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三十四 幻の共演

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まぼろしのきょうえん


 流行り病が下火になった明治二十一年、タキゾウは二十歳となり、再びハマ師匠の元へ、足繁く通う日々であった。
(独り立ぢすねばまいね)
 そういう気持ちが湧き出てきて仕方がなかった。
(来年の地蔵さんでは、誰にも負げね唄披露する)
 そして、稽古に稽古を重ね、その年も過ぎていったのであった。
 また、雪解けの季節。
 ただ、その年、岩木川が氾濫することは無かった。
 その日も、朝の九時過ぎにタキゾウがハマの元に稽古にやってきた。
 祭りまでは、あと、およそ二月ふたつきである。
「おっしょうさん、今日は、地蔵さんの祭りで演る唄考えでほすんだっす」
 この日タキゾウは、ハマの助言のもと、以下の五つに絞ったのであった。

 鈴木主水もんど
 越後節
 馬口説くどき
 地蔵和讃わさん
 津軽ドンガル節

「おっしょうさん、やっぱり、何が足りねんだ」
 タキゾウとしては、これでは勝負にならない、と想うのであった。
「これは、勝ち負けでねえよ。ちゃんと芸が成っていれば良い話」
 ハマは、そう弟子に説く。
「そうだっす。だはんでごそ、足りねんだっす」
 タキゾウは食い下がる。それだけ、真剣であった。
「わかった。だったら、何が足りねえか、はっきり言うてみなせ」
 タキゾウは、三味線を横に置き、姿勢を正した。
「分がったっす、はっきり言わせでもらいます。おっしょうさんの、唄足りねのだっす」
 ハマは、少し考えて、思わず吹き出し、笑った。
(最初から、そのつもりで来たな)
「あははは」
「なすて、笑うんだが。おれは、真剣な話すちゅんだよ」
 タキゾウはムキになった。
「演目考えてほしい、って、はじめから、そんげなつもりだったんだろ。正直に言うてみれ」
「すまねっす。そのどおりだ」
「だったら、はじめからそう言えば良いんだよ」
「はい。すまねっす」
「わかった。分かりましたよ。演りましょう」
「よす。よぐであった」
 タキゾウは膝を打った。
 その直後、表から「ただいま」とタケが言う声が聞こえた。
 タキゾウは、調弦を始める。早速、稽古を始めるつもりらしい。
 しばらく経って、タケが稽古部屋にやってきた。
「おかえり、タケ」
「おがえり、おタケぢゃん」
 タケは入ってきて、座ってから言った。
「唄、聴いてほしいです。学校で習うた唄」
「ほう、どんげな唄だろうか」
「はい、唄うよ。だい二十にじゅう、蛍」

 ほたるのひかり、まどの雪
 ふみよむ月日、重ねつつ
 いつしか年も、すぎのとを
 あけてぞけさは、わかれゆく・・・

 それは、小学校唱歌集の第二十番目にある、スコットランド民謡「久しき昔(Auld Lang Syne)」であった。
 日本の小学校の教材として、明治十四年(一八八一年)に日本語の歌詞として作詞された歌だ。後の一般的な邦題は「蛍の光」。
 ハマにも、タキゾウにも、何と唄っているのかすら、歌詞の意味が分からなかった。
 しかし、タキゾウは、意味よりも何よりも、タケの唄声に聴き入っていた。
 透き通っていて、そして、力強かった。
 その年(明治二十二年)、タケは満九歳となり、尋常小学校の四年となっていた。
 高等課には進まないので、最終学年だ。
 成績は良い方の部類に入っていたが、女子はユキも合わせて、三人だけで、皆、高等課には進まない。そういう時代であった。
 ハマは、別の意味で感慨深く、タケの唄に聴き入っていた。
(しっかり、育ったものだ)
 そう思ったが、ハマは別の事を言った。
「ほう、何言うてるか、さっぱり分からねえね」
「うん、この唱歌は、同じ学び舎で学んだ友へのお別れの唄と、先生は説明されました」
 タキゾウは、その説明すら意味が分からず、別の事を考えていた。
(そうが、おタケぢゃんに唄ってもらえばんだ)

