水の獣(みずのけもの)

沢亘里 魚尾

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 小学六年生の夏休みだった。
 その日は、日本の敗戦記念日であるのと、気温は三十度近いのに、雲が多いこともあって、守たちの秘密の場所には、隼人と守の二人の他、誰も居なかった。
 隼人が先に到着していて、すでに堰のブロックの中に潜っていた。
 いつもは、連れだって、川に出かける二人だったが、十日くらい前にした喧嘩が元で、しばらく口もきいていない状態が続いていた。
 喧嘩の原因は、隼人の抜け駆けだった。
 守や隼人を含む、同じ町内の同級生たちは毎年、連れだって祭りに出かけていた。
 現在と違って、当時の祭りは盛況を極め、地元のテレビ放送がゲストを呼んでの中継を行うほどだった。
 テレビ局が取材したのは、花笠踊りのパレードだった。
 旧目抜き通りの東西約五百メートルは、屋台で埋め尽くされた。
 当然、そのメインストリートに交差する通りにも、屋台が出て、祭りの中心である諏訪神社の通りには、見世物小屋二軒をはじめ、おびただしい数の屋台が軒を連ねていた。
 守たちは、祭りで何をするわけでもなかった。ただただ、その屋台を見ながら歩くだけである。
 夏休み前のある日、その年もそのつもりでいた守が、隼人に、今年の祭りはどうするか、と聞いてみた。
 ところが、隼人の答えはそっけなく、今年は他に約束があるので皆とは行けない、と言った。
 他のメンバーにそのことを話すと、どうやら隼人は鈴木ヒトミと祭りに行くらしい、ということが分かったのだった。
 守は、そのことで、友情に対する隼人の裏切りを非難した。
 ところが、それは表向きの理由で、本当は嫉妬したのだ。
 当時の守には、抜け駆けなどという語彙は無い。だから友情の話にかこつけた。ほかのメンバーも加わって、隼人とは当分口をきかないことで一致した。
 隼人のブルーの海パンが水面から上に出ていた。
 銛の根元に付いた生ゴムはピンと張って、すぐにでも鮎を突くタイミングをうかがっている様子だった。
 守は、隼人と反対の岸側でブロックに潜ることにした。
 隼人が居るポイントがベストポジションだが、早い者勝ちだと、守は諦めた。
 守が潜る方のエリアは、水流が強くないせいか鮎というよりは、鮠や鯰などが多かった。
 守は、ブロックの角を左手でおさえ、体と銛を持つ右手を川底のできるだけ深いところ向けて潜った。
 川底に潜れば、外の音は届かない。
 水圧が全身にかかる。
 そういう感覚も守は好きだった。
 その日は、狙うような大きな鯰や大型の鮠はおらず、地元では「ニガザッコ」と言われる小さな雑魚しか見当たらなかった。
 守は、一旦水面に上がり、隼人の方を睨んだ。
 隼人は、足をばたつかせていた。
 守は最初、獲物を仕留めたか、さらに奥に潜ろうとしているかに見えた。
 しかし、隼人の右手には銛はなく、右側のブロックをつかむようにしていた。
 それは明らかに、何かに抗っているいる動きであり、様子が変だった。
 守は、次の瞬間、跳ね上がるように起き上り、ブロック伝いに隼人の方へ歩いて行った。
 しかし、慣れているとはいえ、尖ったブロック上を渡っていくため、思うように早く前に進めなかった。
 守が、隼人の居る場所にたどり着いた時、すでに隼人の足は下流に投げ出され、力が入っておらず、意識がないことが見て取れた。
 守は、すぐにブロックを連結している鉄筋に挟まった隼人の頭を一旦水中に沈めるようにして、下流側に外れるように試みた。しかし、隼人の頭は、一旦は水中に沈んだものの、再び浮き上がり、元の場所に戻ってしまった。
 何かが、引っかかっているらしいが、水流が強く、水泡が邪魔して障害が何か見えなかった。
 守は慌てた。
 そして、今度は隼人の脚を力任せに引っ張った。
 しかし、隼人は動かなかった。
 それどころか、先ほどよりも、強く何かが噛んでしまったような感触が守の手に伝わってきた。
 助けを呼びに行くしかなかった。
 守は、堰の上流部の浅瀬を走って、岸に向かった。
 そして、そのまま全速力で土手を駆け上がり河川敷道路に停めた自転車まで走った。
 川を上流に向かえば国道があったが、町までは遠回りだった。
 守は、いつもの農道を全力で自転車をこいだ。
 途中で農作業をする人に会えることを期待していた。
 しかし、日が悪かった。
 途中に人などおらず、気がつけば町に続く坂道まで来ていた。
 守は、坂の途中で、自転車を降りなければならなかった。
 砂利道から舗装道路にかわる段差の振動で、自転車のチェーンが外れてしまったのだ。
 自転車を引っ張って走るしかなかった。
 やっとのことで、守は坂を上がりきった。
 守は足を止めて、息を整えた。
 しばらくしてしゃがむと、守はチェーンをはめ始めた。
 しかし、手が震えて、うまくいかなかった。
 焦りと恐怖。
 やがて、言い訳じみたセリフが守の頭に浮かんだ。
 そして、もはや手遅れだという諦めの心境にたどり着くのは、意外にも早かった。
 守は、自転車にまたがって、走りだした。
 守が再び、隼人のところに戻ることはなかった。
 それは永遠の別れになった。
 自分を正当化するために、守は怒りの心を自分に宿すしかなかった。
 怒りは、本来向けられるべきではない人にも及んだ。
 守は鈴木ヒトミをも避けるようになっていった。
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