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十月に入ると、晶子の出張もほとんどなくなった。
それは、地方の仕事自体が減ったということだったが、体調が優れないために晶子が意図的に地方の仕事を断っている、からでもあった。
結果として、真一と晶子が会うことが多くなった。
午前中から昼過ぎにかけては、店の建築に関する打合せやショールームでの商談などを都内で行ったり、現場で打合せをする。
その後は、店の上映作品リストの作成も兼ねて、都内の映画館で映画を観たり、時には映画館を経営する会社を訪問したりした。
仕事が終われば、夕食を食べて、だいたいは都内のホテルに宿泊した。
十月の終わりに近づくと、店はようやく内装工事に入った。
「映画の上映については、弁護士などに相談しましたの」
「どうだった」
「しかるべきコストを払えば問題ないし、それは特に気にするような額ではなさそうですわ」
「そうか、それが決まれば、ほんと、あとは料理だけだね」
「お食事に関しても、先日、真一さんと伺ったお店のような食事をコーディネートできる方を見つけましたの」「あとは、ドウモを閉店するので、奥山と中村の二人に試作をお願いしますわ」「試食会には、わたくしの知人何名かにも来ていただいて、ご意見を伺うつもりなの」
「完璧だね」
「真一さん、あと、音楽はどうなさいますか」
「うん、やっぱり、有線が面倒じゃないんだろうねえ」
「そうだわね、ジャンルはどうなさいますか」
「アキは、クラシックだろ」「僕は、スタンダード・ジャスがいいから、両方にしたらいい、その時々で」
「そうね」
そう言うと、晶子は、椅子を立ってローテーブルを周り、真一の膝の上に座り身体を預けた。
真一は、抱きとめると、すぐに彼女の唇を吸った。
晶子は、少しうめくと、舌をからませ、激しく反応した。
「真一さん、愛してるわ」
「僕もだよ」
二人は、すぐにベッドに移り、愛し合った。
晶子の抱擁は力強く、真一はいつも圧倒された。
常に、彼女の中で達する真一であったが、いつも吸いつき、吸い取られ、吸い上げられる感覚があった。
晶子は、挿入後、すぐに最初のオーガズムを迎えるが、真一が達するまで、何回も痙攣するように果てた。
そのような毎日が続いたある夜、真一が夜中に目覚めると、晶子は、窓際の椅子の腰掛けて、シャンパンを飲んでいた。
「眠れないのか」
真一は、ベッドから出て、晶子の向かい側に座った。
ワイングラスの横には、ピンク色の錠剤が二つ置いてあった。
「真一さんは、お気づきになっていないかもしれないけど、わたくし、以前処方されていたお薬を止めていますの」「これはパリの先生から送られてきた新薬」「飲むとね、頭の痛みは和らぐようなんですが、意識が遠くなる気がするんです」「飲みたくないわ」
そう言いながら、晶子は、錠剤を一つ取り上げると、グラスの中に放り込んだ。
錠剤は、小さな気泡を出して、グラスの底に転がった。
「そんな飲み方でいいのか」
「どんな飲み方でも構いませんわ」「前にも少しお話をしましたが、私の体も限界みたいですわ」「パリの先生のところに行くか、シカゴの先生のほうにすべきか」「その前に日本でブラッドパッチをするか」
真一はその頃、まだ晶子の病気の切実さがあまり分かっていなかった。
実際、毎日のように彼女と接している真一だったが、重大な持病があるようには見えなかったからだ。
時々、ぼうっとしていたり、少し動機が激しくなって、しゃがみ込んだりはするものの、それも短時間の話で、おおむね健常者と変わりはなかった。
だから、晶子の口から、「脳脊髄液減少症」という病名を聞いた時も、何やら難しい病名だと思ったものの、特に自分で調べることすらしなかった。
その病気について、彼がある程度知るようになるのは、それからだいぶ後になってからのことだった。
「どれくらいかかるんだ」
「分からないわ」「どの治療法を選ぶかでだいぶ違いますの」「でも、ブラッドパッチは、すでに二回受けてますので、今回も問題なくできるかどうか、先生に相談してみないといけませんの」
「長くて、どれぐらいなんだ」
「長ければ」「もう、真一さんにはお会いできないくらいですわ」
その言葉は、あまりにも簡単に放たれた。
「そんな、怖い顔をなさらないで」「これは、最初から分かっていたこと」「完治はないのですから」
