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祭りに一緒に行こう、といったヒトミが本気だったら、どのような手段で連絡を取ってくるのだろうか、と守は落ち着かない日々を過ごしていた。
守が居ないときに電話があったりして、父親が出るようなことは避けたかったため、あの日以来守はほとんど外出をしなかった。
そんなことを心配するくらいだったら、寺田川の枝沢に行った方が、事は早かったかもしれないが、守はそうする気にはなれなかった。
「なして釣りに行がなぐなったなや」
父は聞いたが、お盆だから、と守は答えた。
父親としては、一向に東京に戻らない息子に対して、心配に思い始めていたところだったので、そろそろ東京に戻るのか、という気持ちを込めて聞いたのだったが、守の方はそんなニュアンスを感じ取るような気持ちの余裕がなかった。
結局、お盆を一週間過ぎても、ヒトミからは連絡がなかったため、守は、あれは冗談だった、と期待していたことを急に恥ずかしく思った。
それと同時に少しほっとした守だった。
その翌日、早起きした守は、絶好の釣り日和だということで、寺田川に行くことに決めた。
祭りの二日前のことであった。
前回逃した大物を釣り上げてやるという意気込みも、ふつふつとわき始めてもいた。
家の裏の畑の横にある肥溜めからミミズを捕まえると、塩おにぎりとペットボトルのお茶を持って、寺田川に向かった。
守の家から、寺田川の第一の砂防ダムまでは、車で三〇分くらいだった。
そこから歩いて、例の枝沢まで更に三〇分弱だった。
守が枝沢に入ったのは、午前八時を少し回った頃だった。
すでに、日差しは強さを増していたが、ひとたび枝沢に足を踏み入れると、いつものようにひんやりと涼しかった。
自分が一番乗りであることが、守には直感的に分かった。
守はいつも通り、小さな落ち込みも、チャラ瀬も深瀬も、差をつけず丁寧に釣り登って行った。
しかし、その日は、一切のあたりがないまま、最後の滝壺まで来てしまった。
「いいさ、この間のヤツを釣り上げてやる」
守は、そう思いながら、仕掛けを新しくしようと、滝の手前の倒木のアーチの下にしゃがみ込んで、長靴のポケットから予備の仕掛けを出した。
守は常日頃から、釣りの道具箱的なものは持ち歩かなかった。
仕掛けは予備のものを合せて二つと決めていて、それが切れたり損傷した場合は釣りを止めることにしていた。
その日の予備の仕掛けは特別で、針は「返しがついた針」にしていた。
前回取り逃がしたことへの対抗策として作っておいたのだ。さらに、道糸も強度を上げ少し長めに作ってあった。
「今度は逃がさない」
仕掛けの準備ができると、守は小袖竿を伸ばし、五.四メートルいっぱいにした。
いつもは、手前から順に攻めるが、その日は、最初に滝の右奥に竿を構え、仕掛けを落とす前に、守は三度ほど深呼吸をした。
大物は、なかなか食いつかない、という話を昔、渓流釣りの大先輩から聞いたことがあった。
守は、一切の不自然な動きを避け、滝の流れのままに餌を任せた。錘は付けず、大きめのミミズを三匹針にかけていた。
最初は、滝直下の渦が、ミミズを翻弄したが、そのうち、流れるべきところに流れ着き、道糸は留った。
そのままの状態でどれほどの時間が過ぎただろうか。おそらく十分間は動かずにいただろう。
いつもあたりを待つ間は無心になる守るだったが、その時はなぜか頭にそのことが思い浮かんだ。
ヒトミとの出来事。
連絡がないところをみると、あの出来事自体が、幻覚または守の妄想なのかもしれなかった。
しかし、守は、ヒトミの肌に触れた記憶も、ヒトミの激しく動く掌の感覚も、オーガズムの瞬間も、生々しく記憶していた。
思いがけず、守は恍惚となった。
その時だった。
