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裸の女を見かけて以来、母親の法事があったこともあって、守は川には行かなかった。
それが過ぎても、寺田川には近付かず、別の沢に入った。
しかし、そうして過ごしていても、やはり、女のことは守の頭から離れることはなかった。
別の沢を登るとき、ふとした時に、女が急に現れるのではないか、という想念が付きまとった。
滝を登り切ったその上や、瀬がカーブした先などでだ。
気がつけば、自分が女との遭遇を期待していることに、守は気づくのだった。
寺田川の枝沢に守が再び入ったのは、女と遭遇した日から約二週間後のよく晴れた午後だった。
渓流は、お盆の頃になると藪が伸び、虻も大量発生したり熊が出没したりで、とにかく危険が多いことから、釣り人も減る。
そんな季節に山深い沢に入るのは、よく慣れた守といえども覚悟が要った。
しかし、守の女への好奇心の方がその恐怖を遥かに凌駕していた。
沢の入り口の石橋に立ち、守は額の汗をタオルでぬぐった。
持参した水筒のスポーツドリンクを飲んだ。
それで喉の渇きは一気に潤ったが、鼓動は急激に激しくなったような気がした。
一旦、沢に入ると、気温が一度ぐらいは低くなったように守には感じられた。
気がつけば、竿を畳んだまま、守は歩いているだけだった。
そうして歩いてみれば、滝まではすぐの奥浅い沢だった。
女の姿は無かった。
期待はずれは、やがて安心感に変わり、守は滝壺で釣りをすることにした。
最初は、滝の手前の駆け上がりの部分で、そして、一番深い滝の右奥の深みで。
あたりは全く無かった。
そんなことは初めてだと、守は訝った。
それで、守は粘ってみた。できるだけ、自然の流れに任せて、仕掛けを流し、滞留させた。
あたりは、突然きた。
それは、あたりとは言い難かった。
なぜなら、急激に滝の左側に竿ごと引っ張られたと思った次の瞬間に糸が切られてしまったからだ。
何が何だか、分からないまま、薄気味悪さを感じて、守は来た道を戻ることにした。
中ほどの深瀬に差し掛かる前だった。
もうひとつの沢が右側から流れ込んでいた。
前回来たときには気付かなかったが、そう言えば、そういう沢があったことを守は思い出した。
その沢の上流には熊が出没する、という噂があった。だから、特に真夏には入らないように守は決めていた。
しかし、その時は、吸い込まれるように守はその沢に入って行った。
その流れは、川幅にして七〇センチぐらいしかなく、岩が削られてできた狭谷だった。
両サイドは垂直に切り立った岩肌が数メートルの高さで続いており、ちょうど自然の迷路に迷い込んだようなものである。
そういう地形だから、守は川の中を歩いて進むしかなかった。
その状態がどれぐらい続くか、守には記憶がなかった。
通路のような流れは、右にカーブした後は直線で数十メートル進んだ後、今度は左にカーブして、すぐに小さい滝があった。
守は、その滝に仕掛けを落としてみた。
すぐにあたりがあり、二〇センチ超の岩魚を釣りあげた。色が白い魚影は、その沢の岩肌の色に似ていた。
その後、守はとっかかりのない一メートルほどの滝を、両サイドに脚を突っ張って登った。
滝の上は、開けていて、流れの両サイドは、水平な岩肌になっていた。
流れの左側の岸に、女はうつ伏せで寝そべっていた。
その姿は、まるで守の到来を待ちうけ、さらに待ちくたびれた風であった。
女は当然裸だった。
女が身につけていただろう衣服は、意図的にそうされたように、岩の上に脱ぎ散らかされていた。
「なんだ守くん、立ってねえで、こっちゃ来て、座れちゃ」
茫然と立ち尽くす守に、女は手招きしながら言った。
それは、記憶の彼方にあった鈴木ヒトミの声だった。
顔にも当時の面影がはっきりと残っていた。
