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四 母の契り

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ははのちぎり


 懐かしい匂いがした。
 タケの想い出の中の、祖母のような居住まいの、瞽女の親方は座って出迎えた。
「遠いところ、よう来ましたね」
 タケは膝を進めて、深々と頭を下げた。
 それを、見えるはずもない瞽女の親方は、見ているようにして、一拍おいてから、頭を下げた。
 目の見える女中らしき中年の女性が座布団を勧めた。それは女中ではなく、瞽女の手引きで、家では家事の全般を見ていた。この時分、野口家には、この他に手引きが二人いた。
「突然に伺いまして、申し訳ござんせん。佐藤タケと申します。よろしゅうお頼みいたします」
「おタケさんか。こちらこそ、よろしゅうね。私は野口コトだ」
 硬くなった相手を気遣ってか、気さくな言葉使いで、親方は表情を和らげる。
 しかし、目は固く閉じられ、笑ったようには見えなかった。
「柿崎なら、何度も行ったことあるすけ、良う知ってる。今の時分に着いだてことは、暗いうちに発ってきたろ」
「はい、明けた頃でした」
「そうだか、ご苦労さんでした。それで、やっぱり娘さんのことでしょ」
 何度も、道中繰り返し練習した台詞は、想像したとおりには切り出せなかった。
「はい、今日は、娘ハマのことお願いに参りました」
「おハマさんというのが。はいよ」
「はい、いろいろな事情がありまして、その」
「ちょと、はい、ヤスヨ、少し外してもろうていいか」
 親方コトがすぐに察して、人払いをした。
 いろいろな事を説明しなくても、先回りして分かるようだった。
「すみません」
「はい、どうぞ、おタケさん。何も心配いらねえすけ」
「私は、柿崎の魚料理屋、立浪で芸姑しております。元は江戸の柳橋で、芸姑しておりましたが、訳あって、戻って来ました。実家は、六万部村だっす」
「六万部なあ、あそこにも何度も行って、いまでも弟子たちが世話になってます」
「そそうだかあ。私はもう実家は勘当になって。だいぶ行っておりません。それで、すみません、まず心配なのは、芸姑の娘で、受け入れでもらえるかどうか。そのあだりはどうなんでしょうかあ。瞽女さんは芸者風情嫌うと、聞いたことあるすけ」
「まあ、商売敵だーすけねえ。んでも、芸者さん言うてもいろいろ居っろ。おタケさんは、どうやら、そっちのほうの芸者ではなさそうだ。話し方聞いてると。分がっろ、言うてること」
「はい、私も昔はいろいろありましたが、今は、芸事だけで、商売をしております」
「いや、何でもいいんだ。私たち、その子らもらい受けて、等しゅう育てるんだーすけ」
「はい」
「ただ、いっちゃんしてほしねえのは、修行の途中で戻して、よそに売るようなことだ。貧しゅうて、やっぱり、戻してくんなせ、て言うて、例えば女郎屋に売るような事だ。結局、後から、分かるすけ。聞こえてくるもんだよ、ちゃんと。あの子結局売られで行ったんだねって」
「そんなことは無いですが、ここからが本当のお願いなんです」
「はい、なら大丈夫ですが、お願いてのは」
「はい。私は、前は娘を芸事の道に進ませるるつもりは全く無かったんです。男親の居ねえ子だが、縁があれば、嫁ぐ事もできるかもしれねえども、そんげな先々の事はゆっくり考えれば良い、て思うてました。そしたら、目が見えねえようになりまして。去年の春に麻疹はしかに罹って」
「それでね」
「そうなんです。目が見えんば、もう嫁の貰い手なんてのはありませんすけ。そんげな訳で、やっぱり芸の道に進ませるしかねえか、と初めて考えるようになったんだ。だども、どう考えでも、目が見えねえ、あの子に私が芸教えられるわけがねえて思いまして」
「うん、うん、そうが」
「そして、六万部の、イタコのおシゲさんに、見てもらったんです」
「ああ、おシゲさんね、昔から良く知ってます」
「そうだかあ。よう当たる、と聞きまして。そしたら、瞽女さんに頼んだらいい、とおシゲさんに言われまして、それで親方のこと教えてもろうたんだっす」
「そうか、良う分かりました」
「それで・・・」
「いや、もう解ったすけ、大丈夫。おタケさんは、娘のおハマさん、ほんとは芸姑さんにしてえども、修行だけは、こごで、お願いできねえか、そんげなことでしょ」
 やはり、親方コトは、全部話さなくても、すぐに理解したようだった。
「はい、そういうことなんです。そんげな修行の仕方が許されっろうか」
「うん、私は大丈夫だけど。そして、話聴いてね、おタケさんは信用でぎる人だがら。ただね、これは私だけでは決められねことだーすけ、親方連中さ、相談しみんばね」
 野口コトは、この正月の二十九日に総会があるから、そこではかってくれると約束した。
「それで、おタケさん、何年修行させる」
「はい、それも相談してえて思うたったのだが、一人前になるには、あらかた何年かかるか」
「そうね、人それぞれだげれど、決まりでは、七年で本曲ほんぎょくと言って、名替ながえの儀式、言うてみれば正式に芸名がもらえる。親方になって独り立ちできるのは、そこからあらかた十年。だども、おタケさんは、娘そのあと芸姑にしてえわけだーすけ、その芸姑としても修行しんばいけねえわけだーすけ。そうだねえ、十年間、というところがいっちゃんきりが良いのでねっかね」
 本当に、親方コトは話が早い人だった。
「そんげな事ができるんだら、いっちゃん良いて思うが、許されるのでしょうか」
「いや、許されねえよ、正式には。だーすけ、野口家の特別な事として、やるしかねえだ。秘密にして。だども、この家の長老のセキばあ様にだけは、話しておかんばいけねえすけ、そこだけ大丈夫だかね。まあ、最後は親元に返すのだーすけ、もし、表に話が聞こえても、誰も騒がねえとは思うが、一応、慣例とは違うことやること、わざわざ言わんでも良い」
 それは、野口家の親方コトと、タケとの約定だった。
 そして、この正月末の高田瞽女の総会では、だた一人の娘が入門する予定、とコトは報告しただけだった。
 こうして、ハマ(満六歳)の瞽女修行は始まったのである。
 出立は、三月十五日(旧暦)の、また明け方であった。
 どのみち道中は辰治が同行するから、まだ地引網漁が本格的ではないこの時期はありがたかった。
 疲れたらオンブしてあげるから、と言う辰治に、ハマは大丈夫だと顔を赤らめた。
 まだ幼いハマにとっては、故郷を離れる寂しさよりも、母との初めての旅の嬉しさのほうが遥かに勝っていた。
 当然見送りに出てきた春治は、終始明るく、平然と振る舞っていたが、再び戻った布団の中で、涙を流したのだった。
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