前回同様、あたりは突然きた。
それと同時に、世界の音が守の耳に一斉に戻ってきた。
守が居ないときに電話があったりして、父親が出るようなことは避けたかったため、あの日以来守はほとんど外出をしなかった。
そんなことを心配するくらいだったら、寺田川の枝沢に行った方が、事は早かったかもしれないが、守はそうする気にはなれなかった。
「なして釣りに行がなぐなったなや」
父は聞いたが、お盆だから、と守は答えた。
父親としては、一向に東京に戻らない息子に対して、心配に思い始めていたところだったので、そろそろ東京に戻るのか、という気持ちを込めて聞いたのだったが、守の方はそんなニュアンスを感じ取るような気持ちの余裕がなかった。
結局、お盆を一週間過ぎても、ヒトミからは連絡がなかったため、守は、あれは冗談だった、と期待していたことを急に恥ずかしく思った。
それと同時に少しほっとした守だった。
その翌日、早起きした守は、絶好の釣り日和だということで、寺田川に行くことに決めた。
祭りの二日前のことであった。
前回逃した大物を釣り上げてやるという意気込みも、ふつふつとわき始めてもいた。
家の裏の畑の横にある肥溜めからミミズを捕まえると、塩おにぎりとペットボトルのお茶を持って、寺田川に向かった。
守の家から、寺田川の第一の砂防ダムまでは、車で三〇分くらいだった。
そこから歩いて、例の枝沢まで更に三〇分弱だった。
守が枝沢に入ったのは、午前八時を少し回った頃だった。
すでに、日差しは強さを増していたが、ひとたび枝沢に足を踏み入れると、いつものようにひんやりと涼しかった。
自分が一番乗りであることが、守には直感的に分かった。
守はいつも通り、小さな落ち込みも、チャラ瀬も深瀬も、差をつけず丁寧に釣り登って行った。
しかし、その日は、一切のあたりがないまま、最後の滝壺まで来てしまった。
「いいさ、この間のヤツを釣り上げてやる」
守は、そう思いながら、仕掛けを新しくしようと、滝の手前の倒木のアーチの下にしゃがみ込んで、長靴のポケットから予備の仕掛けを出した。
守は常日頃から、釣りの道具箱的なものは持ち歩かなかった。
仕掛けは予備のものを合せて二つと決めていて、それが切れたり損傷した場合は釣りを止めることにしていた。
その日の予備の仕掛けは特別で、針は「返しがついた針」にしていた。
前回取り逃がしたことへの対抗策として作っておいたのだ。さらに、道糸も強度を上げ少し長めに作ってあった。
「今度は逃がさない」
仕掛けの準備ができると、守は小袖竿を伸ばし、五.四メートルいっぱいにした。
いつもは、手前から順に攻めるが、その日は、最初に滝の右奥に竿を構え、仕掛けを落とす前に、守は三度ほど深呼吸をした。
大物は、なかなか食いつかない、という話を昔、渓流釣りの大先輩から聞いたことがあった。
守は、一切の不自然な動きを避け、滝の流れのままに餌を任せた。錘は付けず、大きめのミミズを三匹針にかけていた。
最初は、滝直下の渦が、ミミズを翻弄したが、そのうち、流れるべきところに流れ着き、道糸は留った。
そのままの状態でどれほどの時間が過ぎただろうか。おそらく十分間は動かずにいただろう。
いつもあたりを待つ間は無心になる守るだったが、その時はなぜか頭にそのことが思い浮かんだ。
ヒトミとの出来事。
連絡がないところをみると、あの出来事自体が、幻覚または守の妄想なのかもしれなかった。
しかし、守は、ヒトミの肌に触れた記憶も、ヒトミの激しく動く掌の感覚も、オーガズムの瞬間も、生々しく記憶していた。
思いがけず、守は恍惚となった。
その時だった。
前回同様、あたりは突然きた。
それと同時に、世界の音が守の耳に一斉に戻ってきた。
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