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五 修行のはじまり

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しゅぎょうのはじまり


「お師匠さん、参りました」
「はい、入りなさい」
 朝餉の後、ハマは目明き(目の見える)のヤスヨに手を引かれて、親方の部屋にやってきた。
「入ります」
 ハマは、ヤスヨに進められるまま、正座した。
「おはようございます。お師匠さん」
 そうするように、来る前に、ヤスヨに言われていた。
 ヤスヨは、この歳二十九歳であった。直江津今町の東北東およそ一里にある中村新田村の小作の生まれで、三女であった。口減らしで、野口家にもらわれてきたのは、十の時。器量に恵まれず、姉二人とは違う道となった、と云う。もちろん、野口家では最長の養女であった。目が見えるため、瞽女たちの手引き(旅の先導役)で、旅に出ない時は野口家の世話係、女中のような働きをする。
「はい、ちゃんと挨拶できたな。朝餉はしっかり食べたか」
「はい。ごちそうさまでした」
 コトは、やはり百姓の子供とは何処か違う、と感じた。人馴れ、というか。
 正月に訪れたタケが帰った後、コトはヤスヨにタケの様子を伺った。
「色白で細面。きれいな方です」
 そのタケに、ハマはよく似ていると、ヤスヨは、コトに伝えていた。
(年頃になったら、男に気をつけるようにしっかり言い聞かせないとね)
「そう、挨拶は大事。それから、高田の瞽女は、式目て言うて、厳しい決まりがふっとつあるすけ、それも覚えてもらわんばいけねえすけね」
「はい」
「おハマ。今日からおめの名はサト。野口サトだーすけね。私が考えて、そうしました。私のこと、本当のおっかあて思うて、何も隠し事は無しな。そしたらこっちに来て。おっかさんにおめちゃんと見せてくんなせ」
 もちろん見えるはずもない。
 コトは、サト(ハマ)の頭の先から足の指までを手で撫でていって、確かめるのだった。「見る」とそのことで、野口家の養女は親方に皆そうされてきたと云う。
「良う分かりました。そしたら今から、おめの姉さたちに紹介しるすけ、ちゃんと挨拶してな」
「はい、お師匠さん」
 姉さ、姉弟子たちは、朝御飯の後、二階部屋で稽古中だった。旅に出ていない時はそういう習わしである。
「ヤスヨ、片付け終わったら、シズエ連れてきて。それまで、サトにいろいろ細かい事教えておくすけ」
 ヤスヨは、台所に戻る。
「サト。早う、柿崎のおっかさんみたいに唄、三味線弾けるようになりてえか」
「はい」
「うん、そしたら、ちゃんと毎日修行をしないとな。瞽女の修行は容易いごとではないよ。目が見える人だて、唄と三味線を人前で披露できるようになるには、それは何年も修行しないとできない。ましてや目が見えないからさ。分かるな」
「はい」
「うん。瞽女の持ち歌、そうだね、その家家で違うども、あらかた百ぐらいは皆持ってる。それ覚えるのは並大抵のことでねえ。だーすけ毎日稽古しんば覚えらんねえ。はじめは簡単な唄から。三味線は弾き方からな。まずは音出すことから」
 その後、サトの三味線の手ほどきは、コトが行うことになる。
 コトは、サトを膝の上に載せ、抱くようにして、手を取り教えた。
 サトの姉さたちのほとんどは、今は隠居のばっちゃん、セキから同じように教わった。
 最初は、唄は唄、三味線は三味線と分けて稽古する。そして少しずつ、唄と三味線を合わせる。
 簡単な唄を、一人で一曲弾けるようになるのが、最初の目標である。一曲でも弾けるようになれば、そこがようやく入り口である。
 この入り口まで到達するにも、個人差が相当ある。そして例え、その入り口に立ったとしても、そこからどれだけ多くの曲を持てるかも、当然個人差があった。
 さらに、忍耐強くとも、唄が好きかどうか、探究心があるかどうか、そういった言うなれば賢さも必要で、それらがすべて、芸の良し悪しに影響するのである。
 コトは、子供を手ほどきするのは初めてだった。だから、良し悪しを比較することはできなかったが、これまで野口家や、他の家の姉弟子、妹弟子をそれなりに見てきた。
 そのコトが、サトには才能がある、数ヶ月も経たない内に判断した。
 覚えが良い、と言うだけではない。
 声の伸び、三味線の音の響き、それが一つ一つ丁寧にできる子であった。
 そして、何とも言えない雰囲気があるのは、母親譲りかも知れなかった。
 どうしてなのか。
 コトが、その答えをはっきりと口に出して言えるようになったのは、だいぶ後のことで、サトが一人前になった時であった。
 唄に心がある、ということである。
 コトが、その事にようやく気付き、そして後に、その事を打ち明けたのは、サト(ハマ)の母、タケだけであった。
 サトはこの日から一月後、初めての巡業の旅に出た。
 旅と言っても、ごく短い旅であった。高田から西方の糸魚川に向かい、そこから今町へ戻るという行程である。
 荷物が持ちきれず、手引きのヤスヨや姉さたちに手伝ってもらっての、ようやくの旅立ちだった。
 瞽女たちが宿泊する宿は、その土地土地でだいたい決まっている。いわゆる「瞽女宿」であるが、少なくとも宴会ができる大広間があり、夕食や、翌日の弁当を作れるだけの財力や人力、下男下女などを抱えているような裕福な家と、相場は決まっていた。
 宿に着くと、瞽女たちは荷解き後、三味線を組み立て、村々を門付かどつけして歩く。いわゆる宣伝で、その夜の宿の座敷に唄を聞きに来てください、ということだ。
 村祭り以外に娯楽などない時代は、瞽女の訪れは、楽しく、また縁起が良いものとして喜ばれたのである。
 それに今回は、新弟子サトの紹介の巡業でもあるのだ。
「あれ、初めて見る子だね、あらら、かわいい瞽女さだねえ」
 どの戸口で挨拶しても、新入りのサトにそんな声がかかった。
「サトと申します。よろしゅうお願い申します」
 コトに教えられた通りに、サトは挨拶する。
 そして、サト(ハマ)も、覚えたての門付け唄(家の間口に立って、挨拶代わりに唄う短い唄)を姉弟子たちに付いて何度も唄った。

