瞽女(ごぜ)、じょんがら物語

沢亘里 魚尾

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三 ご縁

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ごえん


 ハマが高田に瞽女の修行に出ることになって、最も気落ちしたのは、春治だった。
 目が見えないのに、どうして三味線を弾いて唄ったり、旅して巡ったりできるものか、と。まだ大して歩くことすらできないのに。
 それでも、来年の春には高田に行く、と云う。
「おっかちゃ」
「なんだい、まだ起きてたのかね」
「ハマちゃの修行というのは、いつまで。ずっと行ってるのか」
「さあねえ、修行て言うんだがら、すぐには帰ってこらんねえだろうねえ」
「瞽女さの修行て、何するのか」
「さあねえ、おっしょうさんに聞いてみたら良い。人のごとより、おめのことだ。おめも、ちゃんと漁師の修行、しんばね。明日も網の繕いがあるすけ、早うねねえとな」
 春治には、本当は兄が居るはずだった。
 死産だった。
 辰治の妻サエは、辰治の三つ上。姉さん女房である。
 サエの実家は、あの直江津今町の船元「弥平」である。
 死産の後もしばらく、サエの体調はなかなか元に戻らず、ようやく二度目の子を身籠ったのは三十二歳の時であった。それが春治である。本当は男一人では心もとないから二人三人と望むものだし、げんの事もあったが、サエの体の事を考えれば、その次など求めるべくもなかった。
 その験とは、代々、立浪の家では、長男が早死する、と辰治の父、源二郎が言い出したことであった。
 辰治の兄、清太は、八歳の頃、浜で遊んでいて、波にさらわれた。
「海はおっかねえもんだ。馬鹿にしてはならねえ」
 春治は、そう言い聞かされて育っている。
 先代の源二郎は、どちらかというと一人黙々と働く気質の釣り漁師だったが、その源二郎を慕って自然と集まってきた若い衆を使うようになり、本格的に地引網漁が行える組になっていったのである。主の獲物は、「イワシ」である。
 その源二郎も、「二」の字が付くように、次男であった。
 イワシを干した「干鰯ほしか」を、六万部村の庄屋に大量に卸す道筋を付けたのも、他ならぬ源二郎であった。干鰯は、戦国時代から畑の肥料として使われており、江戸時代にその需要がピークとなった。
 この「干鰯」こそ、漁師「立浪」の屋台骨であった。
 春のイワシ漁、干鰯の出荷が済むと、こんどは今町の網元「弥平」の漬漁が始まる。
 実は、この「弥平」との縁も、先代の源二郎の功績と言って良かった。
 源二郎は、自分のような昔気質の漁師は、これからは駄目だといつしか考えるように成り、知り合いのつてで、まだ若い辰治を今町の漁師に手伝いに行かせたのであった。
 網元「弥平」とは、それからのよしみである。
 漬漁の手伝いの間も、地引網の手は休まない。五人居る雇い漁師が二手に分かれる。
 地引網で獲れるイワシ以外の地物の魚は、先代の頃は、それこそ一尾ずつ売りさばいていたが、これでは商売のていではないと、辰治とサエで考えた末に、料理屋を始めようということになったのであった。
 八歳になった春治も、この年から地引網を手伝うようになった。立派な跡取りである。
 そんな春治だが、この頃は正直ハマのことが気がかりで、気もそぞろなのだった。
 ハマは、あと三月みつきほどで、村を離れるのだ。
 毎朝、父の手伝いが終わると、春治は、ハマを迎えに行く。そして、雪が積もる道を浜まで手を引いて連れて行った。
 歩く訓練である。
 それが自分にできることだ、と幼いながら春治は決心したのだった。その事が実際どういう役に立つのかは分からないのだが。
 兄弟の居ない春治にとって、ハマはたった一人の妹のような存在、いや、実の妹と言ってよかった。
 その幼い妹が、視力を完全に失っただけでなく、修行に出される。ハマ本人は、小さいから、その意味が良く分かっていないようだが、決して楽なことではないことは、多くを知らない春治にも勘で分かる。
「あたいも、おっかちゃみたいに、三味線弾いて、唄えるようになったら、春にいちゃに聴いてもらえるね」
 ハマは、嬉しそうに話す。
「ほうか」
 春治は気のない返事を返す。
「なんだあ、兄ちゃん、聴きたくねえか」
「そんなごとない。聴きたいよ」
 どのみち、実際に修行に行く段になれば、ハマも泣き叫んで帰りたい、というのだろうが、それでも、タケは母親として、今のうちにハマに言い聞かせておく必要があった。
「なあ、ハマ、良う聞けよ。おめがもし、小作の娘だったら、目なんて見えんくなったら、口減らしだ」
「おっかちゃ、口減らし、てなんだ」
「口減らし、て言うのは、その家にはおいておけねえがら、ぶちゃられる(捨てられる)という事だよ」
「捨てられるなんて、嫌」
「そうろう。おめはぶちゃられんで済むというだけで、そうとう恵まれてんだ。目が見えねえ人は、そこらじゅうにいっぱい居る。その中でちゃんと、瞽女さの修行さ出してもらえるなんていうのは、ありがだい事なんだよ。なあ。それだけは忘れるなよ。おっかも、おめも、辰治さんたちに世話になって、こうして食べられるすけ、おまんだって口減らしにならんでも済むんだがら、辰治さんさ感謝しんばいけねえよ」
「うん、分がった、おっかちゃ」
 そんな母子のやり取りが、この数ヶ月の間に何回あったことか。
 そのタケがハマに、実際に高田に行く日取りの話をしたのは、初雪が舞う頃だった。
「来年の正月、半ば過ぎ(藪入りの頃)に、まずおっかが一人で、高田の瞽女さの親方のところに、お願いしてくるすけね。そしたら、いつから、おめが親方の家に行くが決まるすけね」
「うん、分かった」

