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三十五 発祥の年
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はっしょうのとし
タキゾウとハマの共演は、坊様の間では密かな噂となって徐々に広がって行った。
そのタキゾウは、前年の川倉地蔵尊の手応えを胸に、この年から近隣の祭りでも演奏を本格化させるつもりで、また春から師匠、勝帆の元に通ってきた。
ただ、そのように意気込むタキゾウには、漠然とした不安があった。
「あれは、たまだまで、こぃがらも、おっしょうさんと一緒さ演れるわげでねよな。それはしょうがね話だ」
去年は、たまたま、師匠との共演がかなったが、それがそのまま定番とは成り得ない。
いや、そもそも、師匠と弟子が、舞台に立つというのは、芸姑の世界には、そもそも形としてありえないだろう。
坊様なら、通常、目の見える女房を手引きにして巡業する。しかし、タキゾウには女房は無く、その宛もないのであった。
それを、どう、ハマに説明したらいいのか、タキゾウは、このところ、そのことばかりを考えていた。
早い話が、相棒が必要なのだ。
「・・・そえでも、おっしょうさん、今年がら、宵宮めぐりするべど思ってら」
「ああ、それはいいでねっか」
「ただ・・・」
タキゾウは言いよどむ。
「ただ、何だね、トヨ」
「ただ、わーひとりでは・・・」
「やっぱり、おめは、それが言いてえのでねっか」
実は、タキゾウは出したり引っ込めたり、はっきりしないが、ハマには、タキゾウの心の中など、とっくにお見通しだった。
「それは、私もタケも、行かれるときは、一緒に行くよ」
「はい、そうすてぐれますか」
急に声を弾ませて、タキゾウはどさくさ紛れに口走った。
「えがった。おタケぢゃんに唄ってほすいじゃ」
それが、タキゾウの本心。
これはもちろん、師匠のハマこそ、とっくに気づいていたが、タケの唄、声は、完全に祖母タケのそれらを受け継いでいた。
伸びやかさ、強さ。その声、唄は、太い三味線の音にぴったり合うのである。
タキゾウは、そのことをいつかタケが唄った唱歌を聴いた時に、知ったのだった。それが最近の稽古で唄うタケの唄を聴くにつけ、ほぼ確信していったのである。
それでも、タケには、学校も佐渡屋の仕事もある。だから、タキゾウは端から諦めていたわけだ。
それが、意外にも、師匠の許可が出た。
タキゾウは、俄然勢い付いて、祭りの日程を調べ始めた。
要は、日曜日であれば、ハマ、タケも同道できるということなのだ。
そういうことで、明治二十二年は七月から、タキゾウの祭り巡業が始まった。
嘉瀬村の八幡宮(七月十五日、月曜日)
金木村の八幡宮(七月十七日、水曜日)
嘉瀬村中柏木の磯崎神社(七月二十三日、火曜日)
金木村蒔田の金刀比羅宮(七月二十五日、木曜日)
嘉瀬村小栗崎の稲荷神社(七月二十七日、土曜日)
喜良市村小田川の立野神社(七月二十九日、月曜日)
喜良市村の熊野宮(七月三十日、火曜日)
金木村藤枝の保食神社(七月三十一日、水曜日)
喜良市村上派立の川上神社(八月一日、木曜日)
金木村の愛宕神社(八月八日、木曜日)
金木村川倉の賽の河原地蔵尊(八月八日、九日、木曜日金曜日)
金木村不動林の不動宮(八月十二日、月曜日)
金木村川倉の三柱(みはしら)神社(八月二十四日、土曜日)
◎十三村の湊神社(八月三十一日、土曜日)
◎十三村の神明宮(九月三日、火曜日)
◎相内村の神明宮(九月四日、水曜日)
残念ながら、結局この年は祭礼が日曜日にあたるところはなく、ハマとタケが同行できたのは、利兵衛に特別に暇をもらった、十三村の湊神社、十三村と相内村の神明宮の、計三社だけであった。
それでもタキゾウにとって、この年の祭り巡業は、津軽坊様界に確かな旋風を巻き起こした。
知名度からすれば、仁太坊にはるかに及ばなかった。それに、占いを伴う仁太坊の八人芸は、定番として安定した人気を博した。
しかし、大衆を相手にした「芸」と見た場合、見る者が見れば、タキゾウ、そして時に本職と共演する芸の方が優れていることは明らかであった。それに、これまでの坊様の世界には無かった年若いタケの唄の共演は、かなり新鮮なものであった。さらに、すでに修行重ねて四年となるタケの唄は、なかなかどうして、ハマに引けを取らないのであった。
だから、まさに巡業の「トリ」となった、十三村三社の共演には、普段は足を運ばない、坊様や観客がわざわざそれを観るために十三に訪れたほどだった。
さらに、その反響を耳にした、利兵衛が動いた。
九月八日(日曜日)の寄り合い終わりに、佐渡屋において座を設けてくれたのであった。
ここでの演奏は、一風変わった趣であり、旦那衆の評判が意外に良く、その後個別に、タキゾウに対して座打ちの声がかかることとなったのである。
ちなみに、九月八日の演目は以下のとおりであった。
十三の砂山
鈴木主水
越後節
馬口説
ナオハイ節
津軽ドンガル節
今で言えば、この年にタキゾウは、津軽坊様界に「デビュー」したと言って良かった。
そしてまた、「津軽ドンガル節」は、この年のタキゾウの祭り巡業によって、広く知られることとなった。