錠剤はいつの間にか、全て溶け、晶子は新薬が溶け込んだシャンパンを一気に飲み干した。
「真一さん、シャンパンを注いでくださらない」「冷蔵庫に入っていますので、真一さんもいかが」
「もう、飲まない方がいいよ」
「あら、だって、お薬、あと一錠ありますのよ」
真一は、仕方なく、冷蔵庫からシャンペンを出し、彼女のグラスに注ぎ、自分のグラスにも注いだ。
晶子は、満足そうに頬笑み、グラスを掲げ乾杯と言った。
「病気はね、長い間のお付き合いなので、慣れているし、死ぬことも怖くないの」「ただ、この病気はこの先の治療によっては、記憶を全く失うこともあるの」
真一は、彼女を見つめ、その動きを追っていた。
晶子は、二つ目の錠剤をグラスに放り込んだ。
グラスの中の錠剤を見つめる晶子の両目から涙がこぼれた。
「わたくし、忘れたくないわ」「真一さんのことを」
驚いた真一は、立ちあがり、晶子の横に来て、肩を抱いた。
「おかしなお話ですわね」「PTSDで過去のフラッシュバックを恐れながら、その一方で記憶が失われる恐怖におののくのよ」
真一は、何も言わずに、腕に力を入れ、晶子に頬ずりした。いつもはしっとりと滑らかな頬は、涙にぬれていた。
それから晶子は、自分の脳脊髄液減少症とPTSDの原因が、香港での交通事故にあることを、真一に話した。
暴走した車が、歩道を歩く晶子とその恋人に突っ込み、車道側を歩いていた恋人の方をなぎ払った。
即死だった。
腕を組んでいた晶子も、腕は放されたものの、その勢いに引っ張られて、建物の方に飛ばされ、ビルの壁に激しく頭を打ち付けた。
「大切な人をもう無くしたくありませんわ」
真一は、息苦しさと、手足のしびれを感じていた。
簡単に掛けられる言葉など、真一にはなかった。
「また、とても怖い表情をなさって」
晶子は、真一の顔を覗き込み、微笑んだ。
いつの間にか、彼女の涙は乾いていた。
「真一さんは、とてもお優しい方だから」「わたくし、お慕い申し上げる方に、抱きしめられながら腕の中で眠ったことなんて、今までの人生でなかったの」
晶子は、真一の腕をさすりながら、独り言のようにつぶやいた。
彼女のその言葉に、真一は、逆に自分が彼女を本当に愛していることに気付かされたのだった。
それは、地方の仕事自体が減ったということだったが、体調が優れないために晶子が意図的に地方の仕事を断っている、からでもあった。
結果として、真一と晶子が会うことが多くなった。
午前中から昼過ぎにかけては、店の建築に関する打合せやショールームでの商談などを都内で行ったり、現場で打合せをする。
その後は、店の上映作品リストの作成も兼ねて、都内の映画館で映画を観たり、時には映画館を経営する会社を訪問したりした。
仕事が終われば、夕食を食べて、だいたいは都内のホテルに宿泊した。
十月の終わりに近づくと、店はようやく内装工事に入った。
「映画の上映については、弁護士などに相談しましたの」
「どうだった」
「しかるべきコストを払えば問題ないし、それは特に気にするような額ではなさそうですわ」
「そうか、それが決まれば、ほんと、あとは料理だけだね」
「お食事に関しても、先日、真一さんと伺ったお店のような食事をコーディネートできる方を見つけましたの」「あとは、ドウモを閉店するので、奥山と中村の二人に試作をお願いしますわ」「試食会には、わたくしの知人何名かにも来ていただいて、ご意見を伺うつもりなの」
「完璧だね」
「真一さん、あと、音楽はどうなさいますか」
「うん、やっぱり、有線が面倒じゃないんだろうねえ」
「そうだわね、ジャンルはどうなさいますか」
「アキは、クラシックだろ」「僕は、スタンダード・ジャスがいいから、両方にしたらいい、その時々で」
「そうね」
そう言うと、晶子は、椅子を立ってローテーブルを周り、真一の膝の上に座り身体を預けた。
真一は、抱きとめると、すぐに彼女の唇を吸った。
晶子は、少しうめくと、舌をからませ、激しく反応した。
「真一さん、愛してるわ」
「僕もだよ」
二人は、すぐにベッドに移り、愛し合った。
晶子の抱擁は力強く、真一はいつも圧倒された。
常に、彼女の中で達する真一であったが、いつも吸いつき、吸い取られ、吸い上げられる感覚があった。
晶子は、挿入後、すぐに最初のオーガズムを迎えるが、真一が達するまで、何回も痙攣するように果てた。
そのような毎日が続いたある夜、真一が夜中に目覚めると、晶子は、窓際の椅子の腰掛けて、シャンパンを飲んでいた。
