する。そして、次を聞き取り、石盤に書いて、何度も練習する。稽古でないときも、家事の合間に石盤を見返す。そうすれば、稽古の時間以外も活用できるわけだ。
こういうことも、タケが小学校に通ったからできることなのであった。
すべてが、この時のために続いてきた。ハマにはそう思えてならなかった。
そして今、タケは、亡き父、春治のために、日々、何時も欠かさず唄を習得している。
まるで、春治にそれを聴かせるためであるかのように。
その稽古の日々の中で、ハマの脳裏に、自然にタケの芸名が浮かんだ。
これしか無い、と決心するのだった。
十二月、サエへの「正月ゴザ」は、都合五枚完成し、タケが文を付けて、船便で送られた。
そして、襲名披露への準備は大詰めを迎える。
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