たれやも通ふ萩の下道(したみち)

沢亘里 魚尾

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(二十)徳白尼語り、順徳院の辿った道

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 蝉が幾筋も、入れ代わり立ち代わりに鳴いている。
 陽が高く昇っているだろうに、山寺ゆえ、やはり涼しかった。
 暑い盛りの証のような蝉の声も、その涼しさに鮮色せんしょくの線を染め入れているようである。
「順徳院様が、羽黒山にご到着されましたのも、ちょうど、この時節であったと云われています」
「そうですか、ご滞在になられた黄金堂こがねどうはどちらですか」
「五重塔のほうにござります。何の因果か、不思議なものですが、黄金堂は、頼朝卿が奥州藤原氏を討つ時に、勝利祈願にて寄進された寺にござります」
「それはなんと」
 芭蕉は、過ぎ去りし時に思いを馳せるようにくうを見つめた。
「それほど、長逗留ではなかったと思われます。十日から二十日の間でございましょう。ここ羽黒山にて御出家なされたと云います。その後、お堂に籠もられて、般若心経を何度も読経されたと云います。それは正に蜂子皇子様のようにござりました。その後、阿部様と何名かの羽黒山僧兵を伴い、修験者の御衣裳にて、羽黒山を降り、最上河(最上川)を遡られたと云います」
「順徳院は、もとより、正厳しょうごん(現、山形県尾花沢市大字正厳字宮原)の里を目指されたのでしょうか」
「いや、当初は、宮木野みやぎの(現、宮城県仙台市宮城野区周辺)を本意ほいの地されたようにございます」
「ほう、萩の野にございますか」
 順徳院が、歌枕の里、宮木野を目的の地としたのも、不思議では無かった。
船形山ふながたやま(宮城県と山形県の県境にそびえる船形火山群の主峰)を越えて行かれようとお考えだったと想われます」
「後の、御所山ごしょざんですね」
「さようです。順徳院様の正厳の御宮から良く見渡せることから、そう呼ぶようになったのでしょう」
しかるに、何ゆえ、当初の御計画が果たされなかったのでしょうか」
「それは、分かりません。ただ、その訳は一通りではございませんでしょう。当時、宮木野は、この山深い出羽に比べれば、遥かに栄えており、都からも人の行き来が多ございました。故に人の目に付きやすい。ですから、よくよくお考えになり、お取りやめになられた。あるいは、一度は宮木野に行かれ、その後に、正厳まで戻られた、ということも考えられましょう」
 芭蕉は、しばし思案してのち、頷いた。
 徳白尼とは別の理由が脳裏に浮かんでいた。
 確かに、宮木野は古より歌枕に詠まれ、洗練された名所である。
 しかし、この出羽は、未開の地ゆえの奥ゆかしさがあり、安住の地としては、むしろ相応しいと考えられたのではないか、と。
「いずれにしましても、翁様(芭蕉)が、辿ってこられた道を、逆に戻るように、順徳院様は進まれたのでございます」
 芭蕉は、感慨深く、回想した。
 どういう思いで、順徳院はあの道を歩まれたのであろうか。
 両岸の松を、白糸の滝を、見たのだろうか。
「諸説ございますが、最上河を船で遡された後、支流の丹生河(現、丹生川。船形山を水源とし尾花沢盆地を流れる一級河川)に入られたのでしょう」
 芭蕉は、自らの記憶を思い起こしながら徳白尼の話に耳を傾けている。
「丹生河は川船で遡ったのではなく、河原や、沿川の道を進まれたでしょう。翁様が歩かれた道とさほど変わらなかったのではないでしょうか」
 芭蕉は、大石田河岸おおいしだがし(最上川舟運の要衝、現、山形県北村山郡大石田町)を通って来たから、順徳院はそれよりもやや北側を進まれたことになる。
 もっとも、芭蕉が出羽路を歩まれたのは、最上川舟運しゅううんが開発された後のことである。
 よって大石田河岸を経由するのは、自然のことである。
 順徳院の歩まれた頃は、まだ舟運など整っていない。
 したがって、宮木野への最短の経路を歩んだものと想われる。
「船形山をその源とする丹生河を、まさに鮭のよ(鮭)が遡るがごとく、上流を目指され歩まれたのでござりましょう。そのように進まれるうちに、船形山が近付くにつれ、いよいよ、宮木野への想いを強くされていったことでしょう」
 若い二人の僧が、入り口から入ってきた。
 何やら運んできたようである。
「里の村人からいただいたマクワウリでございます。湧き水にて冷やしました」
 黄色の皮の、面長な丸ウリであった。
 食べやすいように、三日月形に切られて、種が除かれている。
「どうぞ」
「これは有り難い」
 口に持って行っただけで、清涼な瓜の香りがする。
 みずみずしく、よく冷え、程よい甘みがあった。
「体の熱をとりますゆえ」
 よく言われていることだが、食べながら本当に汗が引いていくのが芭蕉にも分かった。
 瓜を口に運びながら、徳白尼は続ける。
「ほんとうに、どういうお暮らしぶりであったのでしょうか。少しの記録もなく、あちらこちらに残る言い伝えをつなぎ合わせるしかないのが残念で仕方ありません」
 残念と言いながら、徳白尼はそうすることを楽しでいるように見える。
「いずれにしましても、宮木野ではなく、正厳を安住の地とされ、現在御所神社のある、あの辺りに御宮を構えられ、お暮らしになったのでございますか」
 芭蕉はそう尋ね、二つ目の瓜に手を伸ばした。
「さようでございます。正厳の村には、その当時、それなりの寺もあまりなく、羽黒山から来られた高僧である、として厚遇されたようでして、御宮もわざわざ、新造されたそうにございます。それができるまでは、御所山(船形山)にほど近い、農民の納屋を借りて住まわれていたようです」
「村人たちにとりましては、剃髪されておられますし、読経などもすっかり板についておられますから、僧侶だと信じて疑わなかったでしょう」
「そう思われます。後の世になってようやく、どの筋から出た話かは分かりませぬが、その高僧が、順徳院様であられた、と云うことを村人は知るようになるのです」
 芭蕉は、また、少しの違和感を覚えた。
 記録がない、と言う割には知りすぎているような感があり、語るべきこと、語らぬことを分けているような気がしてならない。
 そういう気持ちが、少しばかり芭蕉を詮索口調に変えた。
「それでは、村人たちは、知らずに順徳院様に接していたということですね」
 徳白尼は頷いた。
「実際のお暮らしぶりが分かるお話が一つだけございます」
 突然、徳白尼は、目を細めて言った。
「ほう」
 芭蕉は、固唾を呑んで、話の続きを待った。
 そよ風が通りぬけ、瓜が冷やした芭蕉の体を撫でていった。
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