 わしのエー
 わしのたもと
 いろはを書いてエー
 おもにほの字と 読ませたいエー
 おもにほの字と 読ませたいエー

 恋のエー
 恋の玉章たまづさ
 みかさの小紙エー
 やれば来るかと いでて待ちる
 やれば来るかと いでて待ちる
       (瞽女門付け唄「こうといな」より)

 宿に戻れば、宿への挨拶代わりの一、二節唄い、一番風呂をもらい、夕食となる。
 何をするにも、年少のサトは一番最後だったが、子供のサトを、どの宿の人もかわいがって、面倒を見てくれた。
 夕餉の時分を過ぎると、村人が続々と集まってくる。
 座敷が人でうまると、まずは「宿払い」の唄を唄う。宿と食事のお礼は、唄で払うのである。
 宿払いとして歌うのは、祭文松坂さいもんまつざか(瞽女それぞれが代わる代わる一節ずつ披露)、短めの口説くどき段物だんもの一段といったものだった。
 修行一月ひとつきで、ようやく門付け唄が唄える程度で、サトは宴会中聴いているだけだった。
 しかしサトは、そうして実際に観客に聴かせる唄を聴いて初めて、唄というものが何かが分かっていくのであった。
 宿払いが終われば、今度は本当の瞽女唄の舞台であった。
 そうして幾晩かが過ぎ、今市の宿では、こころざしが飛び交うように出された。その額も並ではない。さすがに、旦那衆が多い今町(直江津)である。
「半三口説を頼む」
 初めての巡業だから、それこそサトがまだ聴いたこともない唄ばかりだった。
 
