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二十六 初稽古

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はつげいこ


(あれではね、んね)
 タキゾウは、藤枝の溜池(現在の名称「芦野湖」)の畔に座り、見えないはずの水面を見つめ、そして、心の中で強く、つぶやいた。
 そこは、賽の河原。
 かつて、治水用の溜池が築造される以前は、本当に沢が流れていて、そこは本当の河原だっただろう。
 川倉地蔵はイタコと縁の深い霊場である。
 いわゆるシャーマンとの関係に言及するなら、その起源は縄文のころからとも言われている。いや、そこまでは言わないでも、安東氏が津軽を治めていた時代には、すでに、そこには地蔵信仰があったはずであり、イタコが居たに違いない。
 幼子を亡くした母たちが、いつしか地蔵尊を拠り所として集まってきて、この沢に転がる石を運んでは、地蔵尊に続く坂の小道に、石を詰んで、亡き子を供養するようになった。
 そのような霊場にあって、タキゾウはまさに何かに取り憑かれたように、水面に向かって考えを巡らせている。
 例大祭の参道には、いつもどおり多くの坊様ぼさまが集まって、自らの芸を披露していた。
 その中でも、ニタロウは特に人気で、ものすごい人垣を作り、演じる姿を見ることも難しい。
 しかし、ニタロウの声はよく通り、三味線の音も大音量であり、迫力が違うため、その音だけを聴くだけで誰もが度肝を抜かれるのである。
 それを、タキゾウは違う、と思うのであった。
(俺は、あれがやりたいわけではね)
 八人芸。
 「八」は「多い」の例えで、早い話が一人なのに八人でやっているような寄席芸のことで、古くは座頭がその担い手だった。
 タキゾウの着眼点も、まずそこであった。
 八人芸は、当道座の座頭の真似である。その演じ方は確かにニタロウ独自のものだが、その前に八人芸自体がニタロウのものではない、と。
 ニタロウを筆頭に、川倉地蔵に集まるようになった坊様の三味線弾きたちは、実はこの地蔵尊では新参者の部類であった。
 明治六年に、政府が発令した「梓巫あずさみ市子いちこならびにたのみ祈祷孤下きつねおとしケ等ノ所業禁止ノ件」、つまり実質的な「おがみ祈祷の禁止」通達によって、歴史のあるイタコの祈祷が川倉地蔵尊から姿を消すのである。
 坊様はその隙間に入ってくるような形で、例大祭の参道に、その活躍の場を見出したのであった。
 彼らの先頭に立っていたニタロウは、イタコとともに先人であった座頭たちに、ホイド(乞食)芸、坊様芸と初めは蔑まれた。
 ところが、人のやらない芸をやる、と独自のやり方で芸を磨いてきたニタロウは、参道の参拝客を味方に付けた。その波に、他の坊様が乗った。そうして、川倉地蔵大祭は坊様の聖地と化していくことになる。
 神原の河原で生まれ、両親を亡くし、天涯孤独のいわゆる「ホイド」ニタロウは、「仁太坊様」と坊様たちにとって、言わば神様のように崇められ、羨望の的となった。
 それほどの仁太坊のことを、タキゾウは、座頭の真似だ、と断じたわけである。
 仁太坊を超えるにはどうすればいいか、それがタキゾウの目下の悩みであった。
(やっぱり、あの人の弟子にならねばだめだ)
 あの人。
 願竜寺で会った、あの人。それはハマである。
 つまり、ニタロウの原点に自らも立たなければ、という思いであった。
 タキゾウは、すっくと立ち上がり、賽の河原を地蔵尊の方へ登って行った。