 そして、ついに川倉地蔵尊の例大祭の日がやってきた。
 その年の祭りの初日は、ちょうど日曜日で、タケとクマばあさんも同行することができた。
 前と同じように、蒔田湊でタキゾウと落ち合い、地蔵さんまで、瞽女の巡業のようにして向かった四人であった。
 前と違うのは、人出。
 朝から大勢の人が、川倉地蔵尊を目指して歩いていた。
 明治六年(一八七三年)の一月に、明治新政府が、「拝み祈祷の禁止」通達を出し、川倉地蔵尊の例大祭からイタコたちが消えて、はや十六年の月日が経った。
 それは、津軽のイタコに対する、実質的な廃業宣言のようなものであった。
 しかし、その悲劇とは裏腹に、そのせいで、川倉地蔵の祭りは、座頭と坊様とっては腕自慢の格好の場となっていったのである。
 鳥居をくぐり、参道に入ると、飴売りなどの出店でみせが立っている。人影はなぜかまばらだった。
「あっちのほうが、にぎやかだね」
 そうタケが言う前に、ハマもクマもそれに気づいている。
 誰かが、三味線を弾き、唄っているのである。時折、歓声も混じっている。
「相変わらず、仁太坊さんの音はでがぇ」
 歩くほどに、その音は大きくなっていき、何を唄っているかも鮮明になっていった。
「アーアッ、コラ、コラ、神原かんばらの仁太坊、昔いい男、昔いい男」

 さて、さて、地蔵さんにお集まりの皆々様よ
 去年の川流れは悪ぇもの流す
 今年の畑は心配要らぬ
 新すいものもがっぱ穫れる

 この頃の仁太坊は、得意の八人芸に加えて、占い唄を唄い人気を博していた。
 去年の雪解けは洪水があったが、今年は無く、田畑は心配ないだろう。畑には新しい作物も育ち、豊作となるだろう、と唄っているのだった。
 「占い」は禁止されている例大祭であった。依然、イタコの姿は無い。しかし、唄は別、誰にも咎められない。そういう、仁太坊の魂胆であった。
 唄に混じって占う、仁太坊の芸は方方の祭りで人気であり、この川倉地蔵例大祭でも人垣を作っているのであった。
「今年は豊作だど。ぐであった、良ぐであった」
 参拝客は、仁太坊の占いを土産に帰っていった。
 他の坊様や座頭も、出店の合間に立って、ちらほら芸を演っていたが、仁太坊には到底敵うものではなかった。
「先に、お参りだ」
 そうハマが諌め、一行は本堂に向かった。
 参道とは一線を画して、本堂と、その左から「賽の河原」に続く下り道は、霊験に満たされていた。
「タケ、おとっちゃにお参りしていかんかね」
「うん」
 はやる気持ちを沈め、タキゾウもしっかりとお参りをし、賽の河原では、初めて亡き弟の為に石を詰んだ。
「さあ、演りますよ、トヨ」
 参道に戻ったハマが、タキゾウにけしかけた。
 これには、タキゾウもはっとして我に返る。
「演りますか」
 さらに。
「景気付けに、順番変えて、ドンガラ節から行くよ」
 さすがに、これには慌てたタキゾウであったが、師匠には逆らえない。
 仁太坊に敬意を表して、鳥居に近い場所に陣取った、ハマとタキゾウは、急ぎ調弦に入った。
 古式ゆかしい、芸姑の三味線。
 そして、仁太坊流を勝手に拝借した、タキゾウの太棹三味線。
 この二丁三味線の共演であった。
 川倉地蔵尊では、初めて見る形である。
 瞽女、盲芸姑と坊様。

「ドン、ドン、ドン、トン、トン、ト、トン、テン、テン、テン」
「はい、行きますよ。ソレッ、ハッ」
 ハマが声を掛けた。
「ドン、ド、トンテン、トツルロヅンツウンドン、ド、トンテン、トツルロヅンツウン・・・」
 前弾き。
 いつ、それを練習したのか、ハマはタキゾウにピッタリ合わせてきた。
 これには、タキゾウもにわかに心沸き立ち、ジャワメキ出し、ばちに力がこもった。

 わしのナァエー
 生まれーわあー、津軽ヤァ蒔田ナァー
 姓は豊川、ヤレサァ
 そのー名は、タキゾウナァエー

 さらに前弾きは続く。
(このタメ、客引ぎ込む要だ)
 すでに足を止めた客は、まだか、まだかと期待を高め、さらに客は立ち止まり、人垣ができていく。
 そして、満を持し唄ったのは、勝帆のほうだった。
 それは、ここ川倉地蔵尊では初のことであった。
 女が唄うのは、である。

 桔梗のナァエー
 手ぬぐいが
 縁つぐヤァレェならばナァー
 おらも染めましょ
 ヤレサァ桔梗屋の
 型てばナァエー

 太い音に、透き通った高い、張りのある唄声。
 それが、参道に響き渡る。
 人垣はさらに厚くなっていた。
「珍すいな」
 誰かがつぶやく。
 そう、初めての共演であった。
 それは、高田瞽女と、津軽坊様ぼさまの共演であった。
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