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九 瞽女の路

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ごぜのみち


 後に振り返ってみても、ハマ(サトから勝帆へ)にとって、名替えからの三年間は、一生のうちでも物事が大きく動いた年月としつきであった、と回想する。
 名替えの披露宴を終え、高田で修行が再開されてからも、なぜかハマの心は晴れなかった。それはもちろん、春治のこともあったろうが、それだけではなかったようだ。
 そんなある日、八月(旧暦)の末、ちょうど秋分だった。
「カツ、あんたも女になるのだなあ」
 野口家は、裏庭の先に上水道が関川から引かれており、そこに洗濯場があった。
 そこで、皆、朝稽古が終わり、朝食が終わった後、毎日洗濯をするのが習いであった。
 その最中に、ヤスヨが急に、そう言ったのだ。
「それは、どういうわけですか」
 ハマは、訝しく思い、そう聞き返してみた。
「おこし(腰巻き上の肌着)が薄紅に汚れてるからさ」
 初潮であった。
 ようやく、春治のことも心から離れ、修行に専念できると思った矢先の事であった。
 その夜、ハマはコトに呼ばれ、呼びに来たヤスヨとコトの部屋に出向いた。
「お師匠さん、参りました」
「はい、入りなさい」
 ハマは内心、何か叱られるのではないか、とビクビクしている。
「カツ、ヤスヨに聞きました。来たのだね。だどもさ、カツ、心配することはねえのだよ。みんな、女は来るものなんだ。ちょうど、そんげな時なんだねえ。おめも名替えしてすぐだもの。一人前になったてことだね。お祝いしんばね。赤飯炊いて。そうだね。おタケさんにも、ヤスヨからふみ出してもらおかね。そうかそか、カツも女になったかね」
 そこまで言って、コトは手探りでハマの手を探して、握りしめた。
「大きなったね、カツ。ほんとに小さかったのに。それでも、あんたは気丈夫で、明りい気性だーすけ、弱音も吐かねえでようやってきました。ただね、一つだけ、私はあんたに言うておかねえといけねえことがあってね。瞽女さの決まりね」
 安心しかけたハマは、再び身構えた。
「はい」
「女になる、てことはね、いつだって身ごもるようになる、てことだね。毎春の妙音講で聞いてるすけ、知ってるね」
「はい、式目、仕来しきたりですか」
「そう、女になる、てことは、これから本当に男には気ぃつけんばいけねえ、てことだ。おめも、名替えが済んだすけ、この九月の半ばころから、初めて信州に行ってもらおうと考えてる。ちょうど良かった。これも修行ね。姉さたちに分からねえことはよう聞いて、そして修行に励まんばな」
「はい、お師匠さん」
「それから、これからは、ますます、洗濯ちゃんとやらんばね。目が見えねえすけ洗濯できねえ、なんてこと言われんように、身ぎれいにしておかねえとな」
「はい」
 釘を刺されたような気分に、ハマはなっていた。
 春治のことだ。
 タケには、あと三年したら柿崎に戻られる、と先日聞いたばかりのハマだったが、瞽女の仕来りは、自分に一生付いて回る。
 いや、そんなこととは関係なしに、目が見えない私は、網元の嫁にはなれないのだ。だから、春兄ちゃんはお祝いの言葉もかけてくれなかったのだ、と。
 あれから凡そ一月。ようやく、気持ちに折り合いを付けはじめたのである。
 そこにまた、であった。
(女にはなったども、おめは一生嫁には行けねえ、それまた言うのか)
 いたたまれない気持ちのまま、その夜は布団に入ったが、ハマは案の定寝付けなかった。
 浮かんでくるは、昔の景色。目が見えていた頃の。
 母タケの座敷を盗み聴いた。
 春治は笑顔でハマを覗き込んだ。
 手を繋いで、砂浜を歩いた。
 貝殻を拾った。
 村祭に連れて行ってもらった。
 そんな記憶が浮かんでは、消えていく。
 ハマの目が涙で濡れた。目は見えなくとも、涙腺は残っているのだ。
 声を殺して泣いた。
 そのうちに、泣き疲れ、眠りに落ちた。
 明治三年(一八七〇年)、旧暦の八月二十八日の夜であった。
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