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真一は、不眠に悩まされるようになった。
それは、二月の終わり、新居への引っ越しを終えても続いていた。
寝つきは比較的いいのだが、二時間ほどで目覚め、朝まで眠れないのだった。
眠れない夜は、当然のように真一は晶子のことを思い出した。
あの後も真一は、何度か晶子のアドレスにメールを送ったが、晶子からの返信は無かった。
さらに引っ越したことで、インターネット回線が無くなった。
経済的には、PDAも解約すべきだったが、それは残しておくことにした。
そのうち真一は、通信環境が原因で、晶子と連絡が取れない、というような錯覚に陥っていった。
不眠症だけではない。
真一は、情緒が安定しないようになっていった。
夜中に、急に涙が溢れて止まらなくなるようなこともあれば、すぐにでも晶子が帰ってくるような楽観的な気分になったり、と、そういうことの繰り返しだった。
気分が晴れ晴れとしているときには、真一は都内に映画を観に出かけた。
スウェーデンの音楽グループのヒット曲で構成されたミュージカルを映画化したもの。
パリで成功して故郷に戻った老画家と幼馴染で庭師との友情を描いたフランス映画。
定年退職の日に人生初めての遅刻をした鉄道運転手の一夜の騒動を描いた映画。
結果として、真一は毎週のように映画館に出かけることになったが、その度に晶子の不在を思い知ることになるのだった。
すぐに真一は、自らの行動の無意味さを思うようになり、映画館からも足が遠のいていくのだった。
そして、ある小春日和の穏やかな昼下がり、真一は突然あることを決断をした。
マンションから引っ越した際に、相当量の家具や本、資料、そして衣服を処分したおかげで、今回は楽に済みそうだった。
四月の初め、駅前の不動産会社に立ち寄った足で、真一は電車に乗り、新宿駅に行った。
向かった先は、南口にある大型スポーツ店だ。
真一は、そこでキャンプ用品を一式購入した。
四月の四週目には、真一は出発するつもりでいた。
真一としては、今までまだ経験したことがないこと、そして、必ずいつかはやってみたいことを実行に移すつもりでいた。
それは、森の中で暮らすことだった。
キャンプをしに行くのではない。
暮らすのだ。
できれば、洞窟みたいなところがベストだと彼は考えていた。
ちょうどいい洞窟が見つからなくても、それに近い何かが、森にはあるだろうと、真一は信じて疑わなかった。
そんなことを何日か考えているうちに、真一は、ある場所に思い至った。
四月二十一日は、朝から晴れ渡っていた。
真一は、不動産会社に鍵を返して、挨拶をすると、バックパックを背負って、東海道線に乗った。
そして東京駅から十二時過ぎの東北新幹線で北に向かった。
久しぶりに見る窓からの景色は、昔と何も変わっていないように真一の目には映った。
福島で車両が二つに分かれ、更に北上した。
徐々に山々に残雪が見受けられるようになった。
それでも、天気が良いため車内は暖かかった。
春が近付いている証拠だった。
目指す駅には、午後三時半ごろには到着した。
真一が、十年以上ぶりに降り立つ駅だった。
駅前には、タクシーが二、三台停車していて、居眠りしていた運転手が、真一に気付き一瞬起き上がったが、乗らないことが分かるとまた横になった。
真一は、通りまで出ると、右に折れ歩きだした。
道は、二百メートルほど行くと、視界が開け、緩やかな下り坂になった。
右は、すぐ線路で、左は杉林だった。
その杉林も切れると、田植え前の田んぼが広がっていた。
坂を降り切ると、そこには一級河川、入田川があった。
坂田川の支流である。
真一は、橋の手前を、右に折れ、川と平行に走る農道を北上するように歩いていった。
目的の場所は、そこから恐らく、五キロほど上流に行ったあたりだろうと、真一は見当を付けていた。
五時前に、真一は目的地付近に到着した。
真一は農道の路肩に寄って、東の方向を眺めた。
二百メートルほど先、田んぼの終わりは崖になっていた。
崖の斜面は、ところどころに雪を残していた。
雪がないシーズンは杉や蔦などで覆われている雑木林のはずだった。
その位置からは、防空壕は見えなかった。
真一は、一旦河原に降り、川面を眺めて時を過ごした。
そして、日が暮れかけると、再び歩き出した。
そこからさらに数百メートル、東に進むと、県道にぶつかった。
真一はそこを右折すると、坂道を崖の上の方に向かって歩き始めた。
町中に入る前に、真一は、スポーツグラスを掛けた。旧知の人間に気付かれるのを避けるためだった。
真一は、一番近いスーパーマーケットで、食パンと缶づめ、そして小瓶のウィスキー三本と二リットルの天然水ペットボトルなどを購入し、さらに段ボール箱を三個拝借して、防空壕がある雑木林に向かった。