その噂は、蒔田や金木の外の唄自慢たちの耳にも届いたのだった。
タキゾウとハマの共演は、坊様の間では密かな噂となって徐々に広がって行った。
そのタキゾウは、前年の川倉地蔵尊の手応えを胸に、この年から近隣の祭りでも演奏を本格化させるつもりで、また春から師匠、勝帆の元に通ってきた。
ただ、そのように意気込むタキゾウには、漠然とした不安があった。
「あれは、たまだまで、こぃがらも、おっしょうさんと一緒さ演れるわげでねよな。それはしょうがね話だ」
去年は、たまたま、師匠との共演がかなったが、それがそのまま定番とは成り得ない。
いや、そもそも、師匠と弟子が、舞台に立つというのは、芸姑の世界には、そもそも形としてありえないだろう。
坊様なら、通常、目の見える女房を手引きにして巡業する。しかし、タキゾウには女房は無く、その宛もないのであった。
それを、どう、ハマに説明したらいいのか、タキゾウは、このところ、そのことばかりを考えていた。
早い話が、相棒が必要なのだ。
「・・・そえでも、おっしょうさん、今年がら、宵宮めぐりするべど思ってら」
「ああ、それはいいでねっか」
「ただ・・・」
タキゾウは言いよどむ。
「ただ、何だね、トヨ」
「ただ、わーひとりでは・・・」
「やっぱり、おめは、それが言いてえのでねっか」
実は、タキゾウは出したり引っ込めたり、はっきりしないが、ハマには、タキゾウの心の中など、とっくにお見通しだった。
「それは、私もタケも、行かれるときは、一緒に行くよ」
「はい、そうすてぐれますか」
急に声を弾ませて、タキゾウはどさくさ紛れに口走った。
「えがった。おタケぢゃんに唄ってほすいじゃ」
それが、タキゾウの本心。
これはもちろん、師匠のハマこそ、とっくに気づいていたが、タケの唄、声は、完全に祖母タケのそれらを受け継いでいた。
伸びやかさ、強さ。その声、唄は、太い三味線の音にぴったり合うのである。
タキゾウは、そのことをいつかタケが唄った唱歌を聴いた時に、知ったのだった。それが最近の稽古で唄うタケの唄を聴くにつけ、ほぼ確信していったのである。
それでも、タケには、学校も佐渡屋の仕事もある。だから、タキゾウは端から諦めていたわけだ。
それが、意外にも、師匠の許可が出た。
タキゾウは、俄然勢い付いて、祭りの日程を調べ始めた。
要は、日曜日であれば、ハマ、タケも同道できるということなのだ。
そういうことで、明治二十二年は七月から、タキゾウの祭り巡業が始まった。
嘉瀬村の八幡宮(七月十五日、月曜日)
金木村の八幡宮(七月十七日、水曜日)
嘉瀬村中柏木の磯崎神社(七月二十三日、火曜日)
金木村蒔田の金刀比羅宮(七月二十五日、木曜日)
嘉瀬村小栗崎の稲荷神社(七月二十七日、土曜日)
喜良市村小田川の立野神社(七月二十九日、月曜日)
喜良市村の熊野宮(七月三十日、火曜日)
金木村藤枝の保食神社(七月三十一日、水曜日)
喜良市村上派立の川上神社(八月一日、木曜日)
金木村の愛宕神社(八月八日、木曜日)
金木村川倉の賽の河原地蔵尊(八月八日、九日、木曜日金曜日)
金木村不動林の不動宮(八月十二日、月曜日)
金木村川倉の三柱(みはしら)神社(八月二十四日、土曜日)
◎十三村の湊神社(八月三十一日、土曜日)
◎十三村の神明宮(九月三日、火曜日)
◎相内村の神明宮(九月四日、水曜日)
残念ながら、結局この年は祭礼が日曜日にあたるところはなく、ハマとタケが同行できたのは、利兵衛に特別に暇をもらった、十三村の湊神社、十三村と相内村の神明宮の、計三社だけであった。
それでもタキゾウにとって、この年の祭り巡業は、津軽坊様界に確かな旋風を巻き起こした。
知名度からすれば、仁太坊にはるかに及ばなかった。それに、占いを伴う仁太坊の八人芸は、定番として安定した人気を博した。
しかし、大衆を相手にした「芸」と見た場合、見る者が見れば、タキゾウ、そして時に本職と共演する芸の方が優れていることは明らかであった。それに、これまでの坊様の世界には無かった年若いタケの唄の共演は、かなり新鮮なものであった。さらに、すでに修行重ねて四年となるタケの唄は、なかなかどうして、ハマに引けを取らないのであった。
だから、まさに巡業の「トリ」となった、十三村三社の共演には、普段は足を運ばない、坊様や観客がわざわざそれを観るために十三に訪れたほどだった。
さらに、その反響を耳にした、利兵衛が動いた。
九月八日(日曜日)の寄り合い終わりに、佐渡屋において座を設けてくれたのであった。
ここでの演奏は、一風変わった趣であり、旦那衆の評判が意外に良く、その後個別に、タキゾウに対して座打ちの声がかかることとなったのである。
ちなみに、九月八日の演目は以下のとおりであった。
十三の砂山
鈴木主水
越後節
馬口説
ナオハイ節
津軽ドンガル節
今で言えば、この年にタキゾウは、津軽坊様界に「デビュー」したと言って良かった。
そしてまた、「津軽ドンガル節」は、この年のタキゾウの祭り巡業によって、広く知られることとなった。
その噂は、蒔田や金木の外の唄自慢たちの耳にも届いたのだった。
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