それは間違いなく鈴木ヒトミだった。
それが過ぎても、寺田川には近付かず、別の沢に入った。
しかし、そうして過ごしていても、やはり、女のことは守の頭から離れることはなかった。
別の沢を登るとき、ふとした時に、女が急に現れるのではないか、という想念が付きまとった。
滝を登り切ったその上や、瀬がカーブした先などでだ。
気がつけば、自分が女との遭遇を期待していることに、守は気づくのだった。
寺田川の枝沢に守が再び入ったのは、女と遭遇した日から約二週間後のよく晴れた午後だった。
渓流は、お盆の頃になると藪が伸び、虻も大量発生したり熊が出没したりで、とにかく危険が多いことから、釣り人も減る。
そんな季節に山深い沢に入るのは、よく慣れた守といえども覚悟が要った。
しかし、守の女への好奇心の方がその恐怖を遥かに凌駕していた。
沢の入り口の石橋に立ち、守は額の汗をタオルでぬぐった。
持参した水筒のスポーツドリンクを飲んだ。
それで喉の渇きは一気に潤ったが、鼓動は急激に激しくなったような気がした。
一旦、沢に入ると、気温が一度ぐらいは低くなったように守には感じられた。
気がつけば、竿を畳んだまま、守は歩いているだけだった。
そうして歩いてみれば、滝まではすぐの奥浅い沢だった。
女の姿は無かった。
期待はずれは、やがて安心感に変わり、守は滝壺で釣りをすることにした。
最初は、滝の手前の駆け上がりの部分で、そして、一番深い滝の右奥の深みで。
あたりは全く無かった。
そんなことは初めてだと、守は訝った。
それで、守は粘ってみた。できるだけ、自然の流れに任せて、仕掛けを流し、滞留させた。
あたりは、突然きた。
それは、あたりとは言い難かった。
なぜなら、急激に滝の左側に竿ごと引っ張られたと思った次の瞬間に糸が切られてしまったからだ。
何が何だか、分からないまま、薄気味悪さを感じて、守は来た道を戻ることにした。
中ほどの深瀬に差し掛かる前だった。
もうひとつの沢が右側から流れ込んでいた。
前回来たときには気付かなかったが、そう言えば、そういう沢があったことを守は思い出した。
その沢の上流には熊が出没する、という噂があった。だから、特に真夏には入らないように守は決めていた。
しかし、その時は、吸い込まれるように守はその沢に入って行った。
その流れは、川幅にして七〇センチぐらいしかなく、岩が削られてできた狭谷だった。
両サイドは垂直に切り立った岩肌が数メートルの高さで続いており、ちょうど自然の迷路に迷い込んだようなものである。
そういう地形だから、守は川の中を歩いて進むしかなかった。
その状態がどれぐらい続くか、守には記憶がなかった。
通路のような流れは、右にカーブした後は直線で数十メートル進んだ後、今度は左にカーブして、すぐに小さい滝があった。
守は、その滝に仕掛けを落としてみた。
すぐにあたりがあり、二〇センチ超の岩魚を釣りあげた。色が白い魚影は、その沢の岩肌の色に似ていた。
その後、守はとっかかりのない一メートルほどの滝を、両サイドに脚を突っ張って登った。
滝の上は、開けていて、流れの両サイドは、水平な岩肌になっていた。
流れの左側の岸に、女はうつ伏せで寝そべっていた。
その姿は、まるで守の到来を待ちうけ、さらに待ちくたびれた風であった。
女は当然裸だった。
女が身につけていただろう衣服は、意図的にそうされたように、岩の上に脱ぎ散らかされていた。
「なんだ守くん、立ってねえで、こっちゃ来て、座れちゃ」
茫然と立ち尽くす守に、女は手招きしながら言った。
それは、記憶の彼方にあった鈴木ヒトミの声だった。
顔にも当時の面影がはっきりと残っていた。
それは間違いなく鈴木ヒトミだった。
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