 花のサーエー
 花のお江戸は広いと言えど
 騒動話や心中口説
 世に世情は かず多けれど
 ここにとりわけ 恋路の比べ
 ところ浅草 御蔵前おんくらまえ
 旅籠町はたごちょうなる 一丁目横丁
 左官さかん源二は 貧しき暮らし
 二人ににん子供に いもとのお筆
 歳は十二で 発明もの
 かどの師匠へ ひょっこと上がり
 りをしながら 手習い覚え
 わずか四年の はやそのうちに
 数多あまた筆こや あるその中に
 いつのすきやら お筆が覚え
 一人二人と言われるほどに
 琴や三味線 活け花までも
 見慣れ聞き慣れ つい皆覚え
 古今ここん稀なる 発明者よ・・・
    (瞽女口説「お筆半三」より)
 
 客がいるうちは、こうして宴は続く。夜半まで続くこともある。
 宴会と言っても、瞽女は酒を飲まない。いや、禁じられているので、飲んではいけないのである。その代わり、途中で、貴重な麦芽糖ばくがとう湯が振る舞われた。
 子供の瞽女や手引きは、持たないから早めに床につかせる。
 遅い時分には、癖の悪い客もいて、それを子供らには見せたくない、という意味もあった。
「別んところで、飲み直すんだけど、瞽女さたちも来て、やってくんねえかあ」
 怪しい客だと判断すれば、親方コトがきっぱりとやる。
「その様子だと、唄だけじゃすまなそうだねえ。うちの子らを、そこらのダルマ芸者にされたら、たまんないねえ」
 どこの組も、どの瞽女家も親方が目を光らせているものだが、それでもふらっとそういう客に付いていく若い瞽女はいくらでも居た。
 男子禁制の戒律があり、知れたら「年落とし」といって、修行期間を差し引かれる罰が下ることが分かっていてもだ。
 瞽女の決まり、「瞽女式目」について、サトはこの後覚えていくことになるのだが、まだ子供のサトには、「男子禁制」の意味すらあまりわからなかった。
 翌朝になって、宿を後にする際には、短めの唄を「ち唄」として、宿の人達に披露してから再び旅路に戻る。唄に始まり唄に終わるわけだ。
 後に思い返しても、子供の頃は、姉弟子たちに随分と甘えさせてもらった、とサトは想った。
 確かに、唄の稽古は厳しくて、サトは何度もべそをかきながら覚えたものだ。
 そういう辛さに耐えられず、あるいはただ覚えが悪くて、途中で辞めていく子供も多かった。
 あるいは、実家の事情で親が娘を引き取りにきて、何月か経った頃、女郎屋に売られていった、というような噂が聞こえてくることもあった。
 そういう時代だったのである。
 初旅の帰り道、サトの足のマメがついに破れた。また、手引きのヤスヨにおぶってもらった。
「サトは、実家離れて、寂しねえかね」
「寂しねえ。遠ねえし、お盆には帰れるすけ。正月にも」
 本当は春治に会えなくて寂しかった。でも、母のタケに、あっちの家では春兄ちゃんの話はするなよ、と言われているので話さなかった。
 子供の中には、帰りたい、帰りたいと言って泣いてばかりで、手のかかる子も少なくない。そういう子は父親や母親が暇をみては会いに来るものだった。しかし、それもいつまでも続かないし、そのうちにだんだんと泣かなくなるのだった。
 サトには、はなから父親がいないし、母のタケも忙しいので、もともとほったらかされて育った。その代わり、「立浪」の女中連中が可愛がってくれた。そして一番の遊び相手、二つ年上の春治が物心つく前からサトの面倒を見てくれたのである。
 野口家でも、姉さたちは皆、子供のサトの相手をしてくれる。厳しくとも、自分に目が向けられている事を感じるのは嬉しく、だから寂しくないという気持ちは本当だったのである。
「早う一人前の瞽女さになって、おっかさん安心さしてくれんばなあ」
「はい」
 これが、長く、厳しいサトの修行の始まりであった。
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