それは、二月の終わり、新居への引っ越しを終えても続いていた。
寝つきは比較的いいのだが、二時間ほどで目覚め、朝まで眠れないのだった。
眠れない夜は、当然のように真一は晶子のことを思い出した。
あの後も真一は、何度か晶子のアドレスにメールを送ったが、晶子からの返信は無かった。
さらに引っ越したことで、インターネット回線が無くなった。
経済的には、PDAも解約すべきだったが、それは残しておくことにした。
そのうち真一は、通信環境が原因で、晶子と連絡が取れない、というような錯覚に陥っていった。
不眠症だけではない。
真一は、情緒が安定しないようになっていった。
夜中に、急に涙が溢れて止まらなくなるようなこともあれば、すぐにでも晶子が帰ってくるような楽観的な気分になったり、と、そういうことの繰り返しだった。
気分が晴れ晴れとしているときには、真一は都内に映画を観に出かけた。
スウェーデンの音楽グループのヒット曲で構成されたミュージカルを映画化したもの。
パリで成功して故郷に戻った老画家と幼馴染で庭師との友情を描いたフランス映画。
定年退職の日に人生初めての遅刻をした鉄道運転手の一夜の騒動を描いた映画。
結果として、真一は毎週のように映画館に出かけることになったが、その度に晶子の不在を思い知ることになるのだった。
すぐに真一は、自らの行動の無意味さを思うようになり、映画館からも足が遠のいていくのだった。
そして、ある小春日和の穏やかな昼下がり、真一は突然あることを決断をした。
マンションから引っ越した際に、相当量の家具や本、資料、そして衣服を処分したおかげで、今回は楽に済みそうだった。
四月の初め、駅前の不動産会社に立ち寄った足で、真一は電車に乗り、新宿駅に行った。
向かった先は、南口にある大型スポーツ店だ。
真一は、そこでキャンプ用品を一式購入した。
四月の四週目には、真一は出発するつもりでいた。
真一としては、今までまだ経験したことがないこと、そして、必ずいつかはやってみたいことを実行に移すつもりでいた。
それは、森の中で暮らすことだった。
キャンプをしに行くのではない。
暮らすのだ。
できれば、洞窟みたいなところがベストだと彼は考えていた。
ちょうどいい洞窟が見つからなくても、それに近い何かが、森にはあるだろうと、真一は信じて疑わなかった。
そんなことを何日か考えているうちに、真一は、ある場所に思い至った。
四月二十一日は、朝から晴れ渡っていた。
真一は、不動産会社に鍵を返して、挨拶をすると、バックパックを背負って、東海道線に乗った。
そして東京駅から十二時過ぎの東北新幹線で北に向かった。
久しぶりに見る窓からの景色は、昔と何も変わっていないように真一の目には映った。
福島で車両が二つに分かれ、更に北上した。
徐々に山々に残雪が見受けられるようになった。
それでも、天気が良いため車内は暖かかった。
春が近付いている証拠だった。
目指す駅には、午後三時半ごろには到着した。
真一が、十年以上ぶりに降り立つ駅だった。
駅前には、タクシーが二、三台停車していて、居眠りしていた運転手が、真一に気付き一瞬起き上がったが、乗らないことが分かるとまた横になった。
真一は、通りまで出ると、右に折れ歩きだした。
道は、二百メートルほど行くと、視界が開け、緩やかな下り坂になった。
右は、すぐ線路で、左は杉林だった。
その杉林も切れると、田植え前の田んぼが広がっていた。
坂を降り切ると、そこには一級河川、入田川があった。
坂田川の支流である。
真一は、橋の手前を、右に折れ、川と平行に走る農道を北上するように歩いていった。
目的の場所は、そこから恐らく、五キロほど上流に行ったあたりだろうと、真一は見当を付けていた。
五時前に、真一は目的地付近に到着した。
真一は農道の路肩に寄って、東の方向を眺めた。
二百メートルほど先、田んぼの終わりは崖になっていた。
崖の斜面は、ところどころに雪を残していた。
雪がないシーズンは杉や蔦などで覆われている雑木林のはずだった。
その位置からは、防空壕は見えなかった。
真一は、一旦河原に降り、川面を眺めて時を過ごした。
そして、日が暮れかけると、再び歩き出した。
そこからさらに数百メートル、東に進むと、県道にぶつかった。
真一はそこを右折すると、坂道を崖の上の方に向かって歩き始めた。
町中に入る前に、真一は、スポーツグラスを掛けた。旧知の人間に気付かれるのを避けるためだった。
真一は、一番近いスーパーマーケットで、食パンと缶づめ、そして小瓶のウィスキー三本と二リットルの天然水ペットボトルなどを購入し、さらに段ボール箱を三個拝借して、防空壕がある雑木林に向かった。
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