「眠れないのか」
真一は、ベッドから出て、晶子の向かい側に座った。
ワイングラスの横には、ピンク色の錠剤が二つ置いてあった。
「真一さんは、お気づきになっていないかもしれないけど、わたくし、以前処方されていたお薬を止めていますの」「これはパリの先生から送られてきた新薬」「飲むとね、頭の痛みは和らぐようなんですが、意識が遠くなる気がするんです」「飲みたくないわ」
そう言いながら、晶子は、錠剤を一つ取り上げると、グラスの中に放り込んだ。
錠剤は、小さな気泡を出して、グラスの底に転がった。
「そんな飲み方でいいのか」
「どんな飲み方でも構いませんわ」「前にも少しお話をしましたが、私の体も限界みたいですわ」「パリの先生のところに行くか、シカゴの先生のほうにすべきか」「その前に日本でブラッドパッチをするか」
真一はその頃、まだ晶子の病気の切実さがあまり分かっていなかった。
実際、毎日のように彼女と接している真一だったが、重大な持病があるようには見えなかったからだ。
時々、ぼうっとしていたり、少し動機が激しくなって、しゃがみ込んだりはするものの、それも短時間の話で、おおむね健常者と変わりはなかった。
だから、晶子の口から、「脳脊髄液減少症」という病名を聞いた時も、何やら難しい病名だと思ったものの、特に自分で調べることすらしなかった。
その病気について、彼がある程度知るようになるのは、それからだいぶ後になってからのことだった。
「どれくらいかかるんだ」
「分からないわ」「どの治療法を選ぶかでだいぶ違いますの」「でも、ブラッドパッチは、すでに二回受けてますので、今回も問題なくできるかどうか、先生に相談してみないといけませんの」
「長くて、どれぐらいなんだ」
「長ければ」「もう、真一さんにはお会いできないくらいですわ」
その言葉は、あまりにも簡単に放たれた。
「そんな、怖い顔をなさらないで」「これは、最初から分かっていたこと」「完治はないのですから」
錠剤はいつの間にか、全て溶け、晶子は新薬が溶け込んだシャンパンを一気に飲み干した。
「真一さん、シャンパンを注いでくださらない」「冷蔵庫に入っていますので、真一さんもいかが」
「もう、飲まない方がいいよ」
「あら、だって、お薬、あと一錠ありますのよ」
真一は、仕方なく、冷蔵庫からシャンペンを出し、彼女のグラスに注ぎ、自分のグラスにも注いだ。
晶子は、満足そうに頬笑み、グラスを掲げ乾杯と言った。
「病気はね、長い間のお付き合いなので、慣れているし、死ぬことも怖くないの」「ただ、この病気はこの先の治療によっては、記憶を全く失うこともあるの」
真一は、彼女を見つめ、その動きを追っていた。
晶子は、二つ目の錠剤をグラスに放り込んだ。
グラスの中の錠剤を見つめる晶子の両目から涙がこぼれた。
「わたくし、忘れたくないわ」「真一さんのことを」
驚いた真一は、立ちあがり、晶子の横に来て、肩を抱いた。
「おかしなお話ですわね」「PTSDで過去のフラッシュバックを恐れながら、その一方で記憶が失われる恐怖におののくのよ」
真一は、何も言わずに、腕に力を入れ、晶子に頬ずりした。いつもはしっとりと滑らかな頬は、涙にぬれていた。
それから晶子は、自分の脳脊髄液減少症とPTSDの原因が、香港での交通事故にあることを、真一に話した。
暴走した車が、歩道を歩く晶子とその恋人に突っ込み、車道側を歩いていた恋人の方をなぎ払った。
即死だった。
腕を組んでいた晶子も、腕は放されたものの、その勢いに引っ張られて、建物の方に飛ばされ、ビルの壁に激しく頭を打ち付けた。
「大切な人をもう無くしたくありませんわ」
真一は、息苦しさと、手足のしびれを感じていた。
簡単に掛けられる言葉など、真一にはなかった。
「また、とても怖い表情をなさって」
晶子は、真一の顔を覗き込み、微笑んだ。
いつの間にか、彼女の涙は乾いていた。
「真一さんは、とてもお優しい方だから」「わたくし、お慕い申し上げる方に、抱きしめられながら腕の中で眠ったことなんて、今までの人生でなかったの」
晶子は、真一の腕をさすりながら、独り言のようにつぶやいた。
彼女のその言葉に、真一は、逆に自分が彼女を本当に愛していることに気付かされたのだった。
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