「ハマさん、お客さんだ」
 現れたクマがハマに伝えた。
 ハマは最初、何のことか分からなかった。
 自分に客人が来るわけない。しかもこんな夕暮れに。
(もしかして、能登屋さん・・・)
 宴会の座がかかったのか、とも想う。それはそれで、いつでも出動できるが、佐渡屋利兵衛からの繋ぎもなく、そんなことがあるはずがなかった。
「おかっちゃ、いこう」
 一瞬躊躇したハマをタケがけしかけた。
 表に出ていくと、そこには一人の青年が立っていた。
「あ、あの時の」
 タケが声を上げた。
「おかっちゃ、願竜寺さんに居た、三味線の人」
「ほう、あの時の」
 タキゾウが一歩前に出て、頭を下げた。
「急にすまね。わーば瞽女さの弟子にすてけ」
 突拍子もない申し出というよりも、まず、津軽弁がにわかに頭に入ってこなかった。
 近くにいた、クマが助け舟を出した。
「ハマさん、瞽女さの弟子にしてください、てしゃべったんだ」
(なんと)
 青天の霹靂としか言いようがない。
 津軽まで来て、男子を弟子に取ることなど、ハマは予想もしていなかった。
 しかも、青年は確かに「瞽女さの」と言った。そこがタキゾウのこだわりである。
 瞽女の弟子でなければ、ニタロウに引けを取る。
 禁制の男子を、瞽女の弟子に。そんなことはありえない話だ。
 そんなことを思い巡らすうちに、ハマは間抜けな返しをした。
「おめさんは、もう、唄もうまいし、三味線も弾けるし、私の弟子になど、ならんでもいいでねえか」
「いや、こいだばまいね。まいねんだ」
「うんん・・・」
 すかさずクマが。
「なすても、弟子にすてほすいようだな」
 ハマは押し戻され、また口を閉じた。
 タキゾウは、考えを巡らせた。
(どうしゃべればいが)
 その間に、ハマのほうが思い直し始める。
(いや、そんげ頑なに断らんでもいいか。もう私は瞽女の家から離れたんだし)
「おいのは、自己流で、基本がなって無ぇじゃ。だはんで、基本ちゃんと教えでほすんだ」
 もはや、断る理由は、ハマには無かったし、できそうもなかった。
「はい、分かりました」
「ああ、えがった。月謝はちゃんと払いますはんで」
「ああ、月謝なんていりません。その代わり、津軽の唄教えてくんなせ」
 それがハマの出した条件であった。
 こうして、豊川タキゾウ(満十六歳)は、瞽女いや盲芸姑、勝帆(満二十七歳)の弟子になった。
 考えて見れば、勝帆が一番脂の乗った、そういう時の、一番弟子であった。
 タケに対しても「本格的に芸を仕込もう」と考えていた時であり、ハマは、結果として良かった、と考えるようになった。
 その翌日から、タキゾウ青年は、岩木川の川湊では「十三とさ」の一つ川上の「蒔田まきた」から、舟で通って来た。
 タキゾウが謙遜するまでもなく、彼は基本ができているため、ハマには教え甲斐のある弟子であった。
 それに、目が見えるタケは、ハマが言っていることを聴き、それを実践するタキゾウを見て真似る、それができた。だから、タケの修行にとっても良く働いた。

「はじめ、三下さんさがりに弦を合わせて、そう、あの『十三の砂山』と同じ」
 一晩考え、ハマは、最初に瞽女唄の段物だんものを教えることにした。段物は、いわゆる「祭文松坂さいもんまつざか」である。
 タキゾウはすぐに調弦した。
 タケは、ハマに抱えられたまま、一緒にバチを弾いて、三絃を鳴らす。
「タケ、三下りは、こんげな音だーすけな。覚えるのだよ、耳で」
「ドン、トン、テン」
 くち三味線と合わせて、ハマが弦を弾く。
 三下りは、物哀しい調子である。
「一番上の太い弦は、ドン。真ん中がトン、下がテン」
「ドン、トン、テン。はいタケ、言って」
「ドン、トン、テン」
 タキゾウも合わせて弾く。
「稽古の前に、こうして三味線の糸を合わせて始める。それと口三味線。これさえあれば、これで、曲教えられる」
「はい」
 タキゾウは、すでに知っていることを教わる時にも謙虚であった。
「それがら、タキゾウでは呼びづらいすけ、呼び名決めんばな」
「はい、お願いすます」
「タキだと、タケと間違えるすけ。トヨ、でどうか。豊川のトヨ」
「はい、いだ」
「それじゃ、トヨ。まず、ヒトコト(一言)弾くから、合わせて弾いて」
 タケは、「トヨ」が気に入ったのか、ニタニタしている。相変わらず、「二人羽織」のように弦を弾く。
 「一言(ヒトコト)」とは、七五調を一行として唄われる祭文松坂の最小単位の十二音のことである。
 
 いずれに愚かは あらねども

 自然に、ハマの口からは、「葛の葉子別れ」がいて出る。
 タキゾウは、ばちを止めて、まず口でなぞる。
「いずれに愚かはあらねども」
 何度か、ハマの三味線に合わせて、なぞる。
 そして、次は、三味線を引きながら唄う。
 その一言をタキゾウが繰り返す間、ハマは、タケに左手の押さえ方を教える。
「それができたら、一流し(ヒトナガシ)いくから、聴いて」
 「一流し」とは、一言を三~六回繰り返す、その演目の一区切りのことで、これは演者によって異なった。
 一流し唄っては、三味線だけの間奏をはさみ、また一流し。それを何度も繰り返すのが段物である。

 いずれに愚かは あらねども
 諸事なる利益を 尋ぬるに
 なに新作も なきままに
 葛の葉姫の 哀れさを
 あらあら誦み上げ たてまつる

 ハマの葛の葉は、五言で一流しとした。
 タキゾウは、ハマの一流しをじっくり聴いていた。
 胸がゾクゾクと、ざわめくのを感じながら。
 津軽では、それを「じゃわめく」と言う。
 「じゃわめく」とは、「身の毛がよだつほどの感動」のことである。
 やがてタキゾウは頷き、心で呟いた。
(こぃだ)
 それは、明治二十一年(一八八八年)、八月一日(旧暦六月二十四日)でのことであった。
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