 タケが、高田に出立したのは、文久四年(一八六四年)の一月十六日(旧暦)の日の出前だった。
 当初、途中まで辰治が送ってくれるという話だったが、サエのすすめもあって、結局、全行程、辰治が同道することになった。
 柿崎村から高田の城下までは、人々が良く使う道で、およそ六里(二十五キロメートルほど)。
 今回は、今町からは川船で関川を上るから、それよりも少し長い行程だが、そのほうが歩く距離は短くて済む。これは、弥平の取り計らいであった。
 今町までは、海沿いの道を行った。
 明け方、それでも皆起きてきて、威勢よく送り出されて出立した二人だったが、なぜか交わす言葉も少なかった。
「道中長いすけ、休み休み行くかね」
「はい。よろしゅう頼むっす」
 最初に口火を切ったのは、辰治のほうだった。
「あん時から、何年になるかね」
 柿崎村から、およそ一里。雁子がんごの浜辺で休むべ、となり、座った辰治は不意に言ったのだった。
「何年ですかね」
 突然のことで、少し動揺したタケは想い返す素振りだけで頭は回らなかった。
 待てずに、再び辰治は話し出した。
「ほんとに、芸姑さんさ成ったんだもんなあ。もう二度と会うことなどねえと、考えたこともなかったね。立浪に現れた時は、最初はすっかり忘れたったども、気がついた時は、さらにびっくりしたよ」
「一人で家飛び出して、勝手に網元のところに行けば、舟に乗れるど考えたった。そして戻って来たときも、また網元頼って、すみません」
 そう言って、タケは俯いていた顔を上げ、海の方を見て微笑んだ。
「んでも、その見当は悪くなかったね」
「そですね、ほんと運だけは良かったです。駄目になっていった仲間、いっぱい見てきました」
 タケは再び俯いて、寂しい視線を砂に落とした。
 タケが六万部村の生家(庄屋)を出たのは、十五の五月だった。
 その前年(天保十四年=一八四四年)から、辰治は今町に手伝いに出ていた。
 突然飛び込んできたタケを気遣って、源二郎が、お前が一緒に行って頼んでやれ、と言ったのだった。
 そのお陰があって、タケは西廻りの船に乗船できたのである。もっとも、タケがそれなりに金を持っていたこともあったが。
「あん時、わたしは絶対に芸姑さんになります、って言ったもんねえ。すんごい剣幕だったね。おやじも、最初は家さ帰れ、って言ってたんに、あんまり聞がねえがら、とうとう諦めたん」
 辰治は回想して、笑った。
「そうやって必死に自分を鼓舞こぶしたんでしょうねえ。他に誰一人、約束する人いながったがら」
「大したもんだ、あんたは」
「なんも、何も分からず、ただ必死なだけだったんですよ」
 そうした、この道中最初のやり取りが、この後のタケには良かった。
 一人思い悩んでいた事が、少し楽になったというか、頭を再び整理し、肩の力を抜くことができたと言うか。
 それからの道中、タケは瞽女の親方との話の段取りを頭の中で何度も練習、反芻しながら行くことができた。
 そして関川を上る船の上では、すっかり覚悟が決まっていた。
 風は少なく、午後の日差しがうららかに船を照らし、梅香こそしてこないが、一足早い春が来たようだった。
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